シベリア鉄道で茶旅する2016(16)イルクーツクを散策する

それにしてもまずは朝飯。S氏は、過去の経験から駅には必ずカフェがあると言って探し出す。そしてついに立派なカフェを発見した。そこでボルシチを頼む。相変わらず安い。ティーも30㍔だが、自分でお湯を注ぐ、ティバッグスタイルだ。レモンはお好みで入れることができた。昔ビタミン不足を補うために飲まれた中国産磚茶だったが、今はケニア産紅茶とレモンで代替されている。レモンが簡単に手に入る時代、既に磚茶を飲む人がいないのも頷ける。

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列車ではトイレに行き辛いので、カフェでトイレを探す。立派なドアの向こうにあったのは便座のない便器。こんなのフィリピン以来かな、と思ったが、ロシアではこんな感じで使われているのだろうか。清潔ではあるが、不思議な感覚だ。そして地下にある荷物預け所に荷物を預け、街を散策することにした。駅を正面から眺めるとかなり立派な建物だということが分かった。取り敢えずイルクーツクの博物館へ行こうと思うが、方角も変わらず、ネット検索してもロシア語しか出てこない。本当はバイカル湖が見てみたかったが、遠すぎて行くこともできない。

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キーロフ広場が街の中心だとの情報をもとに、タクシーを拾い、何とかそのことを伝えて進んでみた。タクシーにメーターはなく、全て料金交渉制。行先が不明だと乗れない。車が動くとすぐに橋を渡り、古い町並みが見えた。路面電車が走っているが、どこへ行くのだろうか。キーロフ広場に着いたが、そこはただの公園だった。博物館がありそうにもない。だがS氏は公園内を歩き始めた。雪がかなり残っており、歩くのには難儀した。そして公園の裏側に、立派な教会を発見した。とても形の良い教会でしばし見とれる。実はこの教会内にも郷土博物館があったようだが、門は閉まっており、全く気が付かなかった。

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それから公園を一周してみたが、雪しか見えない。立派な建物があったので、博物館かと思ってみるが、悉く違っていた。仕方なく、タクシーで来た方角に少し戻ってみた。周囲は木造建築の平屋建てのいい感じの家が並んでいた。イルクーツクで思い出すのは、江戸時代の漂流民、大黒屋光太夫だ。伊勢の船頭は難破してカムチャッカに漂着。そこから日本への帰国を求めて、ここイルクーツクまでやってくる。仲間を失い、それでも帰国を諦めない光太夫の姿を映画『おろしや国酔夢譚』では緒方拳が熱演していた。

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光太夫はここで日本に興味を頂く植物学者キリル・ラクスマンと出会い、その息子アダムと共に根室へ行くことになる。イルクーツクで彼らが住んでいた家が、何となく目の前に見える、飾り窓がある小屋に似ているような気がした。光太夫がここに暮らしたのは200年以上前であり、その家はもうないと思われるが、その雰囲気は十分に感じられた。その絶望的な状況で、この地は一体どのように映っただろうか。

 

因みに日本では11月1日が『紅茶の日』と言われている。日本紅茶協会によれば、これは大黒屋光太夫がイルクーツクからエカテリーナ2世に帰国を嘆願するため赴いたサンクトペテルブルクでお茶会に出席して、紅茶を飲んだことにちなんでいるという。本当だろうか?光太夫もまさか自分が後世、こんなところに登場するとは夢にも思わなかっただろう。私は桂川甫周が江戸に戻って幽閉された光太夫を聴取してまとめた『北槎聞略』という本も読んでみたが、そのような事実は出てこなかった。一体彼はどんなお茶を飲んだのだろうか。飲んだとすれば、万路茶路を通じて運ばれた福建省の紅茶だったのではないか。

 

雪が積もる道を歩いていくと、旧市街の中心部らしいところに出た。イルクーツクの中心は既に新市街に移っているようで、ここには歴史的な建造物がいくつも残されていた。博物館を探して更に歩いて見る。重厚な建物は昔の貿易ビルと書かれており、恐らくは万里茶路にも関係する茶葉商人の拠点があったに違いない。その先には軍事博物館があり、戦車などは展示されていたが、これも100年以上前に建てられたビルだった。

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そしてついにイルクーツク市の郷土博物館に辿り着く。何とも長い道のりだった。非常に雰囲気のあるその建物は1884年に建てられたとある。中へ入ると、クロークがあり、荷物や上着を預ける。セミナー開催中のようで、静かに歩くように指示されるが、我々には時間がないので、バタバタと見学する。残念ながら茶葉貿易に関する展示などは発見できなかったが、イルクーツクがシベリアの中心都市であったことなどはよくわかった。

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すでに列車に乗らなければならない時間が迫っていた。慌ててタクシーを探すがなかなか見つからない。何とか白タクを確保したが、『ステーション』という英語が通じない。予めネット検索で『駅』というロシア語を見付けておいたので、それを見せたが首を振るばかり。最後はS氏がうろ覚えのロシア語で言ってみると、何とか理解され、10分後の無事に駅に着いた。それにしても日ロ語翻訳辞典は一体何だったんだろうか?

 

1 thought on “シベリア鉄道で茶旅する2016(16)イルクーツクを散策する

  1. 1990年にラオスのヴィエンチャンでAクラスのホテルSに泊まった時、便器に便座が無いので驚きました。これがロシヤ式なのでしょうか?

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