ラオスポンサリー茶旅2016(11)25時間バスに乗り、疲れ果てる

延々と続く道を

実は乗ったベッドに非常に問題があった。最初は気が付かなかったが、乗客が増えて車内が暑くなり、エアコンをガンガン掛けて初めて分かった。エアコン調節機が壊れていて、冷たい風が直接頭に当たってきた。最初は我慢していたが、このバカ寒では必ず風邪をひく。元々体調がよくないのだから、首にタオルを巻き、必死にこらえたのだが、それも限界がやってきた。体が凍り付き始める。休憩所に停まった時、ふと気が付いた。反対向きに寝ればよいと。だがこの向きだと、にいちゃんの顔の横に私の足が来る、ということはにいちゃんの足も私の横になる。仕方ない。勿論足は寒いが、このほうがまだマシだった。

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懐かしいウドムサイに着いたのは夜の10時半。ここまで順調にバスは進んでいたが、私の体調は悪くなるばかりだった。途中の食事休憩でも何も食べられず、そしてなにも飲めなかった。ただひたすら、トイレに行き、体を動かして、寒さに耐えていた。そして徐々に乗客が降り始め、隣のにいちゃんも笑顔で降りていった。にいちゃんの寝ていた位置に頭を置いてみると、なんと完全に冷風が直撃していた。よく耐えていたなあ、彼。

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乗客が減ると、寒さがさらに堪えた。運転手も車掌も若いので平気らしい。私も一人になったが、まだほかのベッドへ移るほどには空いておらず、その内ウトウトしてしまった。全くの暗闇の中を行くバス、景色を見ることもなかった。ただこの韓国現代製のバスは夜間、七色に光っている。何のためにこんなどぎつい色を使っているのか、夜間の山道走行の安全のためなのか、全く意味不明であるが、これも慣れてくると、気にならなくなり、少しずつ眠りに落ちていく。

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2月4日(木)

3:30にルアンプラバーンに着いた。ここは有名な観光地で、私も前に一度来て気に入っている。是非ともここで降りたい気分だった。既に13時間半もバスに乗っているのだから、降りたくもなる。だが午前4時のターミナルには全く人気はなく、トイレに行くのも怖かった。きれいなターミナルからは誰も乗ってこないし、そこそこの人が降りたのでバスは空いてきた。ついにベッドを移ることができた。何と快適なのだろうか。これまでの苦行は一体何だったのか?そのまま明るくなるまでぐっすり眠りに就く。素晴らしい、と夢見心地になりながら。

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朝7:30に欧米人に人気があると聞くバンビエンを通過した。郊外のバス停でバックパックを背負った白人が3人、乗ってきた。8:00にはアンバインというところで、休憩となる。私はもうここまで来たのだから、バスを降りるまで何も食べないことを決心したが、熱いお茶だけは飲みたかった。だが残念ながらそれはなかった。

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スロベニアから来たという男性が乗っていた。昨日バンビエンまで来て気に入ったので、今日は荷物を置いてある別の村まで戻り、自転車でもう一度バンビエンを目指す。スロベニアでは旅行会社を経営していると言い、趣味と実益を兼ねた旅のようだった。『ヨーロッパにはイスラム教徒が押し寄せてきていて、今後は危うい。アジアの片隅でゆっくりした』とぽつりと言った言葉が印象に残る。スロベニアもそのうち戦渦に巻き込まれる、と言いそうな勢いだった。こののどかな朝には信じられないが、そんなことが現実に起こらないことを祈る。

 

日が昇り、徐々に暑くなる。後はバスに乗ってひたすら耐えるだけだった。一体何時になればビエンチャンに着くのだろうか。皆目わからない。その内に道路表示にビエンチャンの文字が出てきたので、もうすぐだと思っていたが、そこからも長かった。道はどんどん良くなるが車の通行量も増え、なかなか前に進まない。24時間経った午後2時にバスは一瞬停まったが、これもトイレ休憩。なぜかそこには干し魚が大量に売られていた。もう美味しそうだ、などと見る余裕もない。疲れ果てていた。そして午後3時、ついにバスはビエンチャンに着いた。25時間もバスに乗り続けてのは生まれて初めてだったが、もう2度と経験したくはない。

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 8.ビエンチャン
郊外のターミナルから

バスでビエンチャンに来たことはなかった。ここがどこかもわからない。バスを降りるとトゥクトゥクの運転手が寄ってきて、『どこへ行くんだ?』と聞いてきたが、私はどこへ行くのだろうか。何も決めていなかった。だがこの疲労度合からして、ビエンチャンに一泊してから、飛行機でバンコックへ戻ろうと自然に考える。

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街の中心は確かナンプーといったような気がした。客がいないので5万kだと運転手が覗き込むように言う。少し高いような気もしたが、疲れていたのでそれに乗ることにした。運転手はそれからも客を探したが、ついに諦めて出発した。ところが走り出すとすぐに後ろから日本製のバスがやってきた。例のODAバスだが、何とここから市内へ向けて走っているではないか。聞くところによれば1人、5000kだったとか。僅か15分で見慣れたビエンチャンの景色に出くわし、何となく釈然としないが、まあ無事に着いただけで良しとしよう。

 

ビエンチャンはポンサリーと違い、暑かった。その中ホテルを探して歩く。以前よく泊まっていたホテルはなぜか閉まっているようだった。ナンプー付近には安宿が沢山あると聞いていたが、ちょっときれいな宿は未だ昼間だというのに『満室』という表示が出ている。さすがにもう中国の旧正月、中国人観光客の姿が至る所で見られた。

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