ナムサン茶旅2016(15)一人でタチレイへ

一人になって

午後Tさんがヤンゴンに向かって出発した。夜行バスで10数時間、明日の朝にはヤンゴンに着くらしい。今回彼には大変お世話になった。そして彼の車は故障し、彼自身も九死に一生を得た。むしろ私以上にショックが強かったのは彼ではないだろうか。別れるときの彼の疲労した様子は、とても気にかかるところだった。バスではゆっくり眠れないかもしれないが、休んでほしいと思う。

 

一人になってしまうと、何もやる気が起きなかった。部屋でボーっとしながら、お茶を飲んで過ごした。これは半年前に疲弊してベッドに横たわっていたのと大差ない。私の旅には休息が必要なのだ。特に今回のようなショックな出来事があった場合、ゆっくり旅をするのがよい。そう決めていたのだが、何とそこへSさんからメールにて、指令が来た。『ミャンマー北部にいるのなら、地理的に近いのだから、ラオス北部に行ってお茶を買ってきてほしい』というのだ。

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ちょっと調べてみると、そのラオスのポンサリーという街は、飛行場もあるが、普通はバスで行くらしい。行き方はよくわからないが、一旦タチレイからタイのメーサイに入り、そこからゴールデントライアングルを抜けて、進んで行くらしい。何となく行けそうだったし、タイもラオスもビザ不要なので、気分を変えるにもいいかと思い、気楽に引き受けてしまった。取り敢えず明日飛行機でラショーからタチレイに行き、さて、その先何処まで行けるのだろうか?

 

夕方外へ出てみると、宿の周囲は露店の準備で大忙し。夜はここに衣服などの露店が大量に出ることが分かった。ちょうど腹も減ったので、食事をとることにした。麺はもう食べ飽きたので、ご飯を食べることにしたが、どうしてよいかよくわからない。屋台ではなく、ちゃんとした食堂で、おかずがずらーと並んでいるところがあり、若者たちが入っていたので、わたしもそこで指さしで注文した。焼いたチキンがうまい。野菜炒めも味が濃い目でよい。お婆さんがスープを持ってきてくれ、ご飯をお替りするように、というジェスチャーをする。何とも優しい対応で、心が和んだ。

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1月30日(土)

夜は早めに寝入る。疲れていたのだろう。翌朝は早めに起きるが、部屋でもぞもぞして過ごす。今日のフライトは13:20発だったが、『国内線のフライトだが、たまに早く飛ぶこともあるので、12時前には飛行場へ行くように』という旅行会社からの注意があった。普通フライトが遅れることがあっても早まることはないと日本人の感覚では思いがちだが、この国では十分にあり得る。11時には宿を出ようと思い、10時過ぎに食事に出た。

 

宿の前にうまそうな麺屋があった。ガイドブックにも載っていた店かも知れない。言葉は通じないので身振りで麺を指す。出てきた麺はスープの味もよく、確かにうまかったが、代金は1000kだった。これまでミャンマーの様々な場所で麺を食ってきたが、こんなに高いものは初めてだった。お釣りをくれるのかと思い待っていたが、くれないので、聞いてみると、1000kだときっぱりいう。明らかに外国人価格、それも相当にボッテいる。仕方なく諦めたが、麺がうまいだけに残念だった。

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タチレイへ

ホテルのフロントでトゥクトゥクを呼んでもらった。半年前もここから飛行場へ向かったのだが、その時はタクシーに乗った。私は無料だと思い込んでいたのだが、近い距離を6000kも請求されたので、かなり揉めたのを思い出す。今回は3000kという料金を確認して呼んでもらった。快適に走り出したが、途中で飛行場と違う方へ曲がった。ちょっと行くと、民家に入っていく。そこでやはり飛行場へ向かうお客を拾った。まあこれは仕方がないし、時間的にも余裕があったので黙認した。

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そしてあの何とも小さなラショーの飛行場へやってきた。まさかここに半年の間に2度も来るなどとは予想していなかった。誰かがやってきて、何となくチェックインの手続きが進む。荷物も預ける。さて、飛行機は早く飛んで来るのだろうか。聞いても誰もわからないという。まあこんなものだと思い、座るところがなかったので、隣の掘っ立て食堂に入り、座っていた。特に注文しなくても何も言われなかったが、隣の人が麺をすすっていたので、私も食べてしまった。この先いつ食べられるか、分らなかったからだ。さっきも食べた麺、こちらは普通だったが、代金は500k。これでも空港の脇だから少し高いのかもしれない。とすれば、さっきの1000kは何だったのだろうか。

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フラフラしていると時間が過ぎ、気が付いてみると、乗客がいなくなっていた。係員がこっちだ、と合図してくるので、急いでゲートを潜り、ターミナルへ歩いていく。やはり早く飛んできたのかと喜んだが、そんなことはなかった。そこから小さな待合室で1時間待った。結局は定刻に飛ぶことになる。待合室にはテレビがあり、仕方なくそれを眺めていると、何となく見たような顔が出てきた。それは女優の有村架純だった。映画『ビリギャル』の宣伝ビデオが流れていたのだ。ミャンマーでビリギャル、何となく面白い。有村架純はミャンマー人にも人気があるのだろうか。ミャンマーは未だに韓国ドラマが主流だと思っていたが、日本のドラマも少しは盛り返しただろうか。ビリギャルの次はハリウッド映画だったが。

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滑走路を眺めているスイス人が言った。『こんな小さな空港、今まで見たことがない』と。その小さな滑走路にゴールデンミャンマーはちゃんとやってきて、我々を乗せて、ちゃんと飛び立った。後ろから乗り込む機材で、自由席。私は一番後ろに乗った。CAはきちんとした英語を話し、サービスも悪くなかった。簡単なパンとコーヒーも出た。快適な空の旅だった。そして1時間もしないうちに、タチレイの空港に降り立った。ここから試練のラオス旅が始まることを私はまだ知らない。

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