ナムサン茶旅2016(8)工事で封鎖された道

そしてついにその時は来てしまった。車が一台停まっており、動く気配がない。残念ながら工事で道が封鎖されていた。待っている車に聞くと、30分待ちだというが、ここはミャンマー、誰も信じていない。前の車の運転手はどこかへ行ってしまう。我々は工事現場を見に行く。機械である程度はやっているが、基本は手作業。若い男女が作業員になっている。コールタール、なんとなく子供の頃、自分の家の前が舗装されたことを思い出し、懐かしい。

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若者が掃除を始める。埃が舞い上がる。次にコールタールを撒く。コールタールは近くのドラム缶で煮られている。駆り出されているのは、地方の農民たちだとTさんが言う。今では農作業を辞めてしまい、1年中、作業現場を渡り歩いていくらしい。掘っ立て小屋が近くに建っており、子供も含めて一家でそこに寝泊まりし、食事を作り、生活する。これは大変な労働だが、きっと賃金は悪くないのだろう。すでにある種の移動する専門職となっているのかもしれない。

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ボーッとみていたが、何度か同じ作業が繰り返えされており、いつ終わるとも知れない。作業のないメンバーは道路脇で、休んでいるが、毎日毎日この作業を繰り返しているのだろう。淡々とやることをこなし、あまり表情がない。もう終わらないのでは、今日は通れないのでは、どうするんだと思った頃に、急ににいちゃんが手を振り、車の通行が許された。

 

通行はいつ取り消されるとも知れないので、急いで車に乗り、走り出す。各車、カーレースのような勢いで車を動かして通り過ぎる。その先も山道、この辺は最後に整備されている場所なのだろうか。すでに時間は午後2時半を過ぎ、かなり腹が減ってしまっていた。だがランチにありつけたのは、ちょっとした村に着いた、それから30分以上も行った後だった。

 

午後3時にカオソイを食べる。それ以外には食べるものがなかった。確かに今は昼飯には遅すぎる。まあ腹が減っているから、何を食べてもうまい。漬物もうまい。食後、少し散歩した。精霊信仰の祠もあり、また仏教の寺院も見える。この辺でもシムカードが役に立ち、スマホのネットは確実に繋がっている。本当にミャンマーのネット事情は半年で大きく変わっている。1年前なら、こんな山の中、絶対繋がらなかっただろう。恐ろしいほどの進歩だ。

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相当に時間をロスしているので、道を急ぐ。どう見ても、このあたりの工事現場は中国が援助して作る道にしか見えない。なぜここに道が必要なのだろうか。もう少し行くと、畑が見えてきた。狙いはこれかも知れない。中国はシャン州で、大量の農地を買収して、農作物を作っている。これを中国産ではなく、ミャンマー産として、中国に輸出している。しかしその作り方は、農薬、化学肥料を大量に使う、いわゆる中国式農業であり、結局は中国でやっていることと変わらない。ラベルを張り替える、という中国的なやり方だが、土地はどんどん細っていく。

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だんだん道がよくなり、ついに午後4時過ぎに北シャンの街道に出た。果たして今日通った道が近道だったのかどうかは別にして、色々と考えさせられる道だったことは確かだ。この街道はラショーまで続いており、何度も通った道だったので、安心した。しかしここはどこだろうか。ゴッテティ橋より手前だから、今日の目的地、ティボーまではまだかなりある。

 

ガソリンスタンドで停車した。Tさんは慣れた様子でホースから水を出して、洗車を始めた。よくここで洗車するのだという。車は山道を走りかなり汚れていたので、水をあてられると、車も何となく気持ちよさそうに見える。私も一緒にシャワーを浴びたい気分になる。ガソリンは630kと昔に比べたら、ずいぶんと安い。原油安の影響はこんなところにも出ている。

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30分ぐらい走るとチャウメイに着く。一昨年の10月末、ここから3時間、ミョーテイ村にバイクで行った日が昨日のように思い出される。あの旅こそは、近年忘れることのできないアドベンチャーであり、真の茶旅とは厳しいものだと痛感した。Tさんはチャウメイの知り合いの家に寄るという。ナムサンに行く場合でも、同じパラウン族の圏内であり、行くことは告げておく必要があるらしい。

 

パラウン族で茶葉の売買を仕切っている家に行く。お茶が出てきたので飲みながら、これまで疑問に思っていた、ミャンマー茶の区分けを教えてもらう。番茶はアカーチャウ、酸茶はチンムイというらしい。これまでほとんどを緑茶とされていたミャンマー茶も、当然様々な茶があるわけだ。

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僅か30分の滞在で、チャウメイを離れ、今日の目的地、ティボーに向かう。ティボーは10年前に行ってトラブルがあり、前回半年前に行っても、列車のトラブルがあった、私にとっては因縁の街。果たして今回はどうなるのだろうか。車は1時間もかからずに、スーッとティボーの街に入っていった。

 

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