ナムサン茶旅2016(7)タウンジーから抜け道で

Sさんは学生時代にビルマ語を専攻し、ミャンマーに留学もしたという。そして当時外国人が入れなかったラカイン州へ行くために、Tさんと知り合った。TさんはNGOスタッフとして7年間、ラカイン州に住んでいたので、そこを訪ねたらしい。ラカイン州といえば、今でも紛争地域、すごい繋がりである。卒業後もどうしてもミャンマーに住みたくて、現在のNPO法人を探し当て、最終的にタウンジー駐在員となった。因みにこのNPO、どこかで見たことがあると思ったら、先日行った佐賀のお茶屋さんのすぐ近くにあった。とても不思議な道場の脇に世界地図があったのが印象的だった。現在農業関係の支援をしているらしい。

 

そしてこの地で現在のご主人と知り合い、結婚。ご主人はミャンマー人だが、パンデーと呼ばれる、中国でいうところの回族だった。回族はイスラム教徒であり、彼女も改宗することになる。パンデーは中国の清末あたりから、迫害を受けてミャンマーへ入ってきて、主に貿易に従事していた、とても興味深い人々。茶葉も扱っていたことだろう。今はほぼミャンマーの中に溶け込んでおり、我々にはそれとは分らない(本人も相手がパンデーだとは知らずに結婚したという)。

 

Sさん曰く、『日本に比べて、タウンジーの方が断然住みやすい。このままずっとミャンマーに住み続けるだろう』と。日本を離れた方、日本人がいない方が楽、ということは沢山ある。現地にちゃんと入っていければ、そして習慣などを受け入れれば、こちらの方が子育ても含めて、あまり細かいことを考える必要もなく、楽だろうな、と私でも思う。2時間ぐらい話していると、ご主人が可愛らしい息子を連れて、やってきた。そろそろ彼の子守の時間は終了らしい。

 

ホテルに帰ってテレビをつけてみたが、衛星放送はなかった。まあこのレベルのホテルでは仕方がない。今晩は、ドーハでU-23日本代表とイラクのサッカーの試合、準決勝があった。これに勝つとオリンピック出場が決まる一戦、ぜひ見たかったが、見ることはできなかった。それでもネットが繋がるので、経過は順次入ってきた。ドーハといえば、あの1993年の悲劇が気になる世代、同じ相手イラクに対して、今日はドーハの歓喜となったのは喜ばしい。

 

1月27日(水)

翌朝は7時頃起きて、朝食へ。麺やトーストなど、食事は簡単ビュッフェだが、これで十分だ。ただこの場所は半地下になっており、冷たい空気が入り込んできてかなり寒い。さすがに標高が高いタウンジーだが、それならなぜこんなところに食堂があるのだろうか。ちょっと首を傾げながら、目玉焼きをつつく。そしてインスタントコーヒーを淹れる。お茶はポットに入っており、それも注いで見る。ここで飲む場合は、暖かければそれでよしとする。

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4.ティボーへ 

抜け道を行く

食事が終わるとチェックアウトして、すぐに車に乗り込む。タウンジーの街を歩くことは結局ほとんどなく、わずかに車の窓から見るだけだったが、勿論10年でかなり発展はしていた。だが、それでもヤンゴンのようなそれはなく、ちょっときれいになった程度。なんとなくこのほうが落ち着く。懐かしいタウンジーホテルの横を通り過ぎると、昔が蘇ってくる。

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郊外に出て、坂をくねくねと下っていく。長い長い下りを終えると、平らな道へ。1時間ほど走っていくと、時計台が見えた。時計台があるということは、ここは昔の交差点、イギリス人が作ったものだろう。Tさんはこの十字路でどちらへ行くか、念のためにその辺の人に確認している。

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実は今日は北シャンへ行くのだが、そのルートは迂回しながら、舗装された道路を行くのが普通らしい。だが、我々は別の道を選んでみた。確か10年前にシャン州に来た時に聞いたルート。果たしてその道は本当にあるのだろうか。また通ることはできるのだろうか。チャレンジしてみることに。お婆さんがはっきりと『こっちだ』と指さしたので、そちらへ向かう。

 

だがその道を行くと、なんと軍の施設が立ちはだかった。ただ他の車が通っているのが見えたので、そのまま突き進むと、ノーチェックで施設内を通過できてしまう。軍事政権時代では考えられないのだろうが、今や庶民の便宜も少しは図られている。そこを抜けるともう車は走っておらず、Tさんはひたすら道と格闘している。山あり谷あり、というほどでもないが、飽きない。

 

30分ぐらい行くと、お店があったので、休息をとる。まだ食事には早いと、ティミックスだけを頼む。これが後で結構利いてくる。まあこの時点では余裕があり、ショートカットして相当早く着くだろうと予測していたので、仕方がない。ただここはミャンマーだ。簡単なはずはなかった。

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この道はショートカットだがかなりの山道。車はほぼ走っていない。途中で何度か道路工事現場に遭遇した。すべてが舗装されているわけではなく、ちょうど乾季の今、あちこちで工事が盛んに行われている。中国製の工事機械が目につく。こんな山の中、果たしてニーズはあるのだろうか。立派な橋が架かっている。やはりこの道も軍用として整備されたのだろうか。

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