伊那・名古屋散歩2013(5)名古屋 日泰寺と揚輝荘

12月13日(金)

日泰寺

名古屋で是非見ておくべきものは何か、色々と話を聞いたが、現在バンコックに拠点を持つものとしては、やはり日泰寺だろうということで、出掛けてみた。名古屋にも地下鉄は6路線ほど走っており、どれに乗ればよいか迷う。私が滞在していたのは栄で覚王山までは東山線一本だったのだが、地下の乗り場は複雑だ。いや慣れてしまえば簡単なのだろうが。

 

 

駅を下りると、参道のようなものが見付かり、道なりに歩いて行くと、立派なお寺が現れた。覚王山日泰寺、タイのラーマ5世より、日本に寄贈された仏舎利を安置するため1904年に創建された。超宗派のお寺で、各宗派の官長が3年交代で官長を務めているらしい。覚王とは釈迦の別名、日泰寺とは勿論、日本とタイという意味であり、今でも駐日タイ大使はお参りに来るようだ。

DSCN8441m

 

立派な門を潜り、右手の五重塔、正面に本堂。何となく新しい感じで、敷地も広々としている。ラーマ5世の像もあり、タイ人がやってきたら、喜びそうな寺だが、タイ語表記があるようには見えない。日タイ友好のシンボルなのだから、もう少しタイ人に配慮してもよいように思うのだが。

 

 

DSCN8439m

 

このお寺の周辺には、お地蔵さんなどがいくつも置かれているが、それがまた何となくよい。煌びやかな中国的なものではなく、如何にも控えめなタイ人を表しているようでなんとも微笑ましい。

DSCN8445m

 

仏舎利自体は境内ではなく、別の場所に安置されているようだが、特に表記もなく、分からない。仕方なく、本堂を後にして、外へ出てみる。少し歩くと、何やら大きな葬儀の会場があった。どうやらそこが「奉安塔」で、その中に仏舎利が安置されているらしい。だが近づくと葬儀参列者と間違われ、係から頭を下げられたので、退散した。

 

揚輝荘

昨晩Uさんから、日泰寺に行くならその横にある揚輝荘には是非行くべし、との提案があり、向かう。ところがここがまた分からない。どうして表示もないのだろう。奉安塔の方から歩いて行ったが見つからず、近所の人に聞いてようやくお寺をぐるっと一周して到着した。

 

中へ入ると素晴らしい庭園があり、バンガロウと呼ばれた母屋も見えた。入場は無料だという。一通り歩いて見たが、きれいな庭に池、茶室もあり雰囲気は悪くない。ここが松坂屋初代社長、伊藤次郎左衛門祐民によって建てられた別荘だということは分かったが、Uさんが言っていた、ロッジ風の建物は見えない。聞いてみると、それは南園だという。

DSCN8450m

DSCN8457m

 

 

南園と行くには、何とマンションの横の細い道を通り抜けなければならない。逆に言えば、この大きなマンションがあるところも、以前は全て別荘だったということか。実に広大なお屋敷である。どんな事情があって真ん中にマンションが建ってしまったのか、下世話な詮索だろう。

DSCN8460m

 

見えてきたのは聴松閣という日本風の名前だが、建物は洋風。ここは入場料を払って入る。中はモダンで、山小屋風、如何にも別荘と言った感じである。随分とお金をかけたのだろう。各階には案内の人がいて、色々と説明してくれた。それを聞いているとどんどん時間が無くなり、東京に戻る時は近づいていた。

DSCN8461m

DSCN8463m

 

帰ろうとすると入口の人が一目でいいから地下を見て行け、という。慌てて下に降りてビックリ。そこはインド様式の間だった。祐民は1934年に4か月間、タイ、ビルマ、インドなど仏跡巡礼の旅に出ていた。それまでに援助していたビルマの僧に会い、インドではタゴールも訪ねたらしい。

DSCN8477m

 

彼が援助していたインド人留学生が作ったレリーフが復元されており、何と地下室の入り口はエローラの石窟を模したらしい。実はこの別荘には多くに皇族、貴族、外国要人などが宿泊したため、万一に備えてこの地下通路から脱出できるようになっていたという。かの汪兆銘もここに泊まっていたらしい。

DSCN8470m

 

この部屋はインド巡礼後、それまでの設計を取りやめて、作られた。それだけ祐民はインド旅行で大きなインパクトを受けたということだろう。今行っても大変なインドへ、あの時代に行く、それだけで十分すぎるインパクトがある。残念ながら時間が来た。名古屋は意外なほど、様々な物があり、言い方は悪いが「穴場」であることを今回発見した。次回はじっくり見たいものだ。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です