丸子清水茶旅2015(3)丸子 紅茶研修会

3.丸子

紅茶研修会

夫人が『ここが家です』と言いながら、車は通り過ぎてしまった。水車のような物が見えて、とても興味があったのだが、今回はお預けとなる。そしてすぐに車は神社のようなところへ入り、停まる。そこには丸子ティファクトリー、と書かれた建物があり、既に大勢の人が建物を出入りし、何か作業をしていた。その中心で指示していたのが、村松二六さん。この方が、明治期に作られていた国産紅茶を復活させた第一人者である。ここ丸子は日本の紅茶発祥の地であった。

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1990年頃から紅茶作りを始め、丸子紅茶として売り出したのが、25年前。誰もが国産紅茶に見向きもしなかった時代、黙々と研究を重ね、紅茶を作っていたというから凄い。化学肥料や有害な殺虫剤不使用の有機栽培で、安心安全で美味しいものを作るため努力を続けた結果、「紅富貴(べにふうき)」の生産に日本で初めて成功した。

 

スリランカや中国にも足を運んだほか、国内各地で研修もして、その製茶技術を高め、工夫を凝らした。また多くの研究者、生産者とも交流して、科学的な観点の検証も行い、作り上げていった国産紅茶だった。その努力が認められ、産業振興に寄与したとして、今年静岡県知事賞を受賞したという。

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今日は何と紅茶インストラクターの研修会だった。約30名のインストラクターが集まり、紅茶作りを実体験している。建物の中には、揉捻機や乾燥機などが置かれており、一昨日摘んだ(昨日は雨だった)という茶葉が運び込まれ、既に茶作りの真っ最中であった。二六氏が的確に指示を出し、皆がそれに合わせて動く。ホワイトボードに解説を書き、詳しい説明を加えている。生産者が、自分の作り方のノウハウを惜しげもなく、披露している。これは凄い光景だった。まさに日本の紅茶の発展に為に勤めている、という姿には感動を覚える。

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二六氏はとても忙しい。作業は、萎凋、揉捻、乾燥と間断なく続いていく。なかなかお話を聞く機会がなく、私はご一緒したY先生と話し始めた。実は先生ともFBお友達だが、どこでお友達にして頂いたのだろうか、と思っていると、何とタイ北部、チェンマイの近くのランプーンのSさん、繋がりであることが分かり、驚く。Sさんの広大な花園、とても懐かしい。

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先生はそこへ時々行き、植物の研究をしておられるという。また四国で焼き畑農業も研究しているとか。焼き畑と茶作り、大いに関係がある。植物学的見地からお茶を見ていく、私には明らかにこの視点は欠けていた。目を開かれた思いだった。とても面白いお話を沢山聞くことができ、途中からは紅茶作りより、こちらの話に引き込まれてしまった。これもまた茶縁。

 

紅茶作りは順調に作業が進行して、2時間程度で終了した。そしてわざわざお弁当まで用意して頂く。申し訳ない。皆さんも研修が終わり、お互い製茶の話をしながら、笑顔でランチを食べ始めた。お茶が出たが、何と台湾の高山茶だった。『こういう香りがあることを知っておいて欲しい』という配慮からだった。二六氏は烏龍茶の作っているという。だが私は、ここまで来て、茶作りのいい香りを嗅いだだけで、丸子紅茶を飲む機会を完全に失った。

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お茶会などでも、『どうしてそこまで行って、お茶を持って帰ってこないのか』とよく言われるようになっている。ちょっと残念な気分となる。あとで購入すればよいとも考えていたのだが、その機会も今回は訪れなかった。今日は皆さん、とても忙しく、ご自宅に寄ることもなかったのである。実は後日、夫人がわざわざその日に作った紅茶を送ってくださり、東京で味わうことになった。適度な香りがあり、スッキリした味わいがあったが、何よりも心がこもっているように感じられた。

 

多田元吉翁顕彰碑

僅かな時間を見つけて周囲を散策した。このファクトリーのある場所は、神社の境内。由緒正しい神社が奥に控えていた。まずはそこへお参り。そして手前には多田元吉翁の記念碑も建てられていた。元吉翁は千葉の生まれだが、明治に入り丸子に移住して、茶園を開く。その後政府の奨励策に乗り、1875₋77年、中国、インドなどを回り、紅茶製造法を習得、1881年からインド式製法で紅茶生産を始めた人物。日本茶業の先駆者として顕彰されている。

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少し上ったところには、『日本紅茶原木』と書かれた看板が立っていた。その脇には古そうな茶樹が植わっている。更にその上には多田元吉及び多田家のお墓があった。紅茶関係者はここに来て、今でもお参りをするそうだ。日本の紅茶、和紅茶・地紅茶などと称して、最近は各地で作られており、よく見掛けるが、元々は多田元吉翁の功績、そして昨今は村松さんなどのご尽力で、再度花開きつつある。お墓の下の元吉翁もさぞや喜んでいることだろう。

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ランチが終わるとY先生が『では次の予定があるので』と帰られる。夫人が車で送っていくという。良く分からないが、ついでに私も乗せてもらい、最寄り駅で下ろしてもらった方が良さそうだと思い、便乗することに。だが、先生は何と清水へ行くという。どのくらい距離が離れているのかすら、分からなかったが、目指す場所がフェルケール博物館と聞き、厚かましくも付いていくことにした。確かここで蘭字に展示が行われていると聞いたからだ。

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