茶筅の街から宇治まで茶旅2015(1)高山町 日本で唯一の茶筅の街

《茶筅の街と京都宇治茶旅2015》  2015年5月19日‐20日

 

タイ人と高野山に登ってみたが、なかなか刺激的な、参考になることが多い、面白い旅であった。そして山を下りる日、今日は京都へ行こうかと思っていたが、何とそこへ『私は奈良県の高山町のお寺にいます』というお知り合いのIさんからのメッセージが届く。まあ私には関係ないや、と思っていると、『この高山町は茶筅の街です』と追い打ちがかかる。『茶筅か?』と思わずつぶやいた私の口の動きを逃さなかったのが、小学校の先輩であることが昨夜発覚したSさん。

 

茶道をやっているというSさんの『茶筅の街、行ってみたい!』という一言で、私の運命も急転する。和歌山県の高野山から、奈良県の高山町、果たして遠いのだろうか。少なくとも電車では簡単に行けそうもない。Sさんは今回のメンバーで唯一車を持っており、車であれば行けるのではないか、ということになる。何という巡り合わせ。まあこれぞ茶縁というものだろう。

 

5月19日(火)

1.高山町

高山町まで

午前9時半頃に、タイ人一行とお別れして、高野山を出発した。Sさんの車は小雨の中、快調に山を下って行く。スリップしないように注意しながら、坂を蛇行しながら下って行くと、逆にこの道を歩いて上ってくる参拝者はすごいな、と思わざるを得ない。ナビを使って、橋本付近まで1時間ぐらいかかった。今回高山町ではIさんが待っている。『まあ午後1時につけば御の字』と言われたが、和歌山県から隣の奈良県の街まで3時間半もかかるのだろうか。

 

橋本付近からは3月に四国1周茶旅の帰りに通った道とほぼ同じだということが分かる。前回も運転手のS君がかなり苦労して道を探しながら、車を走らせていた。奈良の道は、高速道路などが所々にしか整備されておらず、道を繋ぎ合わせて行くため、分かり難いのだという。今回はその経験があったので、助手席からSさんに多少ナビが出来、何とか進んでいく。

 

途中でトイレ休憩。コンビニのトイレを借り、ついでにサンドイッチや飲み物などを買っておく。地方のコンビニのトイレは充実している。これが集客の一つの手法だということがよく分かる。飲み物を飲みながら、この先の方向などについて、車内で作戦会議を行い、更に進んでいく。

 

それにしても高架道路を走ったかと思えば、下の道しか行けない場所もあり、何とも分かり難い。地図を見ながら悪戦苦闘の末、何とか、近くまで来た。Iさんは関係しているお寺に滞在しているが、そこも分かり難いので、奈良先端科学技術大学の正門で待ち合せることになった。こんなところに先端大学などという名が付いた大学があるなんて。実は先日ベトナムに行った時に、ここの非常勤講師だという方に偶然出会っており、理科系の非常に先端的な研究がなされているだと聞いた。まさかここでその大学に出会うとは、これもご縁かと驚く。沖縄でこの前、やはり偶然行った科学技術大学に通じるものがあるように思える。周囲には何もないが、団地のような建物がいくつか建っていた。この大学に通う学生と教師、職員が住んでいるのだろうか。何となくバブル期の不動産開発を思い起こす雰囲気がある。

 

ちょうど3時間半かかって、ようやく目的地に着いた。大学の裏のかなり細い道を上がって行くと、そこにお寺があった。お寺と言いっても一般の民家を借用している。有名な信貴山の奈良の分院だという。座敷に仏像が置かれており、お寺の形式を備えていた。お参りもそこそこにして、お昼ごはんに炒飯とサラダをご馳走になる。朝ごはんもちゃんと食べていなかったので、何とも有難い。

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茶筅工房で

食後は直ぐに出掛ける。ここ高山町は茶筅の街、ということで、Iさんが事前に連絡を入れてくれていた茶筅工房を訪問する。ここも普通のお家だが、道路より高くなったところに、草木が植えられ、更には茶筅の模型も見える。その上にはかなりの規模の立派な建物があった。

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中に入ると、この家の主であり、この街の茶筅組合の長でもある谷村弥三郎さんが待っていてくれた。リビングが茶筅を作る作業場になっており、そこでお話を伺う。谷村さんの家では代々茶筅作りが行われていたが、谷村弥三郎を名乗るのは谷村さんが3代目だという。ここ高山町は元々日本有数の茶筅の街だったが、最近は価格の安い韓国、中国製に押されており、今では100円ショップに行けば中国製を僅か324円で買うことができるとか。こちらで丁寧に作られている茶筅は安い物でも1本3000円以上はするので、価格では全く勝負にならない。ここ高山町以外、日本で茶筅を作っている地域は既に無くなっているとの話は衝撃的だった。

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作業は8つの工程の分業制であった。1つの工程に5-6人の職人がいるとのこと、全体で50名を抱える工房であり、谷村さんはその総指揮者的な存在である。実際に出来上がった茶筅を見てもらう。正直茶道などをしたことがない私には、茶筅の良し悪しは分からないが、これを使うと抹茶がクリーミーになる、というのは何となく分かる。そこには値段の差がはっきり出るのだろう。『本当のお茶会では茶筅も茶碗も全て新品を使うことになっている。茶筅は一度しか使わないで欲しいというのが職人の願い』と言われ、その貴重さにビックリ。ただ日本の茶道人口は減ってきており、茶筅の需要も減少してきているのはとても残念な話だ。

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更にスス竹という特殊な竹で作られた茶筅の鮮やかさには目を見張る。茶道をしているSさんは思わず『欲しい』と声を出し、目を輝かせたが、『スス竹はこの辺でも既に殆どないので、現在注文を受けても数か月待ち』との説明を受けて断念した。価格も1本、2-3万円はするらしい。これはもう伝統工芸品の域に達しており、それだけの価値のある見事さだった。

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