《台湾お茶散歩2》2006(1)

1年に一度も台湾に行かない、と言うことはやはり出来ないようだ。何だかんだで、忙しい訳だが、行けない理由は見つからない。怠け癖が付いた???新茶も出揃った頃だし、航空券を予約した。今回は僅か3日の旅ではあるが、行くとなれば、それはそれで嬉しい。

1.成田空港
(1)空港まで
今回は節約して、一番安いルートで成田空港へ行こうと考えていた。JRの快速に乗ればそれ程時間が掛からずに行けるらしい。朝も早く起きられた。4時半である。6月の東京の朝は早い。直ぐに明るくなる。

しかし大きな荷物を持つ私は電車に乗ると気が変わる。新宿からリムジンバスに乗ろう。何だかそんな気分である。このバスは15分に一本出る。空港の出発階に到着する。便利さには勝てない。バックは担いでいてもただの中年おやじ。

6時のバスに乗る。さすがに空いている。何故か60代の女性が3人、元気に話し込んでいる。他の人々は皆眠りこけている。若い女性が口を開けて寝ている姿は平和そのものである。

朝の首都高も空いている。あっと言う間に風景が変わる。人影のないお堀端、日銀の旧館も見える。こうやって上から見るとなかなか格好が良い。ディズニーランドもまだ動き出してはいない。いつもは通勤途上で急いで本を読んでいる私ではあるが、こうやってゆっくりと外を眺めていると何だか落ち着く。

私は一体何をやっているのだろうか??ぼやーっとした頭を掠める。本当にお茶が好きで出掛けているのだろうか??本当に台湾が好きなのだろうか??本当は何がしたいのだろう??日本の生活に疲れている自分がいた。

(2)引越し
結局70分ぐらいで到着。速い。今回もエバエアーを使う。ANAとの共同運航便である。何と、何とANAなどのスターアライアンスは全て本日より第1ターミナルに移動していた。初日である。バスを降りると報道陣がいる。

中に入るときれいである。ANAのカウンターで開いている所では、チェックインする客に報道陣がフラッシュを浴びせている。私は慌てて目深に帽子を被る。まるでハワイに遊びに行く芸能人のように。HISのカウンターの場所もよく分からないが、足早に動く。

HISでチケットを貰ったが、指定されたチェックインカウンターには全く人がいない。どうなっているのか??何度も確認した挙句に、全日空でチェックインしているという。行くと又報道陣がマイクを持って待っている。やだなあー。何とかすり抜けカウンターへ。空いているので直ぐにチェックイン。

何とチェックインは機械で行うようになっていた。勿論初日なので横に係員がいる。しかし『チケットを入れてください』というので、入れるとエラーとなる。チケットを切っていなかったのだ。注意してくれないと皆間違うだろう。混乱が予想される。国内線同様自分で好きな席を選べるのは良い。

イミグレも人が殆どいない。前と比べると少し遠くなっている。イミグレを越えると店が並んでいるがここもお客は殆どいない。逆に初日ということで店の関係者が多数来ているので、返って入りにくい。皆少ないお客に懸命に呼びかけており、恥ずかしい。上司の前で懸命になるのは万国共通としても、お客のことも考えて欲しい。

開業記念セレモニーもこの後行われるようで、丁度リハーサルをやっている。兎に角私の乗る台北行きは今日の一番機である。新ターミナルの準備はまだ終わっていない時の出発となった。

搭乗口に行っても人が少ない。この飛行機はガラガラなのだろうか??搭乗しても半数も乗っていない。そして、やはり・・・??アナウンスがあり、『チェックインで機械の故障があり、搭乗者を待ちます』とのこと。悪い予感的中。

それから1時間以上搭乗者は乗ってこなかった。一体どんなトラブルがあったのか??飛行機は定刻の1時間半遅れで離陸。恐らく一番機の栄誉は無くなったのであろう。

2.坪林
(1)坪林へ
結局台北に到着したのは1時間遅れ。前回は関空や福岡から同時刻の到着があり、日本人でイミグレは満員、かなり時間が掛かったが、今日は遅れた分、人がいなくてスムーズ。

バス乗り場で新店行きのバスがあるか聞いたが、無かった。これから直接坪林の茶農家張さんを訪ねる予定であったが、時間が遅れているので迷う。仕方なく丁度着た台北行きに乗り込む。車中で携帯を使って連絡しようと思ったが、香港から持ってきた携帯でローミングができない。家内が安い携帯チップを買ったせいだろう。さて、どうしようか??

取り敢えず本日の宿、老爺INNに行って電話しようと思ったが、降りる所を間違えて台北駅まで来てしまった。仕方なく、駅で公衆電話を探す。最近はカード式電話が多く、コインでかけられるものは少ない。ようやく見付けて張さんに電話すると当然のように『今から木柵駅に迎えに行くから30分後に』との答え。

遅れてしまったし、夜も予定があるし、と言ったことはここでは通用しない。電話したからには行かなければならない。それが掟である??兎に角急いでMRTに。木柵駅は木柵線にあるので、ここからは板南線に乗り、乗り換えなければならない。間に合うか??

MRTは実に便利な乗り物である。次に電車が何時来るかも表示されるので、安心。これなら間に合いそうだ。ところで張さんの家から木柵まで30分で行けるとは思えない。前回送ってもらって時は確か小1時間掛っていたから大丈夫だろう。

30分以内に木柵駅に到着。何も無い駅である。何故ここで待ち合わせなのか??電話しようと公衆電話を探すとタイ人と思われる女性が電話中である。友達とで話しているか、なかなか終わらない。指で残り金額の表示板を指して、まだまだ話す姿勢を見せている。こちらも時間に余裕があると思っているので鷹揚に構える。

5分後ようやく電話した所、張さんは既に到着していると言う。車のナンバーを聞いて外へ出る。しかし見つからない。どう見ておかしい。もう一度電話すると、何と木柵駅ではなく、終点の動物園駅にいることが分かった。また一駅MRTに乗り、何とか再会を果たす。

彼は木柵駅という駅があることを知らなかったようで、木柵といえば、動物園だと思い込んでいた。しかし又随分早く着いたと思っていると、昨年7月に訪れて以降、この1年の間に新しい道路が開通していた。そして車はあっと言う間に我々を張さんの自宅を運んでしまった。台湾もまだまだ進化している。

(2)張家の飲み会
張さん宅は特に変わっていなかった。いつもの茶を飲むテーブルに着く。今年の包種茶は出来がいいという。楽しみである。4月に茶摘が行われ、直ぐに品評会もあったようだ。彼のお茶は又賞を取っていた。素晴らしい。

早速味わう。大きな薬缶でたっぷりと湯を沸かす。そして大振りの蓋碗に注ぎ込む。葉の間から茶渋が噴出す。色は薄い緑。包種茶の色合いだ。かなり離れた場所からも香りが立っているのが分かる。

 今年のお茶は清淡である。気候のせいだという。包種茶のあの独特の強い香りがない。代わって非常にまろやかな味わいに出会える。これは嬉しいやら、悲しいやら。張さんにすればこの茶の出来は満足だという。そうかもしれない。何しろ香りがまろやかな方が顧客にも喜ばれるのだろう。

コストも上がっているようだ。原油高の影響は色々な所に出ている。今年はお茶の値段も20%ほど上がっている。張さんは心配そうに、日本の友達はこの値段で受け入れてくれるのか、聞く。それでもこのお茶を日本で買ったら大変な値段になるので全く問題ない。

そんなことを話していると、あれよあれよという間に近所の人が3-4人集まって来ていた。私が来たことを知らせたのだろうか?小さな子供もやって来て、盛んに私にちょっかいを出す。面白いので相手をする。張さんのお父さんもやって来た。思い出せば5年前初めて訪れた時に一生懸命日本語を思い出そうとしていた姿が忘れられない。

お父さんは5年前と全く変わっていない。お茶のせいであろうか??肌もつやつやしているように見える。盛んに『今夜はメシ食ってけ、泊っていけ』と言ってくれる。嬉しい限りである。時々日本語の単語を思い出すと使っている。前より思い出しているのでは??

 

近所のおじさんが盛んにお茶談義を仕掛けてくる。日本茶についても聞かれる。入間の狭山茶を少し勉強したので茶の製法などをその範囲で答える。やはり日本人は日本のことを知らないといけない。日本人のアイデンティティーが問われる。

その内何故か酒を飲もうと言う。台湾製のウイスキーが運び込まれる。大き目のショットグラスも出て来る。これは危険な兆候である。今日は夜台北に戻って日本人の友人達と会う約束がある、といくら言っても聞かない。辛うじて酒は飲まずに調子を合わせる。しかしお茶の香りは良いのだが、何故ウイスキーを飲んだり、タバコを吸ったりするのだろうか??

こんな言い方は失礼かもしれないが、これが田舎での客へのもてなしであると思っている。本当はそれに合わせるべきであるが、私は私のポリシーで動こうと思っている。酒は飲まない。しかしつまみとして出てきた煎り豆は最高であった。塩味が効いていて煎り方も上手い。この豆が自家製だと聞いて、夕飯をご馳走になりたくなったが、辛うじて押さえた。

話はお茶の話から、台湾の政治、例えば陳総統の息子の疑惑や、日本の小泉首相の人気などへ発展する。そして日本人は台湾に関心があるかと聞かれる。残念ながらかなり断片的にしか台湾のことを知らない人が多いと言わざるを得ない。これはいつも台湾で私が悩むことである。台湾人は日本のことをよく知っているが、日本人は台湾に関心が薄い。特に最近は中国大陸一辺倒の感がある。どうしたものだろうか??

宴会が何時終わるのか分からないので外に出てみると、雨が降りそうだ。靄が懸かる山並みに茶畑が映える。何時見てもいい眺めである。飼い犬も既に慣れていて吼えたりしない。足元でゆったりと待機している。

 

しかし考えてみればどうやって帰るのだろうか??時間は既に6時。張さんは酒をかなり飲んでおり、とても運転できる状態ではない。うーん、お父さんは採ってきた野菜を剥いている。これで夕飯は免れないか??

すると近所の人々が帰り始めた。夕飯の時間のようだ。面白い。昔日本でも夕飯の時間になると誰かが呼びに来て帰っていった。あの姿が忘れられない。『Always 三丁目の夕陽』という映画があるが、そんな気分になる。

そして意外なことに、一番端に座っていた人が私を送って行ってくれるという。なんと彼はお客さんだったのだ。日本なら有り得ない事だろうが、そこは台湾、何の問題もない。張さんとお父さんが何度も手を振る中、坪林を離れた。今回も僅か2時間の滞在である。次回はもう少し長くしよう。

ところで運転してくれている人は軍関係のお勤めだとか。確かに制服を着ている。木柵に住んでおり、包種茶が好きで何年も張さんの所に行って買っているそうだ。台湾には大陸反抗、祖国統一のスローガンがあったが今や有名無実。しかし未だに兵役がある。彼は総務担当ということで前線に出ることは無いが、今後どうなるのだろうか??

彼の実家は埔里という台湾中部の蝶々と紹興酒で有名な町にある。私は17年前にここを訪れたことがあったが、長閑な所という印象であった。実は近くの霧社の神社をお参りし、夜は廬山温泉に泊った。霧社では1930年に原住民が蜂起した霧社事件が起こり、その報復として日本軍は空爆や毒ガスを使用して反乱を鎮めたという忌まわしい過去がある。

その廬山温泉の宿で当時の生き残りであった首謀者の一人の奥さんからお話を聞いたのが印象深い。彼女は感情を込めずに流暢な日本語で淡々と事件を語っていた。その姿は話し慣れているとも言えるが、より一層深い悲しみを現しているというのが正しい感じであった。彼女は当時18歳で身篭っていた。いかにして生き延びたのか??肝心の部分は多くは語られなかったと思うが、その後の生活も含めて大変なことであったはずだ。

運転してくれている彼はそのことは当然知っているだろうが、非常に親切に対応してくれている。複雑な気持ちである。昔台北に駐在した時に良く味わった思いである。戦争の話を本当に自分のこととして話す、日本の勝利を信じていた、俺は日本人だったんだ、こんな話をよく聞いた。

李登輝前総統が『22歳まで日本人だった』と言っているが、多くの日本人はその意味を誤解しているはずだ。彼は本当に、ごく普通に日本人だったと思っている。植民地の被征服者として言っているのではない。誇りにさえ思っていると思う。そして同じような台湾人は何十万人もいるだろう。彼らは今の日本に人一倍失望している。昔の日本人には凄い人たちがいたという事実もある。

静かに車が木柵の駅に着いた。今度は本当に木柵駅に送ってくれた。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です