《台湾お茶散歩2》2006(2)

(3)夕飯
大きな荷物を持ってMRTに乗る。2回乗り換えて中山駅へ。この駅から歩いて1分の所に今日の宿がある。前回は広方園の湯さんに紹介してもらい、泊った所であるが、今回は会社の駐在員T君にお願いした。

チェックインして時計を見ると7時20分、既に夕飯の約束時間が迫っている。直ぐに飛び出してタクシーに乗る。長安東路と龍江路の交差点付近に予約された店がある。行ってみると良く分からない。よく見ると『九番坑』という看板はあるが、入り口のみ。言われなければ絶対分からない場所である。

2階に上がると入り口がある。隠れ家的な雰囲気がある。入ると大学の後輩Iさん夫妻とT君が待っていてくれた。後から北京時代に一緒だった新聞社のI君も来てくれた。北京以来I君とは5年振りである。先日新聞を見ていて偶然彼の記事を見付けた。見ると台北発だったので所在が分かったのである。

因みに他社のH君は今香港に居ることが分かった。新聞記者はぐるぐると回っているのである。北京時代彼は中国の雑誌社におり、一念発起して日本の新聞社に入った。その時北京で面倒を見てくれたのが、今毎日10時から古館一郎がやっている報道ステーションに出ている加藤千洋さんだったそうだ。加藤さんも大学の先輩であり、私も何度かお会いしているが、まさかテレビに出るとは思わなかったので、驚いている次第である。

この店の主人は九?の出身だそうだ。九?と言えば、映画『非情城市』。私が駐在していた1989年、一時帰国した際、妊娠中で日本にいた家内に誘われて見た。台湾に住んでいる人間を何故連れて行くのか??しかし見てみてビックリ。当時はタブーであった『二・二八事件』が映画の中に描かれていた。こんな映画いいのか??正直な感想であった。当然台湾では上映禁止であり、私は家内に感謝した。

店の名前は恐らくゴールドラッシュに沸いた金鉱のあった九?らしく、坑道の9番目ということらしい。そう考えればこの店の入り口が妙に狭くて、分かり難いのも頷ける。料理には九?料理と言うのは無いようで、主人が子供の頃に屋台で食べた庶民の味を再現しているそうだ。家庭料理といわれるのもちょっと違いと言っていた。

そういいながらも料理は結構斬新なアイデアが盛り込まれていて、見た目楽しい。たけのこスープの上に卵の細切りが載っていたり、魚のフリッターがあったり。味も日本人向き。そしてビールはコップではなく、椀で飲む。これはなかなか良い。ビールは普通のビールであるが、気分的には凄く美味しいビールを飲んでいる気になる。不思議だ。

遅くに別の宴会に出ていたKさんが加わった。前回Iさんから紹介されたKさんは何事にも好奇心旺盛。台北の小食レストランを紹介する本も出している。現在はエバエアーに記事を連載しているそうだ。

先程埔里に実家のある人に車で送ってもらった話をした所、ロングスティの話となる。台湾も最近55歳以上の日本人にロングスティビザを発給するようになったが、その第一号として中村さんという人が埔里に住んだようだ。しかし彼の要求があまり過度で、台湾中の話題になっているというのだ。

テレビにも登場し、埔里の人々や交流協会(大使館に相当)の悪口を言っているらしい。何ということであろうか??今や台湾で一番有名な日本人だそうだ。日本では1つも報道されないから誰も知らない話ではないか??何ということだろうか??これだから日本の台湾に対する関心が低いというのだ。これがアメリカのことなら直ぐにニュースになるはずだから。

6月3日(土)
3.阿里山
(1)阿里山へ
前日は12時近くにホテルに戻り、シャワーを浴びて寝たのは1時過ぎていた。しかし今回は3日間のショートステイ。ゆっくり寝てもいられない。今日は何と阿里山日帰りの強行軍。朝7時発の自強号に乗らなければならない。結局寝付かれず、6時前にはホテルを出た。

MRTで一駅乗って、台北駅へ。土曜日の朝早くでは地下には人もあまりいない。切符は簡単に買えた。嘉義まで600元。駅の中のセブンイレブンで朝ごはんとして、竹のこ饅頭とポカリを買う。りんご日報台湾版も買い込む。

 

7時発の自強号は空いていた。もう何回も乗っており、景色も珍しくないので眠ることにした。結構良く眠れた。桃園あたりで結構人が乗ってきたが、特に気にならず、下車直前まで寝られたのは大きい。

彰化、員林という駅を過ぎていく。17年前当時駐在仲間のKさんとクリスマスにゴルフ旅行に出たのを思い出す。2泊3日で台中にゴルフに行ったのであるが、1日目の午後に台中に到着して1ラウンド。翌朝5時に起きて、タクシーを拾い、彰化のゴルフ場へ。12月の冬至を過ぎたばかりで、まだ真っ暗な中、スタート。最初はキャディーが4人付いて、ボールの落ちる位置を確認するほど。

お客さんも少なく、18ホールを2時間強で終了。8時過ぎに朝ごはんを食べて、さてどうしようと、フロントに相談すると員林にゴルフ場があるので行ってみてはどうかという。クリスマスイブに朝8時のゴルフが終わってやることが無いのも冴えないので、シャワーも浴びず、ゴルフシューズを履いたまま、タクシーを呼んでもらい30分ほど行く。

員林のゴルフ場は戦前日本人によって設計されたという山岳コース。クラブハウスからロープウエーで下に下りていったのが印象的。かなりの起伏があったが、非常に楽しめた。そんな日はスコアーも良くて、午後1時半には18ホールを終了。キャディーは原住民の可愛らしい女の子。まだ時間があるのであとハーフしようと誘うと、18ホールしないのなら帰ると言われてしまう。可愛らしさに負けたのか、余程体の調子が良かったのか、OKしてしまう。尚Kさんはゴルフ気違い、何ラウンドでもやると言う。

とっぷりと夕陽が落ちる午後6時頃、18番ホールのティショットを待つために丘の上に腰掛けていた時、幸せな気分に浸りきっていた自分がいたのを覚えている。あの日は一日3ラウンドした記念すべき日である以上に、田舎でのんびり、ゆっくり暮らしたい、という原点であったかもしれない。勿論体力的にはきつかったはずだが、若かった。

クラブハウスに引き上げてシャワーを浴びて出てくるとフロントには誰もいない。タクシーを呼んでくれる雰囲気も無い。ようやくおじさんが一人いた。タクシーで台中に帰りたいというと、『タクシーは無いんじゃないか?』などとそっけなく言われてしまう。既にほぼ無人と化したクラブハウスに取り残されてしまうのは困る?と困惑しているとそのおじさんが帰り支度をして出てきた。

『途中まで送っていくよ』と気軽に言う。何と家が台中郊外にあるのだそうだ。何とも奇縁。おじさんの車に乗り、話していると『日本人がこんな所まで来てくれて嬉しい』と言ってくれ、結局ホテルまで送って貰った。何という一日だろうか。因みにこのおじさん、ゴルフ場の支配人であった。最初はクラブハウスに残られては困ると思い仕方なく、車に乗せたようだが、我々が3ラウンドしたこと、員林のゴルフ場が非常に気に入っていたことが分かり打ち解けた。いかにも台湾らしいエピソードである。

そんなことを思い出している内に列車は嘉義駅に滑り込む。

(2)石卓へ
10時半に嘉義に到着。過去2回ともここから同じバスでお目当ての石卓へ向かっていたので、慣れていた。11時10分にバスが出ることも分かっていた。一日に5本しかない、貴重なバスである。しかし時刻表を良く見ると色々な路線があることに気づく。

 

実は会社の後輩だった(既に転職した)K君はアメリカに留学したバリバリの欧米派であったが、留学先で台南出身の女性と知り合い結婚。今では大の台湾ファンとなっている。今回阿里山に行くというと、是非奥さんのオバサンの家を訪ねて欲しいと言う。

しかしよくよく聞くとオバサンの家は阿里山ではなく、梅山という隣の山にあり、車で1時間半は掛ると言うことで今回は見送りになった経緯がある。今時刻表を見るとここから梅山に行くことも出来る。次回は行ってみようか??茶の縁はどんどん続いていくもの。面白い。もう一つの発見は石卓に行くには、一日5本以外にも何本かあるらしいこと。あとで聞くと1時間に一本はあるという。何だ、慌てることは無かったわけだ。

バスターミナル付近では客引きのおじさんやおばさんが何人にも寄ってくる。タクシーの運ちゃんもいるし、山頂のホテルをアレンジするおばさんもいる。いつもは相手にしないのだが、時間があるので聞いてみると、ちゃんと日本語を話す。日本人でこのバスに乗る人は殆どいないようだ。確かにバスが何時発車するのか、言葉の多少分かる私でも不安であるから。

定刻にバスが出るが、先ずは街中を走る。途中で何人か乗ってくる。中には市場で買出しをしたおばあさんが大きな野菜の入った荷物を担いで乗ってきたりする。いかにもローカル。バスは半分も乗っていないので私は一番前に乗って、降りる時に備える。何しろ過去2回は、1回目は1バス停乗り越し、2回目は辛うじて少し過ぎて停めてもらった。何しろ目印はガソリンスタンド、見過ごせば大変。

しかし阿里山の公道で、ガソリンスタンドがここ1軒しかないというのが不思議。ガス欠になる車は無いのだろうか??山道に入って1時間、ようやく到着。降りた瞬間雨が大粒で降り出したのには正直参った。

 

 

 

 

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