《河南お茶散歩 2009》

2009年8月7-11日

《河南省お茶散歩》2009年8月7-11日

2009年8月7日(木) 
3.信陽

(1)信陽へ

タクシーで六安南駅バスターミナルへ。昨日降りた駅なのに、イメージは違っていた。昨日は雨の中、全く周囲が見えなかったからだろう。直ぐ隣に列車の駅があったのには驚いた。何故こんな街から離れた場所(と言ってもタクシーで10分ちょっと。街が小さいので感じるだけかも)にあるのだろうか??信陽行きのチケットを買う。77元。7時45分発だが、40分になっても何のアナウンスも無く、ゲートが開く気配も無い??よく見るとバスには既に数人が乗っている。聞いてみると、直ぐにバスに通された。乗ると5人しか乗っていない。もう一人を待ったが、きっと私と同じように分からなかったのだろう。さり気なく乗り込み出発。

Exif_JPEG_PICTURE

4時間半の旅と聞いていたので、これだけ空いていると気分が楽である。しかし、僅か10分後には郊外に出る辺りでトラックと危うく接触事故を起こしそうになる。急ブレーキでバックが飛んだ。ぶつからなくて良かった。バスは高速を行くのかと思うと、別の道を進む。地図で見ると明らかに遠回りであるが、恐らくこれがルートなのだろう。その証拠に道端からどんどん人が乗り始めた。途中で乗った女性は料金が高すぎると叫び出す。55元だと言う。50元に下げるように交渉が始まる。他の客も下げろと加勢する。途中乗車に定価はないのか??

言葉は方言であり、意味は不明。その内収まったので車掌のおじさんの勝ち。その後も客が乗る度におじさんは席の確保と料金交渉をしている。特に席の確保は見事。荷物を退かせ、子供を纏めて座らせ、席を作る。満員になったと思ったが、それでも未だ乗せようとする。最後は風呂で使う小さい椅子を渡して即席を作る。貰ったおじさんは結構辛そうだった。それはそうだろう。道はでこぼこ、車を避けるたびに右往左往する。この椅子では腰を痛めそうだ。途中また雨となる。雨になると心が暗くなる。今日は直ぐに止んだ、ラッキー。途中に胡族の村があった。・・・・

バスにリュックとバックを持ち込んだ私は足の置き場が無く、きつかった。更にきついのはバスが長距離であるのに、一度もトイレ休憩を取らないことだ。子供も何人か乗っていたが、よく我慢できたと思う。いや、最近歳を取ってトイレが近くなったのは私の方か??道端に田んぼがあり、米が植えられているのを見て、『この辺は米を食べるんだ』などと考えながら、トイレを我慢した。バスは事故も無く、予定より早く12時前には信陽のターミナルに入った。

 

  1. (2)ホテル

バスターミナルは大きかった。先ずは兎にも角にもトイレに飛び込む。ホッとする。地図を買おうとしたが、何処にも売っていない。外に出ると街中ではあるが、それ程きれいではない。田舎町の印象。目の前のタクシーに『信陽の良いホテルは?』と聞くと、『豫花園飯店』と答えたので、そのまま乗っていく。

タクシーは街中を抜けて、河を渡る。これまではごちゃごちゃしていたが、川向こうは道がすっきり。新市内であろう。ホテルはリゾート風。フロントに聞けば218元だと言う。不安であったが、部屋を取る。予感的中。これまでになく、汚い部屋。うーん。

 

部屋から出てフロントに戻ると、フロントにーちゃんが『よかったら部屋を変えませんか?料金は倍になりますが。』と聞くではないか?案内してもらうと、さっきの部屋とは雲泥の差。何故最初からここを勧めなかったのか?確かに私がパスポートを出した時、かなり動揺していたのはその為か??

Exif_JPEG_PICTURE

この新館、繋ぎの廊下には何故か『茶文化廊下』と名前が付けられ、両側にお茶の説明が並ぶ。その先にはお茶を飲ませるコーナーまである。ここから新館。部屋は全く違っていた。シャワーしかなかったが、部屋は広くてきれい。昨年出来たばかりらしい。当然こちらに変更した。

部屋に入り、電話を掛けた。秦さんから紹介された黄さん宛てである。黄さんは電話に出たが、残念ながら信陽にはいないという。それでも親切にも会社の部下であるもう一人の黄さん、黄経理を紹介してくれた。2時半にお店で会う約束をした。外に出るために先ずは地図を手に入れようと、フロントに行くと売店を指され、売店では隣の部屋に行くように言われた。行ってみると、部屋の中に地図が張ってあった。地図を売って欲しいと言うと困った顔をして、『最近信陽では地図をあまり売っていないので、この地図を見て欲しい』と言われる。こちらも困ったが、仕方なく、これから行くお店、バスターミナルなど必要な所を手書きした。こんな事はミャンマー以来か??

 

ホテルから歩いて行く。少し行くと河があり、橋を渡る。渡った所に『熱乾麺』の看板があり、お腹も空いたので中に入る。既に時間は午後2時、店では常連さんが世間話をしていた。この店には何とランチメニューがあったが、私は麺にした。麺はきしめん風、味は唐辛子、生姜などが混ざり、更に牛肉のひき肉をベースにしたソースは非常に濃厚で旨い。1杯3元。

 Exif_JPEG_PICTURE

 

(3)茶店

店を出ると喉が渇く。お茶屋さんに行くには時間があったので、何か冷たい飲み物を買おうとしたが、見付からない。飲み物は売っているが冷蔵庫に入れていない。東方紅大道と言う立派な名前の付いた道でもである。何故?アイスは冷蔵庫を使っているのだから、恐らくそのような習慣なのだろう?

賑やかなショッピングセンターらしい所に出た。ケンタッキーがあった。安徽省もそうであったが、ケンタッキーの進出はもの凄いものがある。マックの比ではない。中国人は鶏肉が好きなのだろう?救われたように中に入り、セブンアップ大を頼んでしまった。正直収入が大都市に比べて少ないと思われる信陽であるが、若者や子供が沢山いた。

 

2時半になったので中山北路にあるという黄さんのお茶屋さんに向かった。ところが・・?中山北路は直ぐに分かったが、この街には番地表示がなかった。205号を探したが、全く分からない。お店を出している女性に声を掛けて聞いたが、『知るわけ無いでしょう』との答え。自分の店の住所も知らないらしい??

結局東方紅大道から中山北路に入って直ぐにあった立派な茶館とお茶屋さんのあるビルに入って聞くと『ここだ』と言う。更に一人が奥にどうぞ、と言う。それが黄経理であった。彼はこの店を任されている。かなり若い。

 

この店は劉文新氏が1992年に設立した集団。劉氏は1972年生まれと言うからまだ若干39歳。信陽郊外の貧しい農村で生まれ、18歳で茶を売り始めた。持ち前の頭の回転の良さを生かして、瞬く間に頭角を表したと言う。今では従業員200人、信陽に4店舗、省都の鄭州には7店舗を構える茶荘・茶館を展開。信陽でかなり有力な企業集団となっている。彼らは07年に日本で開かれた中国10大茶葉大会?に省の代表として参加したとか。

 Exif_JPEG_PICTURE

お店は明るく清潔。茶葉も1回1回使えるように4gずつ小分けにしている。お土産として人に送ることを前提としているようだ。茶葉を見せてもらう。信陽毛尖は産毛がかなり多い、細やかな茶葉。特に白い葉が多く入っているものが高級らしい。黄経理は茶葉を掴む場合もビニールの手袋をして行う。素手で掴むと汗などの湿気が残りの茶葉に付いてしまうと言う。拘りと言えば拘りだが?そこまで考えなくても良いのでは??お茶はお店の店員が普通のお茶を出してくれるのみ。

Exif_JPEG_PICTURE

茶葉は信陽市から車で1時間ほど行った獅河港と言う街の付近で採れると言う。海抜は800m以上、黒龍潭などの地名が見える。夏でも茶葉はあるが、やはり山に入るのは不便だそうだ。黄経理にこれ以上迷惑を掛けるわけにも行かず、産地行きは断念。信陽市からはかなり離れた場所に新県と言う所がある。こちらは日本にかなり茶葉を輸出しているらしい。玉露と言う名前を付けているので、京都あたりへ出しているのだろうか?因みにこの地域もかなり貧しく、昔は将軍を多く排出している。食べられないので軍隊に入る。昨日六安で見た金塞県の状況と酷似している。やはり茶葉の産地はかなり厳しい状況に置かれていた、と言うことである。

 

茶館も見学させてもらった。金曜日の午後であったが、かなり賑わっていた。かなりシックな造りで、高級感はあった。最低消費は僅か一人10元ということで、北京などとは全く違う料金設定。2階には個室が幾つかあり、最低消費は20元。こちらはソファーあり、麻雀卓あり、トイレも付いていた。商談する人なども多いと言う。

信陽人はかなり堅実らしい。食事は別の所でしてから茶館へ来て、マージャンかトランプをしていると言う。鄭州のお店では食事とお茶を両方出すそうだから、信陽独特の光景らしい。消費水準の差が大きいとは思うのだが。

(4)茶葉市場

お店を出て、バスターミナルに向かう。明日何処へ行くかが未だ決まっていなかったのだ。バスは武漢まで3時間、鄭州まで4時間でいずれも豪華バスとのこと。但し一番行きたかった西安行きは時刻表の表示にはあったのだが、聞くと無くなっていた。どうしても西安には行けない宿命なのだろうか??(今年の5月の労働節にもホテルを予約していたのだが、新型インフルの影響で取り止めている)

西安に行きたければ列車で行け、と言われたので、外へ出て駅へ向かう。すると、ターミナルの横に何故か茶葉市場と書かれた道があった。行ってみると10軒ほどの小さな茶屋があったが、誰もやる気が無く、トランプに勤しんでいた。どうやらここは最近移転させられたという茶葉市場らしい。

Exif_JPEG_PICTURE

 

では新しく建てられた市場は何処に??ホテルの人は東方紅大道にさっきあったケンタッキーの裏だと言っていた。黄経理は既に市場は解体され、茶屋は分散したと言っていた??どちらが本当か、訪ねて見た。バスターミナルから東方紅大道に出る。雨が降っていた。何となく寂しい。ケンタッキーの後ろに回る。何だか立派なマンションがある。その向こうに『文化第一』と名付けられた茶葉市場があった。

 Exif_JPEG_PICTURE

昨年移転したとのことで、きれいな店が並んでいたが、何となく風格が無い。お茶屋さんの雰囲気が今一つ。それにここもまた夏の淡期、皆トランプに余念が無い。私が歩いていると皆不思議そうにちょっと見ては、またトランプに戻る。かなり疲れていた。休みたい気分になり、一つの店に入って見た。そこには雲霧茶と書かれていた。おばあさんがやってきて、茶葉を見せてくれた。冷蔵庫から大事に取り出す。500g、450元と言われた茶葉は黄経理が見せてくれた物の半値か?

おばあさんから話を聞きたかったが、残念ながら訛りが強すぎて、聞き取れない。辛うじて地図を見ながら、おばあさんの故郷の場所を確認。やはり獅河港から少し行った所だが、地図にも無い。お互い言葉も通じず、地図の細かい字も読めず、悪戦苦闘。娘さんがいたのだが、何故か殆ど助けてくれない。結局6時になり、店を出た。

 

ホテルに戻る途中に、橋のたもとに八一路歩行街と言う歩行者天国があった。車も少ないので歩行者天国もないものだが?何故か羊料理の店に入り、爆葱羊肉を辛いと感じながら食べた。八一橋を渡ると、心地よい風が吹いてきた。そろそろ疲れてきたようだ。

 Exif_JPEG_PICTURE

8月8日(土)

2.鄭州へ

疲れたが溜まってきたが、そういう時は寝付かれない。結局PCなどを繰り回し、遅く寝た。翌朝はゆっくり朝飯に行った所、食べる物が殆どなかった。このホテル、新館のファシリティーは悪くないが、やはりかなりのローカルホテルであった。雨が降ってきた。どうしようかと思ったが、タクシーが来たのでバスターミナルへ向かう。実は今日何処へ行くかは相当に迷った。やはり昨日4時間半休みなしのバス旅をしたことは堪えた。出来れば長くバスに乗るのは避けたい。

河南省の省都鄭州までは4時間、西安にも行きたいと思ったが、何と直接バスなし。うーん、武漢は3時間で行けた。どうしようか?22年ぶりに武漢、しかも最近24歳のマルチタレント田原(女優で作家でミュージシャン)と会っていたので彼女の故郷を見たい気持ちもあった。昨晩ネットで検索すると武漢のホリデーインは合肥よりも更にかなり安かった。と言うことはきっとかなり暑くお客が来ないのだろう??

結局運任せとした。きっぷ売り場で鄭州と言ってみて、30分以上出発がなければ、武漢と言う。早いほうに乗ることに。結果は呆気なく『もう直ぐ出るから早く行け』の声で鄭州に決まった。バスを見ると何となく安心。豪華そうなバスである。思わず写真を撮ると若い女性(車掌さん)が『何しているの?』ときっと睨む。が、バスに乗り込むと何と小型トイレが付いていたので気持ちが一気に楽になる。席で発車を待つと、車掌さんがやってきて、今度はにこやかに、パンと水をくれた。オー、これは豪華だ?因みにこのバスは89元。確かにこれまでで一番高い。お客は数人しか乗っていない?出発した。また昨日の悪夢が??一体何処で残りのお客を乗せるのだろうかと身構える。ちょっと行くと直ぐに高速の入り口付近に来た。数人が荷物を置いてしゃがみこんでいた。この人々か、と思ったが、素通りし、何と高速に乗った。『直通バス』は本物であった。

Exif_JPEG_PICTURE

 

この高速は快適であった。天気は小雨から曇りへ。気持ちは軽やかであった。信陽を離れた所で景色が一変した。それまで周囲の風景が田んぼで米が稲穂を垂れていたが、駐馬店と言う街に近づくと、全てがとうもろこしに変わった。これが聞いていた小麦文化の河南(小麦と米の境目)である。これより北は米は食べないのだ。

昨日お茶屋でも話していたのだが、北緯32度が河南の茶の生産ラインらしい?沿海部では上海の上あたりだから、内陸部はラインが低い。恐らくこの線に沿って、米作が行われていたと思われる。本来北京は勿論東北地方でも米作は行われていなかったはずだが、日本が東北(旧満州)に米を持ち込んだので、現代の我々は中国では何処でも米が取れると錯覚する。

河南省に来るのは今回が初めてであるが、駐馬店は聞き慣れた地名である。私がいつも通っている脚マッサージ屋は河南省出身者で占められており、特に仲の良かった子の出身地が駐馬店だったのだ。しかしここに来るまで地図で確認したこともなく、場所は知らなかった。結構河南省の南の方にあるんだな、と言う認識と、ここからバスで十数時間乗れば北京に戻れるという実感があった。彼女らは電車ではなくバスが快適だといっていたが、確かにこれなら眠っている内に到着するだろう。当たり前だが、今回は何の波乱もなく、バスは僅か3時間で鄭州市内に入った。

しかしいつになってもバスターミナルに到着しない。土曜日の午後と言うこともあるのか、結構渋滞している。道も広くない。外を見ていても特段特徴が感じられない。面白みのなさそうな街だ、というのが第一印象。2つバスターミナルを通過したが?ようやく到着したターミナルは駅前の込み合った中にあった。普通であればターミナルは郊外に移して、このように効率の悪い運行はしないものだが。地図を買うとおじさんが丁寧に現在位置を教えてくれたが、それに寄ればこの街は大きくないように見えた。

 

ターミナルを離れてタクシーを捜したが、駅前の混雑で拾うことが出来ない。歩いていこうかとも思ったが、方向に自信がない。何とか大通りでタクシーに乗り込む。『ホリデーイン』と言ってみたが通じない、あれ。道の名前を言うと走り出す。

(1)ホテル

結局車で10分以上掛かった。二七塔と思われる下を通って以降何処を走ったか良く分からない。そして何と?ホリデーインは敷地内に3つもあった??取り敢えず中に入る。フロントで聞くが850元と言われ、驚く。ここはクラウンプラザと言う高級ブランドだった。それにしても鄭州でこんなに高いの?フロントのお姐さんは如何にも不愉快そうに首を縦に振る。

何だか言語が通じていない気がしたので英語で聞いてみる。もう一人のお姐さんが愛想よく『これは週末パッケージです。月餅一箱も付いています。』と答える。夏休み特別企画か。月餅はいらないので、もっと安い所をお願いするとさっきの姐さんが蔑む様に『裏に回れ』という。裏のホリデーインも古びていた。それでも658元もするのだ。部屋は狭く、今一。ようするに鄭州にはいいホテルが少ない。それと夏休み、洛陽、開封を見学する場合、地の利から言って、鄭州に宿を取る。仕方なくチェックイン。

Exif_JPEG_PICTURE

それにしてもこのホテルは80年代の建築ではないか?隣の格安ホテル、ホリデーインエックスプレスの方が余程新しいことに後から気が付く。後の祭り??明日は引っ越そう。しかしフロントのお姐さんはさっきの人と違い、丁寧に対応してくれた。開封や洛陽へのバス乗り場を尋ねると色々と問い合わせてくれた。翌朝の朝食も人が少なく、満足のいくパンを食べた。引越しは取りやめ、2泊した。

8月10日(月)

3.洛陽へ

朝何と寝坊した。目覚ましも掛け忘れた。旅の疲れか?気の緩みか??急いで朝食を食べる。メニューは昨日と同じ。最後にバナナを一つ持ち、素早くチェックアウト。ホテルの門のところで、タクシーが客待ちしていた。バスターミナルと言うと洛陽まで送ると言う。しかし最低450元と聞いて止めた。古いホテルにはこのように外地から来た人間を相手に料金を吹っかける輩が未だにいる。もう21世紀なんだし、そろそろ止めたらどうだろうか?彼らの時代は終わったはずなのに。昨日の開封のタクシー運転手たちとは大違いだ。

道路に出てタクシーを拾い、昨日同じ徳芸駅へ。ここは開封行き専門かと思っていたが、ちゃんと洛陽行きもあった。しかも30分に一本と聞いていたが、何故か直ぐに出るバスがあった、ラッキー。しかし荷物検査を済ませてバスに乗り込もうとすると検査していないと言われる。良く聞くと荷物を通してから、また元に戻りシールを貼ってもらうとか??それなら最初から検査員の方で荷物が出てくる所にいればよいのだが???この検査、形式的にやっているにしては、良く分からない。

バスは大型で空いていた。ラクチン。料金も僅か41元。タクシーの10分の1以下だ。20分ほどで高速に乗る。洛陽までは約100km、バスは思いの他、ゆっくり走る。時速60km??安全のためにはこれが良い。途中で山間に入る。段々畑が少しだけ見える。数箇所のトンネルも潜った。確か歴史の授業で習った長安と開封の間を隔てる山とはこれか??何となく歴史を感じる。そして特に意味も無く、これからの人生を考える。

そうこうする内に高速は洛陽で下りた。しかしここは郊外、市内までは約30分掛かった。旧市内はかなり細い道が多く、渋滞となっていた。すると車掌が途中のバス停付近で『ここで降りても大丈夫』と怒鳴り、皆一斉に下りた。私も釣られて下りた。直ぐにタクシーが横に来たので調べておいた洛陽一のホテル利豪酒店に向かった。

(1)ホテル

運転手に『龍門石窟と白馬寺に行きたい、半日チャーターするといくらだ』と聞いてみたが、ずっと考えて答えない?もう一度聞くと『基本的にはチャーターはしないので分からない。でも行きたいなら連れて行くよ。』と言う??ホテルのボーイにも後で聞いたが、やはり同じ答え。

ホテルは昨年1月にオープンしたばかり。周囲は新区であり、非常に清潔。ルームチャージを聞くと『携程で予約した方が安いんですよ、50元ほど』と言われたが、もう面倒でそのままチェックイン。652元。部屋は広く、周囲も広々としていて気持ちが良い。大手企業の広告が出ているビルが数棟と高級そうなマンションが幾つかあるだけ。洛陽の新しいスポットになるのは数年先か?

ビジネスセンターで明日の北京行きの航空券を予約しようと思ったが、担当がいないと言うことで、依頼して外へ出る。洛陽空港はフライトが殆どなく、もし明日の午前便が取れない場合は、鄭州に戻ることになる。それでもなるようにしかならない、との考えで出たとこ勝負。

(2)龍門石窟

タクシーに乗る。今度はきれいな車。北京のタクシーと同じである、何故?運転手は普通にメーターを倒す。龍門は値段交渉をする必要も無いほど、近かった。新区にあるこのホテルからは僅か5-6kmではなかろうか?料金16元。道も真っ直ぐ、龍門大道を行く。運転手は親切で出来るだけ切符売り場の近くまで乗り付けた。

 

それでも電瓶車と呼ばれるカートで4元を払って、1km以上走り、ようやく切符売り場へ。横には川が流れ、柳が靡き、結構気持ちが良い。入場料120元は今回で最高額。

Exif_JPEG_PICTURE

河に沿って、山が続く、その斜面に石窟が彫られている。小さな石窟は風雪によってか、また文革などの迫害にあってか、頭や顔の無い仏像が目立つ。しかし比較的大きな石窟ではしっかり仏像が残っており、見るべきものがあった。

493年に北魏の孝文帝が洛陽に遷都(大同より)したことにより、石窟の造営が始まったとされる。その後北宋頃まで掘り続けられ、現在では敦煌、雲崗と並ぶ中国3大石窟の一つとなり、世界遺産にも登録されている。特に大きな仏像が並んだ中央部分(奉先寺)は迫力があった。唐代の則天武后をモデルにしたと言われる廬舎那仏、力士像が並ぶ。圧巻である。その他、洞の中の天井部分に蓮の花が見える蓮花洞、小さな仏が無数に置かれている万仏洞など、大小多数の洞が所狭しと並んでいる。

Exif_JPEG_PICTURE

先日甘粛省蘭州郊外のヘイ霊寺で見学した石窟も黄河の支流に合ったが、規模がそれよりかなり大きい。尚ヘイ霊寺では石窟の写真を撮ることは禁止されていたが、今回は写真撮り放題であった。仏にカメラを向けるのは気が咎められたが、取り敢えずシャッターを押す。

 

また階段がかなりあり、上り下りも激しい。今日はそこそこ涼しいはずで、風も吹いてきたが、やはり汗が出た。西洋人も多く見学しており、ガイドも英語の他、ドイツ語なども聞かれた。

Exif_JPEG_PICTURE

一通り見終わると、出口を出て橋を渡る。今度は反対側に回り、西山石窟の全貌を見る。良い眺めである。何だかありの穴が無数に開いた状態を横にしたような感じだ。更に歩くと香山寺があったが、疲れていて急な階段にたじろぐ。パス。

切符売り場の対岸まで来ると白園があった。唐代の大詩人、白楽天の墓がある場所である。園内に入ると(入場料は石窟に含まれていた)、日本的な庭園が見えた。緑が深く、池が配され、花が咲く。中国にもこのような場所があったのか??

 

山を登るとお墓があった。円形の土盛り。周囲には各国から寄せられた碑が建っている。日本も碑を建てていた。韓国やシンガポールもあった。白楽天の詩が如何に人々に愛されていたかが分かる。

 Exif_JPEG_PICTURE

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です