《湖南お茶散歩 2008》(2)

9月14日(日)
(3)君山へ
翌朝7時頃起きて朝食を食べようと思ったが、昨日同様何度もトイレに駆け込む。一体これは何だ?後で鍼灸師Mさんに聞いてみると、『それは正常な胃腸の行為である』と言う。旅行に出て、北京での緊張した生活が緩んだこと、空気が変わったこと、そして辛い料理を食べたことにより胃腸が刺激され、体内に残されていた宿便が搾り出されている。これは体の浄化にとって極めてよい。

2時間ほど休んで漸く部屋を出た。さて、今日は今回のメインイベントである黄茶の産地、君山へ。と言ってもお茶屋のQさんのメールには『君山へは駅前からバス。タクシーが速いかも。約1時間。』とのアドバイスしかない。更に訪ねる先は『君山公園、工場のGさん』としかない。

いつもの事ながらこれだけの情報でよくもここまで来たものだ。体調の事も考えてタクシーを捜す。ところが・・、運転手はメーターでは行かないと言う。150-200元を要求。うーん、何となく高い。探しまくった結果、1人だけ100元で行くと言うので乗る。そんなに遠いのだろうか??

街を疾風のごとく抜け(地方都市のタクシーは本当に恐ろしい)、トンネルを潜り、洞庭湖に架かる大橋を通る。その先に料金所があり、25元も請求される。これがガンだったのか。と思うと運転手は行き成り料金所手前で待っていた男女2人に声を掛け、乗せる。

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これが100元のカラクリ。料金が足りないので途中で相乗りさせるのだ。1人10元で君山の街中へ。こんな寄り道も楽しい。何となく新しい街がそこにあった。2人を降ろしてから、また湖方向へ。10分ほど行くと、突然着いたと言われる。

着いたところには何もなかった。但し車が何台も駐車してあったので何かあるのだ。本当にここかと確認するとそうだ、と言って運転手は去る。美しい湖があり、1本の細い橋が架かっているのみ。他にやることも無く、橋を渡る。すると・・。

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その先に建物があり、そして渡し舟が停まっている。既に20人ぐらいの客が乗っており、口々に『速く出せ!!訴えるぞ!!』等と言っている。そんな所へのこのこ乗っていったので一斉に視線を浴びる。私が待っていてくれと言ったわけではない、と目で訴える。料金20元(往復)。

船はゆっくり湖を渡る。これがエンジンのない、船頭のいる渡しだったら、唐代の詩人の気分であろうが、少なくとも現代の詩人の気分にはなれる。養殖用の網が見える。何を飼っているのだろうか?湖底に生える草の頭が出ている。ミャンマーのインレー湖を思い出す(そこまで湖面はきれいではない)。20分ほどの小旅行を楽しみ、島に上陸。何と君山は島だった(そんなことも知らないで行ったのか?)。

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(4)君山公園
帰りの船の時間すら分からない中、君山公園に突撃。今日は天気のよい日曜日、それでも人は多くはない。入場料60元を払い中へ。茶工場の場所を尋ねると『あっち』と言った冷ややかな反応が。土産物屋のねえちゃんも面倒くさそうにその先で聞いてと。

この公園は湖に面しているので、湖岸を歩くと爽やかで気持ちがよい。が、工場の場所は一向に分からない。右側に洞庭廟と言うお寺が見える。かなり大きい。更に行くと、湘妃祠がある。古代の皇帝舜の二人の妃のお墓だそうだが、どうであろうか??大体君山は島中が小山になっており、古代は仙人が暮らした場所らしい。そう言われてみて見ると、離れ小島の山の中の洞窟がいそうな気がする。

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もう少し行くと茶店がある。お茶を売っている。売り子のオネエチャンが一生懸命説明してくれる。でもビンの中にあるお茶はどう見ても上等ではない。金の亀を見せてくれるなど大変気を使ってくれたが、最後に工場の場所を聞くと『知らない』と不機嫌になる。

その後少し山の中を散策。ここに入る観光客は無く、全く一人。所々に茶畑がある。但し完全に管理されているようには見えない。勿論今はお茶の季節ではないので、放置しているのか??

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更に行くと湖に出てしまう。島の裏手だ。しかし正面入り口に戻ることは出来ずに横道に。するとそこには少し人影がある何棟かの宿舎が建つ。後で聞けば、昔はここに人が住み、お茶を作っていたが、今では住まいは対岸の君山の街に移り、お茶を作る時だけここに寝泊りすると言う。それでも鶏が沢山出てきて餌をつついていたから、勿論廃墟ではない。

仕方なく戻る。途中にある土産物屋のばあさんに聞くと『今日は中秋節の日曜日。誰が出勤するかね。』とけんもほろろ。こちらもとほほとなり、すごすごと引き下がるしかない。確かにそのとおりだ。ばあさんは確かに高さんという人はお茶のセラーだと言っていた。事務所は実は入り口付近にあるというのでそこへ。湘君園飯店、立派な建物があった。『岳陽市君山茶場』、入り口に看板が掛かっている。

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中に入ると高さんの部屋は2階だという。しかし部屋に行くと鍵がしっかり掛かっていた。2階の全ての部屋に鍵が掛かっていた。やはり今日出勤する人などいないと言うことだ。仕方なく降りる。ここは君山の茶葉を直販する場所。後に東京でQさんにここで仕入れた茶葉を飲ませてもらった。非常に細かく、葉が揃っていた。驚くべき繊細さである。一体いくらするのかは教えてもらわなかった。

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飯店の横に茶荘があった。取り敢えず入ってみる。おばさんが出てきた。お茶が2種類並んでいる。君山銀針、君山毛尖、先が黄茶で後が緑茶。どう違うのか。銀針の製造工程は複雑。君山では製造方法の細部を秘密にしているとのこと。また銀針には君山で栽培される茶葉を使った黄針と別の場所で作られた茶葉を使って作る緑針があるということが分かる。実はお茶会で以前頂いた君山銀針はまさに緑色、緑針であったことが分かる。

3つのコップに茶葉を入れる。お湯を注ぐ。色が違う。黄針は茶葉が太っていく。きれいにコップの底へ落ち、ある葉はまた浮き上がる。非常に幻想的な光景が醸し出される。嬉しい気分になる。おばさんは丁寧に説明してくれる。フェリーの時間も気にならなくなる。

 

1時間弱ボーとしていただろう。ふと我に返る。そうだ、どうやって戻るのだろうか。おばさんに聞くと、いつものフェリーは11時半で次は2時半だと言う。時計を見ると何と11時半を過ぎている。えー・・・??

(5)岳陽に戻る
急いで埠頭へ。と言っても何もない。さっき降りた場所である。団体さんが十数人木陰で待っている。と言うことは今日は臨時便があるはず。ホッとするが、時間は誰にも分からない。私のバスの時間は4時、果たして帰れるのか??

一人が公園窓口に走ったので着いて行く。聞けば直ぐ来ると言う。そして見ると小船が近づいているではないか?急いで戻るが、乗客は降りる客も待たずにどんどん乗り込む。全員乗り切らなければどうなるのか??不安が過ぎる。そして、何とか全員乗る。こういう時の中国人の危機管理は凄い。人数を数えて危ないと見れば人を押しのける。久しぶりに見る光景である。

20分で戻る。しかしこの湖は実によい。午後の強い日差しの中、船で生活する者あり、漁をする者あり、またすれ違う船あり。周囲に何もないだけにすっきりとした湖面が印象的。またもや詩の一つも吟じたくなるが、何分その素養がない。残念。

岸に上がると、タクシーがあるわけでもないので、少し歩いてバスに乗る。4元はちと高いが仕方ない。このバスは出発後途中でどんどん乗り込んできて直ぐに満員になる。ギューギュー詰め。農家の人もあれば、街に遊びに行く若者もいる。観光客の姿はかき消されるローカル線。

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1時間してようやく駅に到着。思い出すと2時までにチェックアウトしないと半日分チャージされる。時計を見ると1時50分。タクシーを捕まえ、5分で到着。フロントに走ると、『そんなに急がなくていいよ』と軽く言われる。チェックアウトを終え、バスターミナルへ。もう岳陽には用がないので、早めのバスで長沙に戻ることに。窓口で切符の交換を要求するとおばさんが『代える必要はない。席はある。』という。しかし昨日の長沙での騒動を考えると安心できないので、重ねて要請すると『私の言うことが聞けないのか。大丈夫と言ったら、大丈夫。』と怒鳴られる。

仕方なく、バスを探すがどこにも見当たらない。長沙行きのバスはあるが、どう見ても直ぐに出そうもない。すると端の方に少し小さいバスがある。車掌らしい人に行くとこのバスが行くと言う。ところが案の定、私の切符では駄目だと言う。窓口の話をすると俺が代えてきてやる、と切符を手に行ってしまう。すこし後悔。5分ほどしておじさんは戻ってきたが、手に切符はない。『大丈夫、ちゃんとやっておいたよ!』??不安が募るが、仕方がない、流れに任せよう。そして事件が??

バスは直ぐに出発したが、5分ほどで駅前へ。ここのターミナルに寄るのかと思ったら、何とバスの乗換えを指示される。道理で空いていると思った。乗り込むとやはり満員に。いい席は取れない。そして出発後に車掌が来て『切符は??』と聞くではないか。懸命に説明するが怪訝そうな顔。それはそうだろう、引継ぎがなければ訳が分からない。やはり後悔した。中国では絶対に切符を離してはいけない。ただ今回は空き席があった事、既に出発していて引き吊り降ろされる心配がなかった事が幸い。それでも如何にも無賃乗車といった疑いを掛けられながら乗車しているのは気分が悪い。

3. 長沙2
2時間で長沙に戻る。東駅の勝手は昨日検証済み。直ぐにバスを乗り換えて駅前へ。面倒くさいので空港バスの出る民航酒店に投宿。300元でPC備え付けの部屋へ。部屋は汚いが、PCで遊べた。

夕飯も直ぐ近くの地元料理屋へ。ここで食べた唐辛子入りのキャベツ炒めが絶品。又大好きな豚レバー炒めも新鮮で美味い。ご飯も進む。辛さも適度と思ったが、後で胃にはかなり負担が掛かった。店員の若い女性達も愛嬌たっぷりで気分がよい。

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今日は中秋節。月を眺めながら少しお散歩し、早々に退散。

9月15日(月)
(1)岳麗山
朝起きるとやはり食欲はない。9時にはホテルを出て、バスターミナルへ。今日はおまけの長沙観光。先ずはバスで岳麗山へ。目指したのは岳麗書院。バスを岳麗南山で降りる。入り口があるので入って行くと、電動車が待ち構えている。あと一人乗れるというので10元払って乗る。

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車はハイキングを楽しむ多くの人々を追い抜き、あっと言う間に山頂へ。標高300m。しかしスモックがかかっており、下は良く見えない。又山頂まで来てよく確認したら、書院は山頂にはなく、少し離れた麓にあった。どうしたもんだろうか??山全体は公園になっているのだが。仕方なく、下に下りることに。しかし又車では味気ないので、歩いて行く。これが結構しんどくて後悔するのだが。たっぷり40分は掛かった。

途中脇道があり、禹王碑を見学。禹王と言えば、古代の皇帝の一人。堯、瞬と並ぶ大帝王で治水を行ったとされる人物。治水をした人の碑が何故ここにあるのか??道教の五岳の一つ、南岳にあったものを移したとか??謎である。

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碑は非常に立派であり、悪戯されない様に枠が嵌められている。しかしここを訪れる人は多くはないだろう。恐ろしげなリフトの下を通り、ゆっくり降りた。

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(2)岳麗書院 
ようやく入り口に到着。正直疲れて脚はがくがく。よい運動と言うには結構厳しい。書院に向かうが距離感が分からずに、タクシーを拾う。山裾を回って5分で到着。

岳麗書院、北宋時代の976年に太守朱洞により創建。朱子、王陽明などの大思想家が講義を行ったことでも知られ、元、明、清を通じて学問の中心。1903年に高等学堂に改名され、1926年に湖南大学となる。抗日戦争時には一部が破壊されたとある。

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書院の中は非常に広く、真ん中に講堂(静一堂)がある。周辺には伽藍が巡らされ、裏には池を配した庭園があった。更に登ると、何と岳麗公園へ行けるルートがあった。そうか、この道を逆に下ってくればよかったのか、と今頃気付いても後の祭り。

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伽藍に腰掛けて思いにふける女性やドイツ人と思われる観光客など様々な人々が思い思いに歩き回っている。図書館もあり、また朱子と張賦が会談した場所も復元されている。湖南省は毛沢東の故郷であり、革命に縁が深い場所。やはりただの田舎ではないのである。展示室に1989年1月に胡耀邦がここを訪れた際の写真があった。亡くなる3ヶ月前である。これも湖南人。横に孔子を祭った文廟があった。大きな孔子像。

(3)湖南省博物館 
昼はホテルに戻り、チェックアウト後、近くの気になるレストランへ。その名も人民公社。中に入ると若き日の毛沢東の写真などが飾ってあるが、特に何てことないチェーン店だった。ここでまたキャベツのピリ辛炒めを食べて満足。

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飛行機が夜の便なので、暇つぶしに博物館へ。タクシーで10分ほど。かなり大きな概観。そして何やら大勢の人が並んでいる。うーん??並んでみると、どうやら身分証を出してチケットを受け取っている。どうやら事前予約で無料のようだ。しかし私は観光客、入ることは出来ないのか??

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警備員に声を掛けると『こっちで美術展のチケットを買えば、全部見られるぞ』と教えてくれた。何だそれは??兎に角30元でチケットを買って中へ入る。重厚な建物の階段を上がると入り口に金属探知機が入っている。オリンピック並みの警備である。バックを通すとペットボトル(水)が2本出てきて、あえなく取り上げられる。

『19世紀の西洋美術展』は3階で開催されていた。皆一生懸命絵を見ている。こちらは長沙で洋画を見る必要性がなく、通り過ぎる。そして1階まで降りて、何とか常設展に紛れ込む。

この博物館で見たいものはただ一つ。2,100年前のミイラである。これを探しまくる。更に地下に降りるとそれらしい雰囲気となる。大きなスペースが取られている場所がある。ここだ、冷気が漂う。ガラスケースを覗き込むとかなり深い場所に服に包まれたミイラが横たわっていた。何ともいえない、体型はかなり崩れているように見えた。無理もない、2,100年も地下に眠り、30年前に掘り出されたわけだから。

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1972年、馬王堆より発掘された漢代の女性ミイラ、軟侯夫人はその保存状態が極めて良好で世界的にも注目を集めた一大発見。当時は皮膚に弾力があり、関節も動かすことが出来たそうだが、今日見ると流石に傷みが激しいのでは。

その後、博物館横の烈士記念公園を散策。湖南省は流石に革命に身を捧げた人々が多い。公園中央の塔の中に展示された犠牲になった人々の中には僅か14歳の少女もいて、心が痛んだ。

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今回の旅は全くの思い付きであり、茶畑でも成果は今一つであったが、やはり湖南省は一度は訪れておくべき場所であることを認識した。

 

 

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