《天津お茶散歩 2007》

2007年11月26日

《天津お茶散歩》

ミャンマー関係者S氏が北京にやって来た。どこに行きたいのか、とメールしたが、何故か北京についての返事はなく、代わりに『電車で天津に行ってゆっくり茶でも飲みたい』との意外な答えが??何で中国の電車??何で天津??そして何でお茶??これまでのS氏からはあまり想像できない。

北京に到着後霧が出たせいもあるが、長城にも行きたいと言わないし、故宮もいらないという。我が家でゆっくりとお茶を飲み、ひたすら話をしている。飯の時間になると出掛けて行き、旨いと言っては帰ってくる。

 

そして天津に行く日が。朝7時半過ぎに家を出て歩いて北京駅へ。家から歩いて行けるのは有難い。何しろ駅には人が溢れており、居場所もない。そしてあの人が殺到する改札。日本と異なり、ここでは自分の乗る電車が入るホームに降りる時に改札がある。20分ほど前に一斉に改札を開始するのであるから、人が殺到する。しかも大きな荷物を抱えて。階段は勿論エスカレーターではない。危険極まりない。

しかし、我々が到着すると改札付近の人はまばらで拍子抜け。見れば発車15分前。ホームに降りると既にほとんどの人が乗り込んでいる。やはり家から歩いて来ると時間通りであり、悠々と乗ることができた。

1. 天津へ

電車に乗り込むとS氏は『これは本当に新幹線だ』と喜ぶ。そして自分が各国の電車に乗った話を始める。そうか、やはり彼は電車好きだったのか??最近『鉄ちゃん』などと呼ばれ、暗いイメージがあるため、多くの人が電車好きだと言わなくなっている。しかしこの車両は私が以前乗ったものより座席が狭い。理由はよくわからないが、2種類以上の車両があることが判明。最大時速は在来線の線路を使用しているため、165kmであった。北京ー天津間を約70分で結ぶ。現在新幹線と同様の線路を別途建設中であり、完成すれば35分で結ばれるとのこと。

車窓から見る景色は殆どが畑か道路。田舎の景色は見られるが、あまり面白いものではない。そこで車内を見てみる。我々が乗っている車両は1等車。但し2等車との価格差は僅か数元。その差はどこに。日本の新幹線同様、1等(グリーン車)は席が2つずつ、2等は2つと3つ。

いつもは休日に乗るので満員であり、何と1等のドアには職員が鍵を掛けてしまう。しかし今日は平日のせいか、少し空席が有ったようで乗ってから切符を買っている人がいる。車掌は機械を手に持ち、座っている人に切符の提示を求めたりはしない。昔は恐ろしげな車掌が食い入るように切符をチェックしていたのを思い出す。世の中変わったものだ。

大声で携帯電話を使っている人がいる。しかし中国人も忙しくなったものだ。飛行機に乗り、電車に乗り、走り回っている。昔は切符が手配できないこともあり、出張はかなりゆっくりと、時間を使っていたはずだ。但しある中国人によれば『今の中国人は飛行機や電車に乗っているだけで仕事は実はあまりしていない。昔乗り物に乗れなかったのでその分今乗っているだけ。ようはお金が出来たということ。』との冷めた見方もある。

そんなことを考えている間に列車は改装中の天津駅を通過して臨時駅へ。S氏は『あの駅いったいいつ出来るの?』という素朴な疑問を吐く。確かに柱がひょろっと立っているのみ。これで来年のオリンピックが目指せるのか??臨時駅は相変わらずの混雑、混乱。タクシーは乗って来た人が降りたところを見計らって乗る。なかなか骨が折れる。

2.天津
(1) 解放北路

タクシーでどこへ行くのか?何も考えていなかったので??咄嗟に『アスターホテルへ』と言ってしまう。何故か。前回天津に来て泊まったから。利順徳飯店(アスターホテル)は天津の老舗ホテル。創建は何と1863年、上海で言えばロシア領事館裏の浦江飯店と同じ。イギリス人はどこへ行ってもパターンが同じ。川沿いにホテルを建てる。香港のペニンシュラー、ヤンゴンのストラッド、シンガポールのラッフルズ、全て川沿い、ハーバー沿いである。このホテルも河の前にある。

ホテルは実にレトロな雰囲気を残しており、階段などはかなり重厚。孫文、周恩来、溥儀、梅蘭芳、フーバーアメリカ大統領など、歴代の有名人宿泊客の写真が飾られている。一時は日本軍が占領し、共産党政権後、毛沢東がダライラマを連れてやって来ている。しかし1階には場にそぐわない物が。日本料理屋はまだ許せるとしても日本語で『カラオケ』は許せない。実際宿泊した際、夜ホテルに戻ると恥ずかしげもなく、日本語で歌おうたっている声が廊下にこだましていた。防音が万全でない、などという問題ではない。品性の問題である。

レトロな裏口を潜り、解放北路へ出る。ここを北に向かうと旧金融街となる。上海のバンドほどではないが、昔風の重厚な建物が並ぶ。香港上海銀行、中央銀行、ドイツ系、ロシア系など当時の天津の租界の様子がよく分かる。一般にはあまり知られていないが、天津は上海に匹敵する貿易港であり、かつ金融の中心であった。

日本は日清戦争の勝利後、義和団事件、八カ国連合軍の北京進駐にあわせて1900年頃から天津に本格的に進出。ラストエンペラー溥儀を租界に匿うなど(静園と呼ばれる住まいを与え、そこから旧満州国皇帝に担ぎ出す)中国での謀略工作を行っている。香港上海銀行と旧中国銀行に挟まれて、横浜正金銀行の有った建物が残っている。この図式は上海と同じである。ここは北京にも近い貿易港、条件は上海と一緒である。中国の軍閥系もここに銀行などを建て、巨万の富を築いた者もいたようだ。

(2)茶館1(津衛大茶館)

解放北路をさらに歩いて行くと左手に茶の提灯が見える。正直これは止めてもらいたい。この茶館の建物は銀行を改造したものだという。なかなか重厚な造りである。中に入るとお姐さんが一人で掃除をしていた。開店したばかりらしい。時計を見れば10時過ぎである。1階は入り口付近に茶を入れる台と椅子があり、奥にもテーブルと椅子があるが、全体的にはかなりゆったりとしている。

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2階に案内される。階段はレトロな造りで期待が持てる。2階には部屋が4つあった。奥の部屋は何とマージャン部屋、四角いテーブルが置かれていた??残り3つはお茶を飲むようになっているが、夏用の籐の椅子があったり、普通のお茶テーブルがあったり。我々は何故かソファーのある部屋に通される。

部屋は大きくはなく、ソファーがデンと空間を占領している。窓はあるがカーテンで覆われ、外は見えない。ソファーではあるが、茶を入れるのに不便はない。風が吹いて少し寒い外から来るとエアコンが効いていて暖かい。この空間は密会部屋とでも言うべきか??1930年代あたりの映画に出てきそうな感じがする。しかし天津まで来てこんな空間にはまり込んでしまったS氏はさぞや後悔していることだろう。

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午前中でもあり、ソファーでもあることから龍井茶を注文する。お姐さんが慣れない手つきで背の高いグラスに3分の1お湯を注ぎ、茶葉を入れ、またお湯を注ぐ。それは教科書通りではあるが、うーん。聞けば『邯鄲の夢』の故事のある邯鄲の出身だとか??

S氏にとっては茶館初体験。当然急須を使ってお湯を高く上げたパフォーマンスを期待していたようで、かなり拍子抜けていた。また個室代が40元、但し2人で80元以上のお茶を頼むと個室代が含まれるなど、複雑な??料金体系にも面食らっていた。

1時間ほどして帰るときにもお客はいなかった。さすがに平日の午前中から優雅にお茶を飲んでいる人はいないようだ。会計をした別のお姐さんが『次回は鉄観音などを頼んでくれれば茶芸をお見せします』とにこやかに語っていた。日本人は茶芸のパフォーマンスが好きなようだ。

(3)狗不理

天津の名物といえば何か??北京に北京料理が無いように(北京ダックは実はどこでも食べられる)、天津にも天津料理はないのでは。唯一『狗不理』なる不可思議な名前の饅頭屋があるのみ。狗不理とは『犬も食わない』という意味。そんなに不味い豚まんがあるのだろうか??実は7年ほど前に天津に行った時に狗不理で食事をしたことがある。しかしそのときの印象は最悪。レストランは暗くて汚い、従業員は態度が横柄で、注文しても料理を持って来ない、食器も汚いなど、豚まんを味わうどころではなかった。

そして今回天津に行く機会が増えてきて『狗不理はどうだ?』と会社の職員に聞いてみても、『我々は行かない、美味しくない』との答えだったため、行くのを控えていた。しかし茶館を出たS氏が『昼飯は普段行かないところにしましょう』と言ったので、歩いて行ける狗不理を選択した。

山東路にある狗不理本店は外から見たことがある。立派である。まるでホテルのよう。初めて中に入ってみてさらに驚く。これは本当にホテルをモデルにしている。入り口にはお姐さん達が立ち、恭しく迎えられる。中は吹き抜け、4階まで個室が並んでいる。

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1階奥に案内されると普通のテーブル席がある。竹林があったり、キンキラキンの飾りがあったり、かなり違和感のある造り。11時半でお客は少ないが、いるのはどう見ても中国人観光客。昼から白酒を飲みだしていた。従業員の対応は改善しているとはいえ、他のレストランに比べれば良いは言えない。狗不理の由来を聞いても『メニューにある説明を読め』との答え。しかしこのメニューがなかなか優れもの。

饅頭を頼む場合、以前は伝統的な豚まんしかなかった気がしたが、現在は実に多様な餡がある。外国人などは中に何が入っているか説明を見ても分からない。そこでメニューに饅頭と中の具を写真で紹介している。これなら外国人でも中身が分かると言うもの。

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しかしその値段は小型の豚まんが1個10元はする(何と豚まんが小さな蒸篭に一つずつ入っている)。とても高い割りに味は普通。どうしてこれが名物なのかと不思議に思う。北京人も来ないわけだ。かえって普通の野菜の上湯スープ煮込み??が美味い。

(4)マッサージ

午後は何をしようかと考えるが浮かばない。伊勢丹の直ぐ横にあった偽物・横流し青空市場は何と全て撤去されていた。いずれは無くなるものと思っていても何故か寂しい。イトキンという日本のデパートも既に撤退しており、空き家に。天津は本当に発展する街なのだろうか??

結局S氏とマッサージに行こうと決める。場所は前回行ったあの福原愛ちゃんも来たという店。ちょっと郊外の天津博物館の近く。古びたホテルの5階にある。平日の昼下がり、客は特にいない。前回ここで診察カードを貰ったが、今回は忘れてきていた。すると丹念に私の記録を探している。ここは単なるマッサージ店ではなく、中医の医院なのである。マッサージ自体は60分、全身を揉み解してもらったが、なかなか気持ちが良かった。11月初めて首を痛めて以降正直言ってマッサージは怖かったが、的確な治療と言う感じであり、疲れが取れた。

(5)茶館2(洋楼茶園)

北京に戻る電車は予約されていた。まだ少し時間が余っているが行く所は思い付かない。S氏はまた茶でも飲もうと言う。どこかお洒落な茶館はないかと、タクシーに乗る。午前中に行った解放路とは別に五大道と呼ばれている英仏租界地に入る。ここには多くの洋館が残されており、市の保存建築物として保護されていた。どちらを向いてもレトロな建物。非常によい雰囲気が漂う。夜になればきれいなライトアップもなされ、そこに紛れ込むとかなり幻想的な雰囲気が味わえる。

重慶道、天津は東西の大きな道を『路』、南北を『道』と表示する。重慶道は南北に走る道である。南に向かい、昆明路との交差する場所に洋館が建っていた。この建物、レンガの色が少し回りと異なり、目立っている。更に少し派手な看板もある。

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中に入ると午前中の暗い感じの雰囲気とは異なり、お洒落な住居を改造している。木製の手すりのついた階段を上がり、部屋を選ぶ。ソファーは座りにくいので、円テーブルに重厚な椅子がついている部屋に入る。小姐に鉄観音を注文、彼女がお茶を入れてくれる。今度は慣れた手つきだ。急須を使う。香りが部屋に立つ。いい感じの午後がある。眠りを誘う。しかし・・、意外に周りの部屋がうるさい。平日の午後だというのにいくつもの部屋に客が居る。聞けば、商談と称して来ている老板が多いらしい。それは天津らしいのか??

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こんな洋館に住んでみたい、いつも思うことである。しかし現実には修理も大変だろうし、不便も多いはずだ。洋館は時々来て、お茶を飲むのに適している。天津まで来てゆっくりお茶を飲む、何と優雅な休日だろう。

帰りの電車は速かった、気分である。夢は早く覚めるということ。S氏にとってこの小旅行は何だっただろうか??

 

 

 

 

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