ベトナム南部茶旅2023その2(2)ホーチミン1区を歩く

7月2日(日)宿を移って

何となく疲れが出た。宿でゆっくりと休む。この部屋は今日チェックアウトなので、12時にGrabを呼んで、1区の中心街の宿へ移った。ホーチミンの宿は昔から質の割に高いという印象がある。だからまあまあの宿を予約するのも一苦労だ。今回の宿は日本人も多く泊まるとのことで、それほど期待はしていなかったが、それなりだった。ただ12時過ぎに行ってもチェックインできず、荷物を預けて外へ出る。

すぐ近くに人民政府の建物が見え、その前にはホーチミン像が立っている。何だか懐かしい光景を見ているようだ。実は洗濯に困っていたので、クリーニング屋を探していたのだが、残念ながら閉まっていた。仕方なく先日も来たベンダイン市場の横をフラフラと歩く。急に思い出したのが、張さんからの情報。ここに老舗の茶荘があるという。

その店は看板も出ておらず、扉も半分しか開いておらず、とても営業しているようには見えなかったが、思い切って中に入り、中国語で声を掛けると、何ときれいな中国語で返事があった。松記というお店で、すでに半分引退した老夫婦がいた。聞けば100年位前に茶荘を開いたらしい。先祖は潮州人だという。やはりここにも潮州人がいた。

『解放前は良かったよ』という言葉が印象的だ。なぜか彼らはこの地に残った。それに関する質問には何も答えてはくれなかった。それがこの50年の苦悩だろうか。僅かに売っていた花茶を購入すると、如何にもトラディショナルな包装紙に包まれており、そこに歴史が感じられた。

腹が減ったので何か食べようと歩きだすと、向こうに麺屋が見えた。覗くと旨そうに麺を啜っている人々がいた。思わず入って隣の席の麺を指さすとすぐに運ばれてきた。具(肉団子、さつま揚げ、ハムなど)がたくさん入ったブン、そして横には何だか分からない付け合わせ(フライドオニオンらしい)。食べてみると意外と旨い。作っている場所へ行って、これは何という麺かと聞くと、ブンモックとの答え。ベトナムには麺の種類があり過ぎて覚えられない。

もう一度クリーニング屋を覗くと、何と開店していた。英語も通じる。2㎏、6万ドンならチェンマイ辺りと一緒の価格だ。宿の周囲はボッタくりが多くて、この価格の何倍もの料金を掲げていたので助かる。明日また取りに行くのは面倒だが、コインランドリーがまだ発展していないベトナムでは上出来だ。その後宿でゆっくりと休む。

夕方暗くなった頃に外へ出た。Book Streetなるものがあったので、ちょっと寄ってみた。雨上がりで人は少なかったが、本屋が並んでいた。中にはおしゃれなカフェが併設されているところもあり、本を読みながらゆっくりとコーヒーを飲む姿なども見られた。英語の本などもかなり売っている。そこから周囲を散策した。ライトアップされたコロニアル風の建物はやはり映える。大聖堂は完全改修中で、その姿を覆われていた。

今晩はNさんに紹介されてIさんと会う。ホーチミン在住で歴史を深く研究している方だが、本職は企業駐在員だという。コロナ禍で仕事に余裕が出来た時、ベトナムの歴史と向き合い、その成果をネットで公開している。私が調べているお茶や華人に関しても、それに関連した情報をたくさん持っていて、大変参考になった。

会った場所はおしゃれなベトナム料理屋さん。内装や置かれている家具などが、如何にも中国人好みな感じだったが、中国人観光客はあまりいない。日本人観光客も来ていたが、韓国人のプレゼンスが感じられる。料理は食べやすく、満足できる味だった。今晩は観光客気分で夕飯を頂く。

そこを出ると路上で何か食べている人々がいた。宿まで戻るとその周辺も完全に路上居酒屋と化しており、やっぱりベトナム人は路上カフェ同様、こういうのが落ち着くんだんなと思う。特に若者が多いので、ライトアップされた市内の建物を背景に安くてうまい物を食べているのだろう。まあ日本でも渋谷の路上で若者が屯しているようだ。

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