東京高知関西茶旅2023(4)佐川町から伊丹へ

その向かいにある建物、庄屋さんの家だったであろう立派なお屋敷でランチを取る。なんといつの間にかアメリカ人と日本人の夫婦が料理教室を開いており、本日は特別にベジタリアンフードが提供された。畳の立派な座敷できれいに飾られた和食を頂く。何と贅沢なランチ。ここに居れば、それだけで落ち着ける。

何だか時間はどんどん過ぎていってしまう。旧工場を離れ、Sさんの工場に寄り道する。石さんがどうしても紅茶製造機械を見たいというのだ。私とYさんが3年前にエンゼルカップで紅茶を飲ませて頂いたその場所を一同で見学する。そこからまたすぐに車に乗り、何だか山の上の方へ行く。途中見覚えがあると思ったら、それは3年前迷い込んだ道だったのだ。

小高い丘の上に建物があり、ここで試飲会が行われた。午前中の小雨が嘘のように晴れており、抜群の風景、そしていい風が吹き抜ける。石家とSさんの紅茶が並ぶ。淹れ方は石家の娘が披露する。MさんとYさんはその光景を泣きそうになりながら見つめている。石家の紅茶は持木時代に植えられ、残された木の葉を使っているものもある。まさにここで持木と魚池、そして高知が一つに繋がった。皆真剣に試飲している。

楽しい時間とはすぐに去ってしまうモノ。予定時間をオーバーして会は終了。我々は佐川の牧野富太郎記念館も酒蔵も素通りして、一路高知駅へ向かった。台湾組一行は高知駅から岡山へ電車で移動する。実は台湾に帰る直行便の良いのが四国になく、明日岡山から帰るというのだ。駅で駅弁を買い、そこで分かれた。スティーブは何と我々の分のパンを買って渡してくれた。何とも親切な人だった。

私とMさんはYさんの車で高知空港に送ってもらった。Mさんは東京へ戻り、私は伊丹へ向かう。Mさんはある程度のお歳なので、今回の旅は大変だったかと思うが、それにもまして楽しそうだった。持木家と台湾が繋がっていくのが本当に嬉しいようだ。本来であれば高知にもう少して滞在して親族と旧交を温めるかと思われたが、未だ現役で働いておられ、その暇はないようだった。

伊丹から

高知発伊丹行きの飛行機は小さかった。普通は機内に持ち込めるサイズのケースも預け荷物にされてしまった。乗客は満員御礼。フライトは僅か40分、上昇したと思ったらすぐに降下を始めた。ほぼ定刻に伊丹空港に到着。ほとんど人がいない空港、荷物もすぐに出てきて快適。恐らく初めて降りた空港だった。

今晩は難波方面に泊まる、という頭しかなく、どうやって行くのかキョロキョロしていたら、リムジンバスの難波駅前行きがあったので、すかさず並んで乗り込む。そこで初めて予約した宿を検索したら、何とバス停の目の前だと気づき、幸福感に浸る。バスは難波周辺の駅を回り、50分後にようやく南海の難波駅前に着いた。

そこから見えるビルに向かい、宿へ行くと、外国人従業員が『自動チェックインです』と案内してくれる。だがいくら名前を打ち込んでも出てこない。彼女は私のスマホを覗き込んで『ああ、予約したのは姉妹店ですよ』と言い、約1.5㎞歩かないといけないと告げる。オーマイゴッド!

ホウライ屋の前を通り、グリコの看板まで来ると、外国人観光客で溢れている。既にコロナは終わっていた。更に歩いて行くと酔っ払いのおじちゃんなどが歩いており、平和な日本が蘇っていた。何とか宿に着いたが、そこは近鉄日本橋駅の近くだった。なぜ関東系のホテルチェーンが大阪に4つもあるのだろうか。ここもまた自動チェックイン。先ほどと違い外国人宿泊客で溢れている。さっきの方が静かそうでよかったのに。部屋へ行っても、きれいではあるが、料金の割に狭い。

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