東京高知関西茶旅2023(2)持木家との交流が続く

そこから赤坂に地下鉄で移動。夜はMさん一家と天ぷら屋さんで会食となった。ここでもベジタリアンのスティーブが気なったのだが、お店側も野菜中心に天ぷらを作ってくれ、それを食べたスティーブが『この野菜は甘い!どこで作っているのか』などと質問攻勢に転じて、大将も大いに喜び、どんどん会話が弾んでいってこちらが驚いてしまった。彼は食べ物、飲み物に対する非常に高い意識があり、それを高い会話力で、ぐいぐい引き込んでいく。

Mさんの息子夫婦、孫たちも駆けつけ、非常に賑やかな、和気藹々の宴となった。Mさんの情熱は知っていたが、この紅茶を媒介とした一族の歴史については、皆が強い関心を持ち、台湾からやってきた客を、まるで親戚のように扱っている。ご縁というのはこうして繋がっていくのだなと思わせる夜だった。

6月14日(水)高知へ

翌日は高知へ移動した。羽田空港を11時台に出るフライトなのだが、何しろ石家の荷物が多く、無事辿り着けるのか、心配だった。一応2時間前集合としていたが、何と彼らは2時間半前には空港に到着したという。宿泊先の前から空港行バスが出ており、ラッシュにも合わず座って悠々とやってきた。Mさんも息子さんの付き添いで早々と空港に来ていた。皆気合が入っている。

ランチは機内で食べることにして、それぞれ好きな空弁を買う。皆日本に慣れているから、どれが食べられるか、美味しそうかの見分けはすぐに付く。フライトは順調で弁当を食べ終わると高知空港に着いた。今回はやはり持木家の子孫であるYさんが色々と気を使ってくれていたが、何と石家は『空港に迎えは不要です。荷物が多いのでリムジンバスに乗る』と言ってきて驚いたが、1台の車に一行6人を乗せ、更に大きな荷物は入らない、とよく分かった上での申し出だった。

取り敢えずバスが出発しないように係の人に話し、何とか荷物を引っ張ってきた彼らを乗せて行く。高知空港まで約40分、だが空港のバス停は二つあり、Yさんとは会えなかった。それでも我々は高知駅前を楽しく通過。坂本龍馬像などで記念写真を撮っていると、何と駅にはアンパンマン列車が停まっている。因みにこの日アンパンマン号は利用者100万人達成セレモニーが行われていた。

駅のすぐ横のホテルに荷物を預ける。そこにYさんが合流。Facebookでは交流はあったが、石家と会うのは初めて。ついでにYさんにとってMさんは従妹の子供になるが、すごく久しぶりの再会となる。ここでもご縁が繋がっていく。Yさんの車でYさんのご両親が住む、いの町に向かう。

Yさんのお母様はMさん同様、創業者持木壮造の孫にあたる。お母様の父は壮造の長男であり、Mさんの父は次男。この二人は若い頃は東京で会っているが、何と近年はご無沙汰で、数十年ぶりの再会となっている。もしこんなことがなかったら、一生会えなかったかもしれないとMさんはつぶやく。

ちょっとご挨拶と思って家に入ったが、そこからとても和やかな交流が始まって、また驚く。皆で昔の写真を見ながら、話が弾む。ついにはお母様が立ちあがり、何と流ちょうな英語で挨拶を始めた。因みにお母様もMさんも台湾生まれの所謂湾生であるが、幼少期に引き揚げているので、台湾の記憶はあまりないという。

もう一つ驚いたのは、お母様のご主人、Yさんのお父様は本日90歳のお誕生日だったことだ。しかも高知で植物学を収め、現在も研究を続けているという。ちょうど朝ドラの主人公が高知の牧野富太郎であり、お父様はそのひと世代下らしい。お歳を感じさせないクリアーな発言が多く、たくさん質問させて頂いた。あっという間に1時間半が過ぎ、お暇したが、とても名残惜しい感じだった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です