東京高知関西茶旅2023(1)森永紅茶と魚池

《東京高知関西茶旅2023》  2023年6月13日-17日

ここ数年、森永紅茶の歴史を調べている。元々は台湾紅茶、日月潭紅茶の歴史を追っていたのだが、そこで行き着いたのが森永紅茶だった。日本統治時代の台湾で、日本人が作っていた紅茶。今回はその後継者台湾人が日本へやってきて、日本人子孫と交流することになり、その手伝いをした。

6月13日(火)持木家と森永

台湾中部魚池から石家(戦後父親が旧持木工場の工場長)の娘夫婦とその娘の3人、そして台中から陳さんが日本へやってきた。昨晩無事に成田に着いたと連絡があったが、入国にはどれくらい時間が掛かったことだろう。今朝はまず持木家の子孫であるMさんに会うため、朝の通勤時間帯にホテルから最寄り駅まで電車で来てもらった。ラッシュとは縁遠い魚池から来たのだから、さぞや戸惑うだろうと思ったが、何と彼らは何度も日本に来ており、満員電車にも慣れていた。

Mさんと石家は4年前から付き合いがあり、遠くの親戚が来たかのような打ち解け具合だった。早々に沢山のお土産(なぜかお茶と一緒にお酒も)が渡され、英語を主とした会話はどんどん盛り上がり、あっという間に時間が過ぎていく。こんな海外との民間交流、なかなかないのでは。

次にJRで鶴見に行く。昼前に駅に着いたので、駅ビルでランチを取る。実は石家のスティーブはベジタリアン。食事を心配していたが、さすがに日本慣れしており、すぐに蕎麦屋を見付けて入る。メニューをさっと見て自分が食べられるものを探して、店員に注文している(この店はアプリで注文する仕組みだが、多くの老人は口頭でやっている)。私は蕎麦を啜りながら、それを眺めるだけ。

鶴見駅からバスに乗る。娘のジョアンはお土産を入れた大型スーツケースをずっと持っていて混んでいるバスの車内では大変だ。10分ぐらいで森永鶴見工場に着いた。ここの研究所に勤務するOさんが、森永紅茶の歴史に大いに興味を抱き、社内で資料を探し、外部にもコンタクトして、何と今年『森永紅茶復活プロジェクト』を立ち上げたので、その話を聞きに行く。

とても働きやすそうな、雰囲気の良い研究所内で、色々と説明を聞く。森永の歴史、それは我々の歴史でもあった。子供の頃から親しんだ、森永チョコボールやムーンライトなどは何とも懐かしい。台湾組はチョコモナカジャンボの画期的な製造方法に大いに興味を示している。台湾ではこの商品は売られていないらしい。

森永紅茶については、既に50年前に無くなってしまった商品であり、決して大きな比重を占めていたわけでもないので、殆どの社員がその存在自体を知らない。そんな中でOさんはただ一人で資料を集め、各地に出向いて歴史を調べて、ついには紅茶復活のため、三重・奈良・高知の紅茶生産者と組んで、森永紅茶復活を目指している。

この紅茶の当初の原料は日本統治時代の台湾にあるので、今回の石家訪問がきっかけとなり、今後プロジェクトに進捗があれば、台湾産紅茶も加えて復活して欲しいという願いが私にはある。因みに森永が最初に手掛けたドリンクは宇治ほうじ茶というのも興味深いものだった。

研究所を後にして、またバスで鶴見駅まで戻る。そこから京急で銀座へ向かう予定だったが、何と事故があり、電車は止まってしまった。このままでは次の予定に間に合わない。そこでJR川崎駅へ向かい、京浜東北線で有楽町まで出て、何とか歩いて到着する。そこは石家のデニスが行きたいといった、小さな、おしゃれな茶荘だった。ここで買いたい茶器があったようだが、残念ながら在庫は無かった。それでも様々な日本茶が置かれていて、試飲も一部可能。英語でも説明してくれるので、外国人にとっては有難い茶荘だろう。

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