福岡、長崎茶旅2022(1)筥崎宮と鴻臚館

《福岡、長崎茶旅2022》  2022年6月12₋20日

山口から電車で九州に渡り、博多、八女、平戸、長崎と巡った。茶旅が主ではあるが、それ以外の歴史旅もかなり充実してきて面白い。

6月12日(日)下関から博多へ

朝下関駅から小倉行に乗る。小倉で乗り換え博多へ。日曜日だからだろう、電車はかなり混んでいる。コロナ禍ももう終わったかのように感じられる。スペースワールドって、もうないんだっけ?この電車は快速なので駅をいくつも飛ばして、走っていく。博多に近づくと満員の混雑となった。

今回の宿は博多駅から歩いて10分以上かかった。意外と遠い宿を選択してしまったが、むしろ地下鉄などで簡単に行ける方が速いのだろうか。荷物を預けてすぐに中洲川端駅へ向かい、地下鉄で筥崎宮前へ。中洲川端は昨年も泊まったのに、全く方向感覚がなく、全てGoogleに頼り、フラフラ歩く。情けない。

何十回も博多に来ているのに初めて筥崎宮へ行く。ご縁がなかったのは不思議だ。筥崎宮は『はこざきぐう』と読むと思うのだが、地下鉄の駅名はなぜか『はこざきみやまえ』だった。筥崎宮は921年醍醐天皇が神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜されたとある。山門にはその文字が今もくっきりと見られる。また元寇防塁、蒙古軍船碇石などがあり、必勝祈願の八幡様ということだろうか。

だが今回ここへ来た目的は参拝ではなかった。その目的地は何と少し離れた駐車場にあるというので、行ってみる。途中茶道会館などが見られた。駐車場脇には、最近建てられた第七代台湾総督明石元二郎の顕彰碑があった。その横には李登輝さんのメッセージまで添えられている。明石といえば日露戦争の諜報活動が有名ではあるが、現役台湾総督で唯一亡くなった明石が故郷で認知されたような雰囲気である。

近くに県立図書館があるというので寄ってみる。何気なく星光社の資料を尋ねたのだが、係員の方がとても熱心に探してくれ、かなりの資料が集まった。そしてこの会社の本社が博多にあったのだが、何とその現在の位置を割り出してくれたのには驚いた。しかもその地図を見て、更に驚きが増した。

宿に戻ってまたスポーツ観戦。今回の旅は何だかテレビを見るのが一つのリズムになっている。そして夕方、Sさんが宿まで来てくれた。Sさんとは35年前、上海留学で一緒だったが、彼は大学院生、私は企業派遣生と立場も異なり、それほど親しく話したことはなかった。

だが4年前台湾でBさんを介して再会し、中国文学を専門としている彼の話が面白くて、こちらからまた連絡した。予想に違わず、いきなりタイのメーサローン話で盛り上がり、彼が非常に幅広い華人小説家を追っていることを知った。中国文学というと魯迅や老舎ばかりが目に付くが、現代文学、そして巷の作家たちにまで目を向けているのはすごい。おでんを食べながら、長い時間話を聞いて帰り難い思いだった。

6月13日(月)博多散歩

また朝ご飯を食べ過ぎた。すぐに散歩に出る。宿の近くには櫛田神社があった。博多総鎮守府、祇園山笠で有名な神社。今年は3年ぶりに山笠が行われるようで、昨日も練習の人が見られた。那珂川に架かる西中島橋までやってきた。ここは明治期、博多の中心街だったらしい。赤煉瓦文化館というレトロな建物がある。元は生保の支店だった。その横の菅原道真ゆかりの水鏡神社も古めかしい。

道を渡ると勝立寺という寺が見えた。これが目印。星光社の本社があった場所はこの寺の横であり、そこには現在日本銀行福岡支店がデーンと建っている。思わず中に入り、建物について聞いてみると、現在の位置に支店が移ったのは戦後の昭和25年。更に建物はその後建て替えていることが分かる。同時に戦前の事情については何も分からないらしい。それでも仕事中に対応してくれただけでもありがたい。少なくとも星光社は博多の一等地に事務所を構えていた期待の星だっただろうことが分かった。

小雨が降ってはいたが、涼しいので鴻臚館跡展示館まで歩いて行ってしまった。ここは福岡城跡地であり、まずは福岡城むかし探訪館に入って、その歴史を見る。名城といわれた福岡城、その城を築いた黒田官兵衛・長政父子などについての展示がある。雨は止んでおり、広い敷地を歩いて鴻臚館跡へ。2つとも入場無料で有難い。

中に入ると、発掘当時の遺構や出土品を見ることが出来る。新羅人、唐人との往来における接待所であった鴻臚館の役割などを学ぶ。平安初期までここは筑紫館と呼ばれていたこと、そして1047年の火災による焼失で歴史から消失したことなど、これまであまり考えなかった歴史を知る。この辺りの古代史は資料が乏しく、不明な点も多いが、更に学んでみたい領域だ。

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