台湾茶の歴史を訪ねる旅Ⅱ2011(5)台北 中央図書館と茶葉伝習生

5月29日(日)
15.瑞泰茶荘

私には台北で17-8年の付き合いになる茶荘がある。それが瑞泰茶荘。変な話だが、そもそもはお茶を買うのが目的でなく、台湾の情報を仕入れるために立ち寄っていた。こんなことを言うと変な感じだが、台湾の経済や企業情報は公式の発表からは計り知れない部分が多い。生活実感と統計数字は離れているし、企業の真の状況がお茶屋情報で把握できることもある。

お茶屋と言うのは、江戸時代の髪結い床屋と同じように、多くの人が出入りし、様々な情報が飛び交う場所であった。しかし最近では、情勢がかなり変わってきている。瑞泰茶荘のおばさんによれば、お客さんの多くが大陸での商売になり、話が届きにくくなった。

瑞泰茶荘も5年前の移転後は、積極的に日本人観光客にも宣伝を始め、今では台北ナビに広告を打つ。そして日本で代理販売をする会社と契約、かなりの変貌を遂げている。

本日は朝10時前に出掛けたが、閉まっていたので、日曜日は休みになったのかと思った。近所で朝飯にサンドイッチを食う。ミックスサンドとミルクティ、ある種の定番である。店内は宵っ張りの台北人がようやく起き出してきた感じで、かなり混んでいた。台北という所は、朝飯も昼飯の弁当も夕飯の屋台も値段がそれほど変わらない。全て簡単に済ませる場合は、本当に安くて美味く、更にバリエーションが豊富である。

結局この日も瑞泰で昼近くまで、時間をつぶし、台湾茶の歴史についてはおばさんから、「歴史博物館」に行って見たら、との助言を得る。それはある日本人が台湾の廟を調べる際、この博物館から資料を得ていたとの情報からだった。ただ実際に行って見るとここは美術博物館のようで、お茶関係の資料は望めなかった。

 

16. 中央図書館別館で日本時代の資料と出会う
Hさんから以前「中和の中央図書館別館は昔の総督府図書館であり、日本時代の資料があるはず」と聞いたことがあった。場所はよく分からないが、中和まで行けば何とかなるだろうと高を括り、地下鉄に乗る。ところが駅を降りて、方向を間違えた。完全に反対の方へ行ってしまい、どこまで行っても見付からない。そういえば腹も減ってきた。仕方なく、店に入り、鳥腿飯を注文しながら、場所を聞く。随分遠くまで来てしまったものだ。ところでこの鳥腿飯、かなりイケル。台湾はどこで食べても外れが少ないのがうれしい。ただ量が異常に多い。

店のお客に図書館の場所を聞くと、怪訝そうに「なんでこんなところに居るのか」と聞かれる。私も知りたいぐらい。歩いて15分ほど戻ると駅の反対側に目指す場所をようやく見付ける。それは立派な建物だった。823記念公園という敷地内にある。823とは台湾が1958年金門島で大陸と戦って勝利した(島を死守した)戦役の開始日だとか。

1階で日本関係の資料を聞くと6階にあるとの答え。6階のカウンターで聞くと、奥から日本語が流暢な女性が出て来て応対してくれる。何と日本時代の資料はかなり電子化されていて、PCで検索するらしい。実際やってみると、驚くことに新井さんの研究論文など数点が目の前に現れた。続けて魚池や他の関係者のキーワードを入れると、かなりの資料が出て来た。そしてボタン一つでそれらがプリントされて出て来たのだ。

しかし新井さんの論文は日本語で書かれてはいるものの、専門的な研究である。一体誰がこれを見て、優れているか、役立つものか、などの判断が下せるのだろうか。取り敢えず資料としては持ち帰るが、評価の仕方が分からない。今回はそれでも資料が手にはいっただけでも、良しとしよう。結局閉館までの2時間、6階に居座り、PCと格闘した。

5月30日(月)
17.茶葉伝習生と会う

翌朝恵美寿の黄さんに報告に行った。何しろ今回の旅は徐先生を紹介してもらったことから始まった。徐先生から魚池の試験場を紹介され、とうとう新井さんと働いた台湾人とも面会した。図書館から新井さんの論文も出て来た。これらのことを掻い摘んで黄さんに報告し、感謝した。

黄さんはお店の他に、公務で忙しかった。今週はドイツからの団体を受け入れるとか。また日本からは毎年2団体を受け入れているが、今年はどうだろうか、といった話も出る。どんな日本人が来ているのかと見ると、壁に寄せ書きがあり、感謝の言葉が綴られていた。その中には、あの入間の極上茶仕掛け人、H氏の名前もあった。確か彼は、台湾茶の勉強をして、萎凋に嵌り、台湾茶の製茶機を日本に買い込んで研究している。それもこの黄さんが受け入れていることが分かる。なるほど、皆繋がって来る。

私の報告に黄さんは満足しただろうか。やはり何とか本に纏めないと許されないのだろうか。但し今回の旅で、一人の人にスポットを当てて、物を書くのは非常に難しいことが分かった。出来れば台湾の日本時代に台湾紅茶で貢献した日本人たちの物語にしたいところだが、どうであろうか。

恵美寿に李さんがやって来た。彼も組合の一員。アメリカ駐在が長く、お茶貿易には精通し、流暢な英語を話す、如何にも台湾の第二世代。実は一昨日、広方園の湯さんの所に寄った際、李さんが来てくれた。話していると「林口の茶葉伝習所で勉強した台湾人を知っている」というので、無理を言って紹介してもらうことにした。李さんは私を自分の店に連れて行ってくれた。恵美寿からは歩いて5分、道一本隔てているだけ。昔は本当にお茶屋が連なっていたことがよく分かる。ただ彼の店は輸出中心で小売りはしていないので、店の形式ではなく事務所。

そこには既に茶葉伝習所戦後2期卒業生が待っていてくれた。私が卒業生名簿を見せるとゆっくりと自分の名前を確認。その後、同級生などの名前をなぞり、懐かしそうにしている。徐に流暢な日本語で、「彼はこの前死んでしまった。この先生はいい先生だった。」などと一人ずつについて、コメントが出て来た。こちらは必至でメモするが間に合わない。

そして分かってきたことは、第2期の時代で、既に日本人の先生(研究員)などは帰国しており、先生は日本人から習っていた台湾人になっていたこと。彼の場合はお兄さんが昔の卒業生であり、お茶にも詳しく、入学は簡単だったが、一般の応募者は非常に多く、入学は難しかったことなど。当時は日本が去り、混沌とした時代。無償で勉強でき、その後の仕事にもつながる伝習所は魅力的だったかもしれない。

しかし伝習所を卒業後、皆が簡単にお茶関係の仕事に着けた訳ではなさそうだ。その中で彼はお茶の貿易を仕事とし、83歳の今も、李さんの会社の顧問と言う形で関わっている。それはそれで凄いことだ。しかし伝習所の概略は分かったが、日本人との繋がりは掴めなかった。

18.牛肉麺

ゲストハウスに戻る。流石に色々と疲れた。Hさんが昼ごはんに誘ってくれたので、お供する。今回はゲストハウス裏の牛肉麺屋。台北に来ても意外と食べないメニューである。先ず訪ねたのは、峰圃茶荘。ここのオーナーも古くから茶荘を経営しており、かなりの知識があるということで、訪ねたが、残念ながらアメリカに行っており、不在。

そして裏道に入り、1軒の牛肉麺屋へ。そこには2010年台北国際牛肉麺節、30大店選出、などと書かれた看板が出ている。台湾はそんなに牛肉麺に力を入れているのだろうか。日本のラーメンに倣っているのか。その店は満員であり、もう1軒へ。良品と言う名のその店のオーナーはサービス精神旺盛で、しきりに写真を撮ってやる、と言ってくる。不思議だが、日本人の習性を彼は見ているのだろう。

このお店は2007年台北国際牛肉麺節第2位と書かれている。これだとどこの店が本当に美味しいのか分からない。2階に上がり、紅焼牛肉麺を注文。ついでに餃子も頼む。この牛肉麺、意外とあっさりしており、スープを思わず啜る。麺はきしめん風、美味しい。ふーん、たまに食べるとこれは美味しいかもしれない。台湾人はやはりこだわりが強い。この辺は香港人の食文化とも違う。

ゲストハウスに戻り、地下鉄で空港へ向かう。荷物があると少し大変だが、駅にはエレベーターもあり、やはり30分で到着した。料金も日本円で100円ぐらいだ。どう考えても、この安い選択肢が日本に欲しい。

今回の旅では、台湾茶の歴史に更に迫れた感はあるものの、その奥は深く、また幅もある。そう簡単に歴史は我々に門戸を開いてはくれない。





台湾茶の歴史を訪ねる旅Ⅱ2011(5)台北 中央図書館と茶葉伝習生」への1件のフィードバック

  1. 清朝末の台湾茶の貿易商John Doddの痕跡を探して、ここにやってきました。
    彼の日記や馬楷医師の日記などからはなかなか茶葉貿易について知ることができませんでした。
    研究者でもなく、全く個人的趣味の調査です。

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