ウランバートル探訪記2009(5)

3月12日(木) 
(17)自然博物館と歴史博物館 
朝起きて食堂に行くと、S先生がN先生、Xさんと朝食を食べていた。まさに感動の再会である。会う人とは会うのである。S先生は金融界出身であるため、昨日までにUBで収集した金融情報を伝えた。

朝9時、ホテルの前では雪かきが行われていた。天気は快晴。一行は今度こそ辺境へ出発した。さすがにもう会うことは無かった。私はやることが無かったが、天気がよかったので、散歩に出た。昨日と同じ道を歩く。目的地は自然博物館。これまで2度入れなかった場所。

30分歩いて、到着。2500Tのチケットを購入して中へ。見学者は殆ど居ない。博物館の建物は年代物。旧ソ連式か。電気は点いておらず、暗い感じがいい。ここにはモンゴル何千年の自然界の資源が展示されていた。石英、クリスタルなどが目立っていた。

植物も豊富。今は砂漠のイメージがあるモンゴルだが、大昔は豊かな場所であったと思われる。恐竜の骨も出土しており、楽園であったかも。2階の特別室には7千万年前のディノザウルスの本物の骨も見事に修復されて、展示されていた。大きくて迫力がある。この部屋には監視員と研究員と思われる女性が居た。

研究員は白衣を着ており、英語も出来たので色々と質問。それによれば南ゴビは恐竜の宝庫で、自然も実に豊かな場所であり、その南は海。今の中国は無かった。勿論日本も無かった?

自然博物館の南側には民族博物館があった。ここは国立博物館と言う感じ。モンゴルの歴史が一通り見られる。これによると古代は草原に多くの石碑が残されており、当時は遊牧しながらも、史跡が作られた。突厥時代の物が多い。

チンギスハーン一族については4階のワンフロアーが割かれ、展示が行われていた。英雄テムジンの生涯は特にその前半生が殆ど解明されていないという。日本人俳優も出演した映画『テムジン』を先日テレビで見たが、その前半は相当過酷でいつ死んでもおかしくない。そう言えば日経新聞の朝刊に堺屋太一が『世界を創った男 チンギス・ハン』を連載していたな。

戦いに敗れて妻ボルテを奪われ、その後取り返したものの彼女のお腹には敵の子が居た。それでも自分の子として育てた。一族が戦いで崩壊し、奴隷として売られたりもしている。何処までが真実かは分からないが、なぞの多い人物である。義経がテムジンとなったとの伝説を作りたくなるほど、なぞが多く、また不明な人物である。

ところで我々が学校の歴史の授業で習ったモンゴルの歴史はチンギスが突然現れ、フビライの時に最大の版図となり、その後分裂して消滅したとの印象を受ける。ところが見方を変えれば、『モンゴルが世界史を覆す』(杉山正明著)に書かれているように、モンゴルが世界初の、そして最大の帝国であり、その影響はその後のヨーロッパ、中東、アジアで長く続いた、と考えるのが間違いとは思われない。

ティムール帝国などでも、象徴としての盟主はチンギス一族出身者として、実質支配者はその補佐と言う形を取った。これは如何にチンギスの影響力が強かったか、その名前なら皆が納まったかが分かる。清朝も正史ではモンゴルを滅ぼし、その傘下に収めたとあるが、実はホンタイジはチンギスの後継者から国を譲られたとも見られている。ヨーロッパでも自分たちが征服された民族であり、遅れた文明を持っていた、などとは言いたくない。我々はヨーロッパの文化、歴史が優れていたとの、錯覚がある。400年前、彼らは手で物を食べていた。当時日本には最高の茶の湯文化があった。中国にも優れた文化があった。単に歴史を誇る必要は無いが、過度に西洋を美化するのは明らかない間違いである。

(18)街中 

まだ時間はある。今日は快晴なので待ち歩きに挑戦。しかしこれが意外にも無謀だと思い知る。何しろ晴れているとはいえ、気温は零下10度以下。日陰を歩いていると手がかじかむ、いや凍傷になるような強い冷気を感じる。

どこか目的地を決めて早く駆け込もうと先日もらったモンゴリア ウォーカーズなる日本語コミュニティ誌を取り出す。この冊子、UBに住む日本人が編集しているとのことで、大変便利である。レストラン情報の他、経済状況などの解説もある。

サクラベーカリーという名前のレストランがある。ここは日本人のたまり場と誰かが言っていたのを思い出す。取り敢えず目指す。スフバートル広場から西に横道を進む。中央銀行を含めて銀行がいくつかあった。

その後南下し、大きな通りの地下道を通る。地下道には小さな店がいくつもあり、湯気が出ている店もあった。何だか昔のソウルの地下街を思い出す。更に南に行き、この辺だと当たりを付けて、ベーカリーを探したが見つからない。

サーカスと呼ばれる大きなテント?建物が見えた。今は冬で何も無いが、イベントをやるところらしい。何でも相撲の朝青龍が建てたのだとか?当然日本の相撲で活躍している数人はここでは大金持ちかもしれない。国会議員になった人間もいる。

更に西に進むと韓国焼き肉屋などが見えてくる。通りの名前もソウル通りに変わっていた。行き過ぎたことに気が付いて戻るが、かなり体力を消耗した。ようやくサクラベーカリーを見つけて喜んだのもつかの間、本日より数日休業との張り紙が日本語で出ていた。がっくり。

ホテルまで歩いて帰るには1時間近く掛かる。どうする?当ても無く東に歩く。タクシーが通るが、言葉は通じず、乗る勇気も出ない。しかしこのままでは凍死(大げさ)だ?

ふらふら歩いていると、前方に見慣れた建物が。あれは初日に行ったアイリッシュパブ。思わず入る。暖かい。珈琲でも飲もうと中に入るとケーキが目に入る。珈琲とケーキ、今欲しているものはこれだった。アップルパイはなかなかの味。周りは外国人ばかり。日本人がスパゲティを食べているのを見て、思わず?それも注文してしまう。

かなり体力を消耗した原因か。疲れはあるが食欲は旺盛。横の西洋人はヨーロッパのサッカーをESPNで見ている。ここはモンゴルだろうか?昔中国留学中にたまにこんな場面があった。異次元空間に入り込む?

店を出て、通りの横にいると目の前をタクシーが通り過ぎた。思わず手を挙げると停まる。乗り込んでホテルカードを出すと理解したようで進む。しかしこのタクシー一体いくらんなだろうか?本当にホテルに向かうのか?運転手のおじさんが何か言ったが分からない。車は何となくホテルと反対に動く。違う、違う、と手を振ると彼はまた何か言った。暫く行くと曲がり、川沿いの道に出る。そして段々ホテルに近づく。恐らくは一方通行か何かだったのだろう。

無事にホテルに着いたが、料金が分からない。確かガイドブックの説明に1km、500Tとあった気がした。4-5km走った感じなので2,500Tを渡すと黙って受け取った。高かったのか、どうかは分からない。ちょっと新鮮な体験であった。

(19)突然の出会いとディレー 
時刻は午後1時、部屋で荷物を整理して、メールもチェックして、いざ出発。フロントでチェックアウトしようとすると『お客さんが待っている』と告げられる。見るとソファーに男性が座っている。あー彼がUさん差し回しのタクシー運転手かと思い近づくと何と日本語で挨拶される。

フロントに戻りチェックアウトの精算を始めると、何と何と『あなたのフライトは4時から11時に変更になった』と淡々と告げるではないか?確かに昨日は雪が降っていた。しかし今日は快晴も快晴、非の打ち所が無い天候だ。それなのにCAは北京から飛んでこないのか??

ソファーの男性も不安そうにこちらを覗き込む。それはそうだろう。単に日本人を空港まで送るように頼まれただけなのに、どうすればよいというのか?男性が私に『どうしますか?』と聞く。一番聞かれたくない言葉だったが仕方が無い。こちらも『どこか行く所はありますか?』と聞き返す。

彼は『あなたは何処に行きたいのか?』とまた聞き返す。永遠にこの問答が繰り返される気がした。既に私は観光も買い物も、そして街歩きもした。他に何があるのだろうか?この7時間は私に何をもたらすのか??

仕方なく切り札を出す。私の旅のキーワード『茶』はあるかと聞く。私の理解ではモンゴルにはお茶は殆どないが、この時間を打開するには有効な手段かと期待する。ところが・・彼、名前はガンゾリ、は一言『無い』と答えた。また永遠に木霊する様な声で。

望みは絶たれた。部屋を半日借りて寝ていようかと考える。その時ガンゾリは突然自分の携帯を取り出し、何処かへ電話した。そして『取り敢えずチェックアウトしないか?』と告げる。私は反射的に従う。彼の声は絶対なのである。たとえ先に何も無いとしても。

(20)携帯アニメ 

ガンゾリが最初に連れて行ってくれた場所。それは何とホテルの真裏にある建物。先日水を買いに来た時、何で昼なのにカーテンが掛かっているのか、怪しい、と思った場所であった。一体何が??

中に入るとPCが20台ほど並んでいて、若者がPCに向かって何かやっている。PC教室か?と思ったが、どうやら違う。もう少し高度だ。管理者と言う若い女性がやってきて、見学が許される。

何とここは日本のアニメ原画に色づけをする作業現場であった。そう言えば、北京で日本のアニメ関係者に話を聞いたことがある。アニメは日本が世界に誇る文化だが、その製作現場は悲惨だ。給与は安く、労働条件は最低だと。日本でやっていた作業の内、外注できるものは韓国や中国に出していたが、とうとうモンゴルまで来てしまったのである。これでよいのだろうか?

作業を見るとPCで色を選び、日本から送られてきた原画に色を付けている。何と細かい作業であろうか。私などは1時間も続かないだろう。20代前半と思われるモンゴルの若者は黙々とこなしている。

管理者の女性は日本語が片言できたが、私に向かい『私は日本が嫌いだ』とはっきり言い切った。何故??その理由はこの原画が携帯サイトで見られるエッチサイトだったから。日本の印象は非常に悪いという。当然である。因みにその原画を見せてもらうことは出来なかったので、内容は分からない。

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