台湾茶の歴史を訪ねる旅Ⅱ2011(4)埔里 日本時代の茶樹は切られたが

12. 再び和果森林へ

製茶課長と別れて、昼食へ。今回はフライドチキン丼?とも言うべき鳥腿肉飯を食べる。これは鶏肉好きの私にとっては美味しい食べ物。しかもスープも鳥スープと言うことで何となくハッピーになる。

そして午後前回訪問した紅茶の店、和果森林を再訪した。理由は前回後、実は100年前の日本の紅茶樹が切られてしまったとのニュースを聞いたから。そんな馬鹿な、と思ったが、新聞記事には私がインタビューした石さんが昏倒している写真まで掲載されており、これは他人ごとではないと出掛けた訳である。

お父さんもこことは懇意。もとはと言えば石さんがお父さんの民宿を推薦したのが付き合いの始まりである。ただこの事件は地元では有名であるが、あまり触れたくない話題でもあるようだ。元々日本時代の農地は全て台湾農林が接収しているから、石さん達の紅茶樹も台湾農林の土地にある。借地である。最近の台湾農林は完全な不動産開発会社と化し、儲かる土地は開発してきた。この付近の土地も一部は開発対象になり、茶樹を守りたい場合は台湾農林から土地を購入する必要があった。ところが元々農林のやり方に反意を唱えていた石さんには元から土地を売る気はなく、開発対象にしてしまい、仕方なく石さんは裁判に訴えたが敗訴が確定し、速やかに農林は茶樹を切り倒したと言うことらしい。

法的には誰のものかははっきりしているが、日本人としては日本時代の歴史的な木がいとも簡単に切り倒されたと聞けば、何となく複雑な気持ちになる。台湾にももう少し歴史的意義を大切にしてもらいたい所である。

ところで何の予約もなく訪問したが、石さんと娘さん夫妻はお店に居た。前回は週末、お客さんでごった返していたが、今日は実に静か。やはり裁判のことが響いているのか。中に入ると石さんと娘さんが真剣に茶のチェックをしていた。

聞けば石さんは昨晩中国貴州省より帰国したばかり。チェックしている茶葉は石さんが貴州で指導して作らせたお茶だそうだ。既に83歳でこれだけ元気だとは。ましてやあんなショッキングな出来事があったのに、これだけ前向きな人を最近見たことがない。

紅茶の生産は、周辺から茶葉を集めて続けるとのことで、3人共に特に悲壮感はない。娘さんより、「今晩日本人の家に遊びに行くけど、一緒に行かない」という意外な誘いを受けた。当地でロングスティしているとのことで、興味があり同行することにした。

13.埔里で起業した日本人

その後、埔里の図書館で資料を聞いてみたが、全くないとのことであった。そういえば、ちょうど図書館でトイレに入っていると地震があった。震度2ぐらいかと思うが、皆非常に敏感、火災報知器も鳴り出し、ひと騒動であった。12年前の記憶はまだ拭い去れていない。

夜は前回も訪れた埔里の楽活屋へ。ここは日本人Yさんと台湾人の奥さんが開いた店。Yさんも覚えてくれていて、話を聞いた。前回はランチに行ったが、今回はディナー。ビーフシチューを頼んだが、とても美味しかった。

お店は満員のお客さんで繁盛していた。我々の横のテーブルには地元では有名な芸術家や大学教授が来ていたようだ。ちょっとしたサロンとなっている感じで、ロングスティの一つの成功例かと思う。

石夫妻と待ち合わせて、日本人ロングステイヤーHさん宅を訪問。広い庭に新しい大きな家、ここは何だろうか。Hさんはにこやかに迎えてくれた。埔里に来て4年、30年台湾に住んでいる弟さんの関係で台湾に来て、埔里に来て定住。これまでオーストラリアなどで様々な仕事を体験しており、その成果がなかなか日本では活かせない為、ここ台湾でやってみたところ大成功しつつあるようだ。

微生物の細菌などを使い、農業用の肥料を作るほか、水質の改善など、地元に役立つ提案を行い、受け入れられてきていると言う。また食べると非常にパワーが出る食品を開発、今はまだ試験段階だが、かなりの効果があるとのこと。実際に石さんのご主人陳さんが食べて、試したりしていた。聞けば僧侶などがこっそりと求めに来るらしい。

Hさんは既に会社を興し、ビジネスビザを取得しているが、埔里ではロングステイに対して様々な援助があると言う。Hさんは中国語も台湾語もできないというが、当初は政府援助で通訳が付いたと言う。それが今のビジネスパートナーでもあるWさんだ。言葉が出来なくても、色々とチャンスがある場所、という意味で台湾は面白い。

5月28日(土)
14. 埔里酒廠
翌朝は特にすることもなく、ゆっくり起き、ゆっくり朝ごはんを食べた。今日もまた美味しい朝である。筍の和え物、わかめと豆腐、ナスの煮つけ、カボチャのお粥、と実に日本的。新鮮な上に手間を掛けているので、その味が染みる。

その後資料のありそうな所へ電話を掛けてもらったが、「ない」との答えを得るだけ。取り敢えずは当地での作業は終了したと判断。あとは帰るのみ。お父さんが埔里の名物を食べて行けと言う。さっき朝ご飯を食べたばかりだが、ちょっとだけならいいだろうとそれに乗る。

行ったところは米粉屋。ビーフンである。台湾のビーフンと言えば、新竹が有名であるが、こちらは麺が比較的太いという。お店は11時だと言うのに既にお客さんが来ており、家族連れなどで賑わっていた。焼きビーフンとビーフンスープが売り物ということで、今回はビーフンスープに挑戦。

所謂台湾のスープ麺と同じように、ゆで卵が入り、もやしが入る。魚丸(魚のすり身)もある。そこへビーフンが放り込まれる。これはなかなかイケル。椀は大きくないので二杯は行きたいところだが、朝ごはんが効いては要らない。おまけに名物の腸詰なども登場し、お腹は膨れるばかり。

何時に帰ってもよいのだが、昼過ぎには出ようとすると、ビーフン屋の前がちょうど埔里酒廠という紹興酒で有名な工場。見学可能とのことで寄り道する。20年前も不思議に思ったが、なぜ埔里で作られる酒が紹興酒なのか。それは台湾に渡ってきた蒋介石が故郷の酒を懐かしみ、適切な場所を探して作らせたからだと言う。という訳で地元に人は紹興酒を飲むわけではないとのこと。

1階はお土産物の売り場。酒廠が直接売っている物は、記念のボトルに入った紹興酒など。対して地元民が売り場を借りて商売する店は、酒のつまみや飴、クッキーなどお土産物を売っている。どう見ても地元民の方に元気があり、よく売れている。やはりお役所仕事は限界がある。

2階に紹興酒の歴史や大震災のおりの復興の様子などが展示されている。埔里というところはやはり水が良かったようだ。紅茶栽培でも水が良い方が良いに決まっている。酒とお茶も決して無関係ではない。

バス停まで送ってもらう。今回は埔里から台北まで直行するバスを選択。これだと高速鉄道を使う費用の半分で済む。1時発で途中、板橋で停まったが、それを入れても3時間で到着。これは便利である。因みにバスにはトイレが付いている。これは安心。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です