みちのく一人旅2022(2)三内丸山遺跡から五所川原へ

5月16日(月)三内丸山遺跡

朝早く目覚め、朝ぶろに入る。今日も湯船が明るい。朝飯も一人ご飯。あの仲居さんに励まされて?美味しく頂く。卵にみそ焼が何ともいい味で旨い。青森だからか、漬物など発酵食品が多いという特徴もあった。食後時間があったのでホタル池まで2㎞ほど散歩した。特に何もなかったが、よい腹ごなしとなった。

9時に宿から車で駅まで送迎してもらった。コロナだけでなく3月の大地震の影響もあって、客足は戻らないという。次回はいつ来られるだろう。25年前ここの仲居さんに『三内丸山遺跡にでも行ってみたら』と言われてJRに乗ったのだが、今やそのJRはない。青森まで25分で到着。青森駅は改修中で、ちょっと道に迷う。駅前のコインロッカーに荷物を押し込み、観光案内所で地図を貰い、遺跡への行き方を教えてもらう。

ちょうどバスがやってきて乗り込む。310円。平日だが意外と乗客が多いと思ったら、殆どが遺跡の一つ前の美術館で降りて行った。終点で降りると、目の前の立派な建物に驚く。25年の進化を感じる。世界遺産に登録され、更に発展している。中を見学すると、土偶や土器など様々な発見が続いていることが良く分かる。25年前は発掘調査が始まって3年程度しか経っていなかったので、取り敢えず基礎調査段階だったが、それでも我々が学校で習った縄文時代とはあまりにかけ離れていて、十分に驚いたのを思い出す。

11時から見学ツアーがあるというので、参加してみた。学芸員の方が案内してくれ、20名ほどが参加していた。建物から外へ出て、広い敷地内を約1時間、説明を聞きながら散歩する感じだった。説明は非常に分かりやすく、しかも縄文ロマンが感じられる。以前より木々も茂り、展示物も増えている。酸性土壌は土が赤茶けるという説明は印象的。あの象徴的な六本柱の建造物はそのままだが、他の住居などはどの程度作られていたのか記憶がない。この25年で縄文時代の概念も変わり、狩猟生活だけではなかったこと、ある程度きちんとした農業が行われていたことが明らかにされているが、そのきっかけはここの発掘だった。

ツアー終了後、バスに乗って引き返した。駅近くでバスを降り、街歩きを始めた。太宰治、棟方志功、沢田教一などこの街にゆかりのある人々に関する場所が表示されているが、建物は何も残っていない。これも空襲のせいだろうか。県立博物館は閉館中で見られず残念。古めかしい善知鳥神社は何となく懐かしい。菅江真澄の碑がある。

青森港付近を散策すると天気も良く海がきれいだった。青函連絡船関連の史跡、八甲田丸が停泊し、その横に津軽海峡冬景色碑がある。近づくと突然石川さゆりの歌が流れるという趣向にビックリ。青森駅から五所川原へ移動する。ここはJR線だが、残念ながらSuicaは使えない。改札口には北海道プロモーションの一団が陣取り、迷惑この上ない。

川部という駅で乗り換えたが、停まっている快速リゾートしらがみには誰も乗らない。何となくそんな気分になり、突然乗り込んで車内で急行券を購入した。25分で追加料金530円なら地元民は乗らないだろう。残念ながらほぼ乗客はいなかった。4人掛けの立派な半個室があり、各シートもかなり広い。窓も大きいので、外が良く見える。りんごの木が目立ってくる。

五所川原駅に着くとまずは観光案内所へ向かった。だが出てきた男性は『金木以外ほぼ観光地はない』と実に素っ気ない。偶にいるんだよな、この手合い。きっとやりたくない部署に回され、郷土にも愛着がない役人体質の人。宿にチェックインして、相撲を見てから夕飯を食べに行く。なぜかカツカレーが食べたくなり、検索した店に行ってみたが、何と既に売り切れていた。普通のポークカレーを勧められたので食べてみたが、甘さと辛さが絶妙で、量も多い。これで550円は幸せだ。宿に帰り浴場へ。狭いが気持ちはよく入る。

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