滋賀中心の関西茶旅2022(10)

何となく六波羅蜜寺へ行く。以前も来たことはあるが、振り茶の歴史に空也上人が登場したので、それに関したものはないか探したが、残念ながら見つからず。近くに轆轤町という町名を見て、何かを感じる。そのまま歩き、南禅寺まで進む。そこをさらっと見た後、横道から寺を出ると、野村美術館に出た。

普段なら通り過ぎるのだが、今年は千利休生誕500年ということで、ここでも利休展をやっており、中に吸い込まれてしまう。私は茶道のことは何も知らないので、何を見てもいい勉強となる。続いて昨年訪ねた時休館中だった泉屋博古館にも入ってみる。こちらはゆったりした空間の中、旅する絵画という特別展をやっており、田能村竹田などの絵を見ながら、ちょっと旅した気分になる。

そしてサクラがきれいな哲学の道を歩き、法然院まで行く。ここは予想以上に古びた、静かないい感じの寺だった。私がここに来た理由、それは昨日も別荘を訪ねた内藤湖南の墓があるからだった。驚いたことにここには有名人がかなり眠っている。湖南もそういうご縁の中でここへ来たのだろうか。

法然院から下るとこれまたいい感じの洋館が見える。これもヴォーリス建築だという。一体どれだけあるのだろうか。橋本関雪記念館の前を通り過ぎ、辿り着いたのは駒井家住宅。公開日ではないので、外から眺める。これもヴォーリスか。この付近、閑静な住宅街でちょっと京都とも違う雰囲気を感じる。

歩き回って相当疲れてしまい、バスに乗って宿へ戻る。宿の横の寺には平重盛の石碑があり、平家ゆかりの寺らしい。早めにゆったりと大浴場に浸かり、これまでの長かった旅の垢を落とす。ついでに洗濯したかったが、宿内にコインランドリーがなく、歩いて15分もかかるという。雨も降ってきたので大人しくしている。

4月14日(木)京都最終日

今朝も豪華な朝飯に喜びがある。この宿の特徴はこれだ。雨が降る前に府立図書館を目指して歩いた。もう少しで到着というところにふと見ると『山中商会』の文字が見えた。先日NHKの番組で取り上げていた、清朝の秘宝を買い取った日本商人はここだったのか。さすが京都、歩いていれば歴史にぶつかる。今もきれいなパビリオンがあるようだが、まだ閉まっていた。今はどんな商売をしているのだろう。

府立図書館は平安神宮のところにある、実に立派な建物だった。1909年当地に建てられたらしい。明治末期の建物だった。中も非常にレトロだが、レファレンス対応などは非常に機敏であり、大変有り難い。ただ京都府の茶業関連の歴史はそれほど資料が無いようで、調べ自体は苦戦。

それから何となくフラフラ歩き回り、気が付くと先斗町あたりへ出た。そこにあった瑞泉寺。豊臣秀次一族の墓所があった。秀吉により切腹させられた秀次。その際、妻妾、幼児ら39名も三条河原で処刑され、そこに埋められたらしい。それを江戸初期、高瀬川を開削中の角倉了以が発見し、お堂を建てたという。この寺の近所には了以の顕彰碑も建っている。供養塔の中には駒姫の名前をみえる。僅か15歳、輿入れしたばかりでこの悲劇に遭ってしまった。

実は瑞泉寺にはなぜか『岩瀬忠震宿所跡』『橋本左内訪問地』などとも書かれている。岩瀬はあの日米修好通商条約を井伊直弼にも黙って調印したと言われる人物。実は朝廷の勅許をもらうため京都に来て泊った宿がここだったらしい。幕末の志士、左内は安政の大獄で獄死。岩瀬も閑職に追いやられ憤死した。

最後に辿り着いたのが、旧近江屋。ここは坂本龍馬と中岡慎太郎が襲われ、命を落とした場所である。今はその説明書きが出ているが、目を止める人は多くない。近くには土佐稲荷があり、真新しい龍馬像も置かれている。ここは土佐藩邸にも比較的近い。そして我が宿にも近かった。

さすがに疲れ果てたので、京都を失礼することにして、京都駅までバスに乗り、そこからはまっすぐ新幹線で帰った。今回も実に盛りだくさんの旅だったが、まだ行けていない場所がいくつもあったようで、次回への持越しは更に続く。

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