滋賀中心の関西茶旅2022(2)幻の安土城へ

そこからヴォーリズ学園まで歩く。前回ヴォーリズ建築のハイド記念館は閉まっていたが、今回は展示会があり開いていた。と思ったが先生らしき人が『ああ、4時で閉まりました』という。今回もまた見学できなかったが、これもまたご縁。園内の一柳満喜子ヴォーリズ夫人(学園創設者)の像を拝見して立ち去る。

歩いて駅まで戻る。途中平和堂があったので寄ってみる。平和堂は中国にも進出しており、ちょうど10年前の反日暴動の際は、湖南省長沙の店舗が焼き討ちにあったのを見たことを思い出す。駅の反対側には巨大なイオンが出来ており、経営は大変そうだ。と言ってもイオンの方も巨大なだけに、お客の少なさが目に付く。ベトナムやカンボジアで見たイオンを思い出す。県民はPCR検査無料だとある。夕飯は何と前回も食べたラーメンとチャーハンとなる。他にも食べるものあるだろうと、自ら突っこむ意外な展開。

4月5日(火)安土を歩く

翌朝宿の朝食が意外とよくて気分が良い。午前中は暇なので幻の安土城を見に行く。歩いて行っても良かったのだが、一駅電車に乗る。安土駅で降りると、織田信長の像が控えている。ここは信長の町なのだ。ほぼ人がいない道を歩いていく。朝鮮人街道があり、旧家が見られる。雰囲気が良い。

安土城跡に到着する。その周囲を歩くと、サクラが満開で何とものどかだ。お散歩しているお爺さんに挨拶すると、にこやかに返事がある。その先では工事を一時中断して花見に興じるおじさんたちがいる。まさかこんないいお天気でサクラが咲いていて、仕事なんかできないよな、という雰囲気の笑顔で挨拶を交わす。この桜の下で笑顔にならない人はいないということだ。それが桜の力であり、古来日本の力だったように思う。

こんもりした丘のような安土城の入り口まで来ると、石垣跡などが見えてきてテンション上がるが、城は既にない。天守閣跡などへ行くには、何とここも頂上まで急激な404段の階段があるというので、昨日に続いて断念した。膝が痛くなるのは困る。これからの旅を考えて無念ながら自重する。

少し散歩した。セミナリヨ跡という公園があった。信長はキリシタンを認めていたが、もしずっと生きていたらどうしただろうか、とふと思う。信長流のやり方で禁令を出さずに交易を進めただろうか。遠くを眺めると線路の向こうに何やら建物が見える。安土考古博物館他、比較的新しい建物が並んでいる。その中に古い建物もいくつか移築されており、見応えがある。とにかくここもサクラがきれいだった。

そこから歩いて安土駅まで戻る。いい天気の中、畑の中を歩いていくのは気分爽快だった。何だか生きているって感じがした。最後に旧伊庭家住宅に立ち寄る。ここもヴォーリズ住宅だ。洋風木造建築で、雰囲気が実に良い。残念ながら閉館日で中を見ることはなかったが、何となく楽しく写真を撮る。

政所へ

近江八幡駅へ戻り、宿で連絡を待っていたが、なかなか来なかった。Uさんの車が到着したのは、予定より30分遅かった。聞けば『桜があまりにきれいで土手から車が転落する事故があって渋滞した』というのだが、その転落する気持ちはよくわかった。急ぎ東近江政所へ向かう。

約1時間、途中までは昨年訪ねた日野へ行く道を行き、最後に少しずつ上っていく。待ち合わせ場所は養魚場。何とか辿り着くと、そこにはYさんと昨年結婚したNさん、そして生まれたばかりのRちゃんが待っていてくれた。ここはイワナを養殖しており、お昼から和室にイワナ料理が並ぶ。これは美味いと、バクバク食べた。

Yさんは政所茶の継続を目指して10年頑張っている人。1月にZoom会議で私の活動をお知らせし、3月の報告会にもゲスト参加(2月に出産)してもらい、ようやくの訪問となった。今回は政所茶の歴史というよりは、『木地師と茶』『蛭谷と富山のびるだん』の関係などについて知りたくて訪問した。ご主人のNさんは、歴史方面に興味がかなりあるようで、有用なアドバイスを貰えてよかった。生まれたばかりの赤ちゃんがいる中、対応して頂き、本当に感謝しかない。

話の中に政所茶とか、蛭谷とか、色々と地名が出てきてかなり混乱する。地図を頭に入れてから来ないからだと怒られそうだ。この付近は『六が畑』といい、そこには君が畑、蛭谷、箕川、政所、黄和田、九居瀬の6つの集落からなっているらしい。その中で蛭谷と君が畑に木地師発祥の伝説が残されているようだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です