浦賀日帰り茶旅2021

《浦賀日帰り茶旅2021》  2021年12月7日

1853年ペリーがやってきた場所は浦賀だった。昔から時代劇に良く出て来る地名だが、行ってみようと思ったことすらなく、今日に至っている。冬の一日、今回は何となく浦賀に向かう。更には常々気になっていた金沢文庫にも寄ってみる。何かいいことはあるだろうか。

12月7日(火)浦賀

品川からいつも乗る京急。羽田空港に行く時使うので、蒲田以南は滅多に行かない。今回は特急に乗り、京急久里浜駅まで行く。駅前には商店街があり、そこをまっすぐ抜けて行く。15分ほど歩くと海まで出る。そこは久里浜海岸だったが、ペリー公園があった。ペリー上陸記念碑が実に大きい。そして片面に日本語(碑の文字は伊藤博文)、裏面?には英語が書かれている。米友協会(明治憲法にもかかわった金子堅太郎が会長)が資金を集めて明治34年に建てたという。

公園内にはおしゃれなペリー記念館もある。入口にはペリー提督と戸田伊豆守氏栄の胸像があった。戸田は浦賀奉行としてペリーを迎え、翌年には日米和親条約を結んだのだから、ペリーのカウンターパートである。2階建ての館内にはペリー来航時関連の展示が無料で見られる。

昼前となったので、公園近くの『黒船食堂』に入ってみる。お客は誰もいなかった。この名称の食堂だから、てっきり『ペリーカレー』なんてのがあるのかと思っていたが、全く普通の食堂メニューで逆に好感が持てる。私も普通のアジフライ定食を注文して、美味しく頂いた。

それから海岸沿いをずっと歩いてみる。ペリーが来航した時は、どんな風景だっただろうか。30分ほど歩いて灯明堂跡までやってきた。ここは江戸初期に作られた灯台?で、明治初期に廃止になった。この丘の上には台場が設けられ(週末のみ見学可)、1837年のモリソン号来航時に、最初にここから砲撃したと書かれている。またこの地は浦賀奉行所の処刑地でもあったようで、仏像や慰霊碑なども見られた。

そこから浦賀奉行所跡に回る。そこは何もない更地になっていて、何ともポカンとしている。以前はどこかの企業の敷地だったようだが、今後は何か建てる予定なのだろうか。一応説明書きがあるので、その場所だとわかるが、日本の近代が開かれた歴史スポットとしては、何とも味気ない。

浦賀駅の方に向かうと、海が青い。入り江に船番所跡など浦賀奉行所の出先があったことも表示されている。対岸に渡る、渡し船もあるようだが、『乗船の方はボタンを押して』と書かれていると、ちょっと興を削がれる。浦賀駅まで来ると、昨年が奉行所開設300周年だったことが分かる。

浦賀造船所はこの駅の目の前にあったという。ペリー来航後一度作られた造船所は、小栗上野介らが横須賀造船所を作ったため廃止されたが、その後時を経て復活。100年に渡って戦艦などを作り続け、住友重機械工業旧浦賀工場跡地として、最近横須賀市に寄贈された。

金沢文庫

浦賀駅から電車に乗り、雨も降らなかったので途中の金沢文庫駅で降りた(金沢八景で降りる人は多いが文庫は少ない)。歩いて10分ちょっとで金沢文庫に到着。鎌倉時代金沢北条氏によって収集された貴重な書庫であったが、幕府滅亡後書籍は散逸したらしい。お隣にある称名寺という寺と共に有名である。金沢北条氏と言えば、大河ドラマ『太平記』で児玉清が演じた執権北条貞顕が思い出される。

きれいな金沢文庫の展示を見学後、そのまま図書室に入り、資料を見せてもらった。鎌倉時代の茶に関する資料があると聞いていたが、過去の特別展などのカタログなどをいくつか見た。私は日本茶の歴史に詳しくないので、その価値はよくわからない。もっと的を絞ってから来るべきだったと後悔する。

称名寺にも行ってみる。こちらは非常に落ち着いた雰囲気があり、ちょうど紅葉が終わったところで人影もまばら。寒くもなく散策にちょうど良い。山門やお堂も、雰囲気はいかにも鎌倉だった。もとは金沢北条氏(北条実時の像がある)の阿弥陀堂だったが、その後大造営が行われたという。特に金沢貞顕が作った浄土庭園は非常に趣があり、歩いていると心地よく、その雰囲気は今に繋がっている。

鎌倉幕府滅亡と共に激動の時代となり、江戸時代にはその維持も難しくなったと説明されている。室町、戦後時代に金沢文庫の書籍も持ち去られてしまうが、庭は残ったということか。中世史というのは、実はあまりよく理解されていないが、この辺りと茶の関連は興味深いのかもしれない。時間が許せば調べてみたいが、果たしてその時間はあるだろうか。

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