静岡茶旅2020(3)中村圓一郎を訪ねて

現在日東紅茶の歴史について書いているので、三井農林さんの大工場を外から眺めた。紹介してくれるという方もいたのだが、今回はコロナ禍なので敢えて中に入ることはせず、遠めに写真に収めた。詳しく調べていけば、相当興味深い紅茶史が出てくるのだろうが、先月枕崎を訪問して少し満足してしまったところもある。

旧藤枝製茶貿易商館(通称とんがり屋根)にも行ってみた。明治35年(1902年)に建設されたというこの建物は、静岡の近代茶業の幕開けを象徴する洋風建築。この可愛らしい建物、現在は使われていないのだろうかと思っていたら、藤枝市に寄贈される予定で、蓮華寺池公園内に移設し、茶文化を発信する観光拠点として整備する方針だという。

最後に以前お世話になった方を訪ねた。とても美味しい料理を出すお店だが、現在は一日数組しかお客を取らず、しかも年内でお店自体を辞めてしまう予定だと聞いた。本当に残念ではあるが、このコロナ禍、お客さんを受けたくてもままならず、疲れてしまったのだという。ゆっくり休んでいただきたい。そしてまたいつか再開してくれたら、と思う。

夕方暗くなった頃、島田の宿まで送ってもらった。そして夜はお知り合いのIさんたちと、お寿司屋さんで会食した。茶の歴史などについてSさんに色々と教えてもらい、勉強になる。皆さん、夜の会食は久しぶりだと言っていた。ここではGoToクーポンが使えたが、店の外には一斉表示しておらず、店に入らないと使えるかどうかわからないようにしていた。どう見ても使ってほしくない様子が窺われた。お寿司屋さんは仕入れを現金で行っているのだろうか。お客が来てもクーポンだと現金化が遅れ、店の経営に影響があるのかもしれない。

11月19日(木)中村圓一郎を探して

翌朝も天気が良かった。宿で待っていると、川根のMさんが迎えに来てくれた。今日は戦前静岡の、いや日本の大茶商、中村圓一郎の歴史を訪ねる旅をすることになっていた。先ずは榛原郡吉田町に向かう。中村家は明治以前から醤油屋であり、その後製茶業にも参入したという。だが戦時中圓一郎が亡くなると、茶業からは手を引き、戦後は醬油屋だけが存続していた。

中村醤油に突撃したが、社員の女性は『昔のお茶のことはよく分かりません』とそっけなく言う。後ろから男性が出てきて、資料と言ってもこれしか、と言いながら会社のパンフをくれた。そこには圓一郎についても触れられているが、茶業についての詳しい情報はなかった。『あとは社長に聞くしかない』と言われたが、あいにく外出中で会うことは叶わなかった。まあ、突然訪問したのだから仕方がない。それでも醤油屋さんに辿り着いただけでもかなりの前進だ。

続いてMさんの家のある川根方面へ向かう。何となく途中までは、昨日通ったような気がする。藤枝の大茶樹へ行くのもこの道だったのか。そして大井川鉄道千頭駅付近までやってきた。駅の近くに中村圓一郎像が建っていたが、そこは分かり難い場所で、訪ねる人も少なそうだった。圓一郎は醤油や茶だけではなく、この大井川鉄道の初代社長も務めていたのだ。

更に近くの水力発電所もあるという。日英水電、イギリスの技術で発電を起こしたものだが、これらにも圓一郎は関与している。Mさんに案内されて、その遺構を見に行ったが、トンネルを掘り、水の落差を利用して発電が行われたようだ。そしてこの電力の一部は川根あたりの茶業にも利用されたというから、その貢献度は高い。今や忘れ去られている感のある中村圓一郎。その貢献を考えればもう少し顕彰されるべき人物ではないか。

それからお弁当を買い、山の上の方まで登っていく。見晴らしの良い場所でお昼を食べた。さすがお茶農家、Mさんはお茶入れ道具一式を持ち込み、ここでお茶を淹れてくれた。こういう環境で飲むお茶はまた格別だった。紅葉はちらほら見られたが、観光客はほぼいなかった。

それから川根を降りていく。途中森の中に突然モダンな建物が登場して驚いた。何とここは茶工場だという。美術館かと思うような建物がなぜ森の中に。そしてそれが茶工場とはどういうことか。更には新しく茶工場を作るということは、作った茶が売れる見込みがあるということだろうが、一体どんなお茶を作り、どこに売るというのだろうか。どうやら海外輸出か?

最後に金谷の方に降りた場所に、ここも最近できた商業施設、KADODE OOIGAWAがあり、見学する。緑茶・農業・観光の体験型フードパークと書かれている。かなり大きな施設であり、大井川鉄道の駅にも隣接している。お客さんも入っており、単なるお茶の販売だけでなく、お茶の体験コーナーなどもある。更に魚などお茶以外の売り物も多く、地元民が楽しめるようになっていた。

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