静岡茶旅2020(4)紅茶史を学ぶ

Mさんに金谷駅まで送ってもらって別れた。先ほど急ににわか雨が降ったが、なぜか駅に着くと止んでいた。そしてきれいな虹が出た。今日の旅は成功だったという印だろうか。金谷から浜松へ、そこで乗り換えて豊橋まで行った。1時間半かかった。豊橋駅前の、最近ずっと使っているチェーンホテルを予約していたが、何だかここの対応は良くなかった。

チェーンホテルと言ってもようは担当者個人の問題もあるし、ホテルの設備の問題もある。それは分かっていたのだが、何となく不愉快になったのは、やはり疲れのせいだろうか。1枚だけもらったGoToクーポンを使って、駅ビルの和幸でとんかつを食べた。何だか嫌な予感がする。天気も良くない。

11月20日(金)紅茶史の基礎を学ぶ

朝ご飯を宿で食べる。豊橋のご当地グルメ、カレーうどんとあるが、どうなんだろうか。やはり外は雨で、外出を控える。本日は国産紅茶を学ぶため、T先生とお会いすることになっていたが、急速にコロナ感染者が増加し始めていた。当初はかなりのお時間を頂くつもりだったが、状況に鑑み、モーニングを食べながらの短時間に変更となった。

T先生から『長く話せないのは残念だ』と言って頂き、貴重な資料を沢山頂戴した。そして先日枕崎へ行ったことや、森永紅茶の話などを始めると、やはり膨大な知識をお持ちなので、話は簡単に止まらず、予定時間をオーバーしてお話を聞いてしまった。ただ一番印象に残った言葉が『国産紅茶の歴史は悲しい歴史』だったことは、なぜこの歴史が語られずに埋もれているのかを一言で言い表していた。もしコロナがなかったら、半日ぐらいT先生を引き留めて話を聞いてしまったであろう、と思うほど、刺激的な時間だった。果たして次回はいつお話が聞けるだろうか。

外へ出ると雨は上がっていたので、今回初めてきた豊橋の街を歩いてみることにした。先ずはJRで一駅乗って二川宿へ行ってみる。線路に沿って東海道があり、古い町並みが少し見られる。15分ぐらい歩くと本陣資料館があったので見学すればよかったのだが、そこをスルーして、落ち着いた街をフラフラして、そのまま豊橋駅に電車で戻った。

駅から何となく這い出す。商店街に安いかつ丼屋があり、腹ごしらえをしてから歩く。少し行くと老舗のかまぼこ屋が見える。この辺は東海道の吉田宿だったらしい。更に行くと昭和初期の立派な建物、豊橋公会堂がある。その向こうには豊橋ハリスト教会がそびえたっている。その隣は旧吉田城跡。公園になっており、散歩するにはちょうど良い。

天気がとてもよくなってきている。だが既に色々と疲れてしまっていた。早めに宿に帰り休む。夕方ちょっと外へ出て、ラーメンを食べて、またすぐに宿へ帰って寝た。やはり体力の衰えは深刻だと案じる。

11月21日(土)レジェンドに会って

今回の旅の最終日を迎えた。豊橋滞在が何となく不完全燃焼だったので、今日こそは、と意気込む。豊橋から袋井までJRで戻り、そこからバスに乗って浅羽支所を目指す。今回は久しぶりにM先生をお訪ねして、胸にあるいくつもの疑問を払拭しようという目論見だった。だが昨日のT先生より年齢が上のM先生は果たして来られるのだろうか。

それは杞憂に終わる。3階に上がると先生はちゃんと来られていて、30分ばかりお話しできた。紅茶の歴史など、モヤモヤしていたものの一部が何となく晴れていくのがうれしい。文献に書かれていなくても、足で稼いだ豊富な経験を持つM先生の一言一言が心に刺さる感じがする。もっと伺いたかったが、万が一のことがあってならないと、大変残念だがお暇する。先生のコレクションも見ずに立ち去った。本当にコロナは困ったものだ。

ちょうどバスが行ってしまった。仕方なく周囲を散策すると、茶畑が見え、神社があり、城跡まであった。30分はあっという間に過ぎて、バスに乗って駅に向かった。だがまだ時間は早い。そして天気がとても良い。荷物は駅のコインロッカーに入れてある。今回は袋井宿付近も散策してみようという気になり、駅より一つ前のバス停で降りて、歩き出す。東海道袋井宿は駅の反対側にあり、ふらふら歩いてみたが、特段見るべきものはなかった。

袋井駅まで戻り、東海道線に揺られて、東へ向かった。疲れていたので、どこかで新幹線に乗って帰ろうと思っていたが、この揺れ心地が何ともよく、少し寝入る。結局小田原まで在来線を乗り継ぎ、小田急に乗って帰宅した。さすがにコロナがうるさくなり、乗客も少なく、ゆっくり読書が出来、考え事も出来た。

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