静岡茶旅2020(2)丸子から大井川へ

そこからまた歩き出す。いつの間にか浮月楼と書かれた料亭のような場所に出た。そこは最後の将軍徳川慶喜が駿府に移ってから住んだ屋敷跡だという。入って見たかったが、コロナ禍で営業しているように見えない。まだ時間が早かっただけか。せっかくここまで来たので、慶喜謹慎の寺、宝台院にも寄ってみる。この寺は家康の側室で2代将軍秀忠の生母、西郷の局の菩提寺だった。古田織部が作ったキリシタン灯篭などもあって、ちょっと興味深い。確か家康は自分の周辺の者がいつの間にかキリシタンになっていたことに恐怖を感じて禁令を発したと記憶している。

宿に戻り、荷物を受け取り外へ出た。今日は久しぶりに紅茶作りのMさんを訪ねることになっていた。わざわざ奥さんが静岡駅前まで迎えに来てくれたのは有難い。丸子に向かう途中の道路わきで車が停まったので、何かと思っていると、何と生シラスを購入。そのまま昼ご飯のお店(有名店、とてもよい景色)にそれを持ち込んで、丸子名物とろろ汁と共に美味しく頂く。何と贅沢なランチだろうか。そしてその場には、以前台湾でもご一緒した、日台協会の方もおられ、懐かしく談笑する。

それからMさんの作業場にお邪魔する。実は今年の頭に火事があり、現在は仮茶工場のようになっている。家もまだ土台しか作られていないが、製茶作業は既に行われており、さすがと思ってしまう。そして早々試飲が始まる。特に牛乳にもこだわった特製ミルクティーは美味しい。東京から来ていたYさんも一緒にお茶を楽しんだ。

ここは日本紅茶の祖とも呼ばれ多田元吉が茶作りをした土地でもあり、紅茶の歴史についても、色々と情報を得る。特に多田がインドから帰国した後、最初に紅茶を作ったと言われる高知、そこに同行した熊谷義一とは何者か、などの話題が出た。多田も使ったかもしれないお盆や茶葉を揉む笊などがここには残されており、火事でも無事であるのは、やはり歴史を明らかにせよ、ということなのだろうか。

あっという間に時が過ぎ、名残惜しいが、安倍川駅まで車で送ってもらった。今晩は島田に泊まる予定となっており、電車に揺られていく。車内に乗客は少ないが、これはコロナの影響なのだろうか。島田駅で降りてから、宿までの10分弱、本当に人が歩いておらず、寂しい感じがした。

宿はチェーンホテルだったが、手続きはかなり適当だった。更に『この辺でGoToクーポンを使えるところは?』と聞くと、『コンビニぐらいですかね』とそっけない。時間も遅いので、荷物を部屋に入れてすぐに外に出て夕飯を探したが、食堂らしきものもなく、あっても閉まっていて困った。

ようやく見付けた蕎麦屋さんでもお客は全くいなかった。きっと閉めようとしているところに私が飛び込んだのだろう。かつ丼セットは美味しかったが、クーポンは使えなかった。盛り上がっている静岡市内との差はかなり大きい。

11月18日(水)島田から金谷、そして藤枝

朝ご飯を宿で食べると、すぐに外へ出た。天気がとても良いので、歩き出した。実は宿の横が島田宿本陣だったので、何となく『越すに越されぬ』大井川を渡ってみようと思い立つ。30分以上歩いてようやく川の近くまで来ると、昔の建物が見えてくる。川越遺跡もある。川を眺めてみると、川幅はかなりあるが、水量は少ない。勿論今は橋が架かっているので、ゆっくりと橋を渡ってみる。

そこからまた30分以上歩いて金谷駅近くに来た。今日はこれから、ふじのくに茶の都ミュージアムで待ち合わせだったが、そこは駅の反対側、そして急な坂道だった。近道しようとGoogle検索に従って歩いて行くと、何と陸橋が補修で通行止めと書かれていて暗澹となる。もう体力が残っていない。思わず作業員に声をかけ、何とか渡らせてもらったが、その先の坂は相当に堪えた。

ミュージアムに着いた時には全身汗でびしょぬれで恥ずかしかった。取り敢えずお知り合いのHさんに声をかけ、ここの図書室に入れてもらい、資料を探しながら休んだ。その後展示を見学しながら、S君の到着を待った。ここの展示は当然ながらかなり細かく、私が探していたものも見つかってよかった。

見学が終わった頃、S君が到着して、彼の車で藤枝の方へ向かった。朝からずっと歩いていたので、車がやけに早く感じられた。藤枝の大茶樹を見に行ったが、山の中の茶畑に、こつ然と現れる感じだった。樹齢約300年、かなり遠くからでないとカメラにも収まらない。だがなぜここにこんな大きな茶樹が残ったのだろうか。昔見た嬉野の茶樹を思い出す。

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