鹿児島茶旅2020(4)日東紅茶から仙厳園まで

80歳になるKさんは今も現役で紅茶作りに励んでおり、その品質の良さは評価が高く、和紅茶界では有名な方だという。1971年の紅茶輸入自由化に伴い、多くの地域が緑茶生産に切り替えられ、紅茶は姿を消していったが、ここも例外ではなかった。2000年代に入り、かつて紅茶を作っていた人々が高齢化する中、枕崎紅茶の伝統を残そうと研究会を立ち上げ、再び紅茶作りが始まったのだという。べにふうきを使って作った紅茶はイギリスで賞も取り、今やブランド茶『姫ふうき』らとなり、和紅茶界では有名だ。テレビなどでも取り上げられ、その録画を見たり、参考資料を見ながら話が進む。

後継者のお話などを聞いていると、それよりは、と言って、来年の正月、お孫さんがランナーとして箱根駅伝に出場予定だと喜ばしそうに語る。紅茶作りに対してはかなりきびしい方だと思われるが、孫の話になると急に顔がほころぶ、いいおじいちゃんになる。きれいな店舗も構えており、益々いいお茶が作られて行きそうだ。

最後にNさんに試験場の中を案内してもらった。さすがに南国の試験場、広大な敷地に実に様々な品種が植えられている。大葉種もあり、アッサムやキャンの大きな葉が見られる。キャン種とシャン種の違いなどもこれからきちんと調べて発信しないと、常に誤解が生まれそうだ。それにしてもこの試験場はやはり紅茶のために作られたものなのだ。

枕崎を後にして、鹿児島へ戻った。鹿児島中央駅まで車で戻り(枕崎駅から電車に乗りたい気持ちもあったが)、そこでお世話になったOさんと別れ、一昨日泊まった宿にまたチェックインした。初めての鹿児島をここで終わりにするのはもったいないと考え、あと2日歴史旅をすることにしていたのだ。夜は無性に腹が減り、近所でとんかつを食べる。鹿児島は豚肉がうまいと感じる。

10月27日(火)鹿児島散策

朝はゆっくり起きた。宿に付いている朝食はなかなか良いが、食べている人は多くはない。今日の午前中は、以前お茶イベントで知り合ったお茶関係者のKさんと会うことになっていた。その場所は宿から歩いて10分ぐらいのところにある日本茶カフェ?老舗お茶屋のような建物だが、中はモダンな感じ。自ら急須で鹿児島茶を淹れる体験がコンセプトのようだが、2煎目用に熱い湯を貰うことができないなど、ちょっとなんだかな、という感じのお店だった。

ただそんなことは別にして、Kさんとのお茶話は刺激的で、時間が経つのも忘れて話し込んだ。私が鹿児島茶の歴史を殆ど知らないことを心配してくれ、茶歴史が分かりそうな本を調達してくれるといい、また何と明日朝、知覧の試験場(跡地)を案内してくれることになった。旅に時間的余裕を持たせておくと、このような僥倖に巡り合えるのがうれしい。

昼過ぎに宿に戻ってびっくり。私は連泊しているのだが、宿泊しているフロアーの部屋のドアは全て開け放たれており、しかもそこに人は誰もいなかった。慌てて自分の部屋を閉め、フロントに電話して何が起こったのか確認したが、全く要領を得ない。責任者という人が出てきたので事情を聴くと『コロナ対策で換気をした』ということだが、こちらはPCなど貴重品を部屋に置いており、もし盗難に遭ったらどうするのかと聞き返す。

すると『実はコロナで清掃員が十分に確保できず(もともと高齢者が多い職場で感染を怖がり出勤しない人が増えている)、しかし換気は必要なのでこのようなことになった』と詫びられた。コロナは様々な余波を生んでいることが分かったが、今後貴重品の扱いはどうしようか。少なくともこのような状況が起こっているのは、この宿だけではあるまいから、貴重品は放置しないようにしよう。

そのまま駅まで戻り、仙厳園へ向かうバスに乗る。揺られること30分で下車。そこには薩摩藩主の別邸があった。ここは大河ドラマ西郷どんでも何度も見たので是非行って見たいと考えていた。入場料は1000円するが、GoTo券で払えてしまう。敷地は広大で、快晴の中庭から見る桜島は、実に見事な風景。これが見たかったんだよな、という感じでテンションが上がる。

琉球から送られたと言われる建物があり、西郷どんの各ロケ地も看板で紹介されており、その場面が懐かしく思い出される。斉彬と西郷が相撲を取った場面も今日のような快晴だったな。結構な時間、ふらふら歩きまわる。それにしてもきれいに整備された広大な庭園だ。一応島津家だから茶室があり、茶筅塚もあった。歩き回って疲れたら、目の前に団子屋があるではないか。両棒餅という名物だそうで、考えてみれば昼ご飯も食べていなかったので、ほうじ茶と共に美味しく頂く。

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