奈良、吉野、熊野、堺茶旅2020(1)遠い仏隆寺へ

【奈良、吉野、熊野、堺茶旅2020】 2020年10月11日-15日

GoToトラベルなる、国策旅行業救済事業が東京にも適用された。この国のコロナ対応は一体どうなってしまうのか、と首を傾げたくなるが、少なくとも日本政府は旅行を禁止するのではなく、奨励することを表明していることには違いはない。海外に行けない今、感染対策を十分にしたうえで、業務上やむを得ず国内の旅に出ることにした。今回は以前より話があった奈良、和歌山方面へ向かう。山の中のお茶生産の様子を見られれば、そしてその地域の歴史に触れられればと思う。

10月11日(日)京都で

今日は奈良へ向かうことになっていたが、直前に同行してくれるUさんから連絡があり、待ち合わせ場所が京都に変更になったので、ゆっくり家を出て新幹線に乗っていく。満席ということはなかったが、それなりに乗客がおり、6月に乗った時とは雰囲気もかなり違って見えた。やはりGoToトラベルの影響は大きのだろうと感じる。

京都駅でUさんと会った。Uさんのお知り合いが二人、そして私も知るHさんも同席して、駅ビル内でランチを食べた。どうやらこの4人はあるプロジェクトを一緒にやる予定らしく、その打ち合わせを兼ねて集まっていたらしい。そこに私が割り込んだ形となってしまい、恐縮した。

Oさんは、韓国との交流を進行している方で、幅広い人脈を持っているようだ。今回はその韓国との交流の中で、茶が取り扱われるという。韓国茶の歴史、以前少し眺めて見たことがあるが、どうにも掴みどころがない。難しいので止めてしまい、それから5年以上、韓国には行っていない。

東京方面に戻るHさんと別れ、あとの4人で、奈良の寺へ行くことになった。奈良の寺でお茶の歴史といえば仏隆寺でしょう、と言われ、よく分からないが、付いていく。京都からUさんの運転、私が助手席でナビゲーターを担当したが、慣れていないので、なかなか上手くできない。そしてその寺のある場所が奈良と言っても結構遠くて、いつになっても着かないで困る。道を間違えてかなりの山道を入ってしまうが、そこにはちゃんと茶畑があって、写真も撮れたりはするのだが、どうにも締まりのないナビをしてしまいまた恐縮した。

最後はOさんのナビで、目的地仏隆寺に着いたのは、京都を出てから3時間近くが経っていた。まさかこんなに遠いとは奈良、おそるべし。しかしこの付近、何とも味のある山里で、心が和む。あまり和んでいると、お寺が閉まってしまうと思い、秋の夕暮れを走っていくと、いい雰囲気の門はまだ開いていて助かった。これだけ苦労してやってきて、閉まっていたでは報われない。

境内もいい雰囲気に古びており、奈良の古寺を巡礼する気分になる。だがお寺に人影はなく、本堂は固く閉ざされていた。隙間から中を覗いても、暗くて何も見えない。10年前にここに来たことのあるUさんによれば、このお寺には空海ゆかりの茶臼があるというのだが、もう時間も遅いし、私は早々に見るのを諦めていた。

だがUさんは違う。根性が違うのだ。お寺から出てきた奥さんを捕まえて、何とか茶臼を見せてもらうまでに漕ぎ着けてしまう。ただ奥さんから『本堂には灯りがないので、写真は無理かも』と言われていた。それも写真家だというOさんが照明を点け、撮影してしまった。なんだかすごいな。ただこの茶臼が空海の時代のものであるかと言われれば、私には全く分からない。

それより興味を惹いたのは、本堂の背後にあった空海の高弟、堅恵の墓とされる五輪塔が立つ石室(国重要文化財)だろう。平安前期の宝形造という珍しいもので、何だか沖縄の王の墓を思い出した。やはり中国洋式だろうか。そもそもここ仏隆寺はこの堅恵が創建したといわれる古刹。空海とのご縁もあり、茶臼の話も出てきたのかもしれない。でも奈良からここまで歩いたら大変な道のりで、茶臼を担いで来たとすれば大変な作業だったろう。

夜の帳は急速に降りていき、我々の車は急いで山を下りていく。帰りもUさんの運転で何とかやってきたが、島根の山中に住むUさん曰く、『奈良の山道は街灯が少なく、何とも暗くて怖い』と、慎重な運転となっていた。1時間半ぐらい掛けて、近鉄奈良駅まで辿り着いた時は、結構疲れてしまった。そこでOさんたちとお別れして、我々は今晩泊めて頂く、Uさんのお知り合いの家を目指す。

奈良駅から近いと思っていたが、また悪戦苦闘のナビが始まり、1時間近くかかって、車が山の中に突入していく。こんなところに、という場所へ行くと、ようやくNさん宅に着いた。Uさんのお知り合い和束のYさんが陶芸家のNさんと結婚して、この雰囲気の良い古民家に住んでいるというのだ。

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