大磯茶旅2020(2)大磯歴史散歩、そして藤沢へ

毎年楽しみに見ている箱根駅伝はここを走っているんだな、と思いながら、海が見たくなり、その先を入っていく。こゆるぎ緑地と名前があった。既に陽が西に傾いていたので、駅の方へ戻る。駅から線路沿いに伊藤博文が尽力して作られたという道がある。ここは伊藤が初代韓国総監になったことから、総監道と言われているらしい。旧島崎藤村邸もあり、晩年藤村はここで過ごし、ここで亡くなったという。

朝方立ち寄った鴫立庵、そこの前には『湘南発祥の地』という記念碑があった。私も一応数年間湘南で育っているので、何となく感慨深いものがある。これを見て何となく元気が出てしまい、更に歩き続けた。新島襄終焉の地、同志社を設立した新島は、徳富蘇峰や妻八重に看取られて、ここで亡くなっていた。更に地福寺という寺で、島崎藤村の墓に参る。意外と小さなお墓だったのに個性を感じる。

ようやく駅まで戻ると、おしゃれな洋館が建っていた。今はレストランのようだが、大磯の別荘文化を代表する建物として残されているらしい。こうして歩き回ってみると、確かに大磯には歴史的な、興味深いものが沢山ある。だが、別荘などの建物が残っていないため、そこまで目立たない存在となってしまっている。

今回T夫妻から、湘南紅茶とパウンドケーキをお土産に貰い、家に持って帰って美味しく頂いた。Tさんは以前より山北の茶畑を管理して、茶作りをしているが、実は今日訪ねた公園の海辺に、何と茶樹を植えようとしていた。なかなか厳しい環境に見えるが、もしこれが成功すれば、本当の湘南紅茶が出来そうで楽しみだ。

10月5日(月)再び大磯へ

実は大磯に行ったことをFBにアップしたところ、知り合いのIさんから、『鴫立庵には孫文ゆかりの仏像があるはずだ』とメッセージがあった。しかし前回の訪問では、それは紹介されなかったから見ていない。そのことをYさんに確認すると、確かにある、というので、Iさんと一緒にもう一度大磯を訪ねることになった。

前回大磯を歩き回ったお陰で、鴫立庵までの道も頭に入っていた。現地でIさんと合流し、既に待っていてくれたYさんの案内で、T夫人も参加して、そのお堂を見に行く。それは奥まった一角にあり、中の仏像も拝見することができた。Yさんによれば、その来歴は言い伝えられているものの、それを証明する資料などがないことから、誤解を招かないよう、特に案内はしていないという。確かに孫文ゆかりとなれば、中国人を含め、興味を持つ人もいるとは思うが、歴史に非常に興味を持っているYさんが紹介するとなれば、やはりそれなりの根拠が欲しいのは当然だろう。

鴫立庵の横にレストランがあり、ランチを食べることになった。ここから鴫立庵の雰囲気の良い庭や建物が見え、何となく借景という言葉を思い出す。ここのとんかつ、サクサクしていて美味しかった。テラス席などもあり、また来てみたい場所となった。Iさん、Tさんと楽しくお茶談義などおしゃべりして、時間がどんどん過ぎていく。

今回はこれで大磯を離れた。そして向かったのは藤沢。実は辻堂に住んでいた関係で、小さい頃はよく藤沢駅にも来た記憶があるのだが、恐らくこの駅の改札を出るのは、40年ぶりぐらいではなかろうか。駅のところに、さいか屋という百貨店があったのを覚えているが、今もそこにあったのには、ちょっと感動した。今回はそちらではなく、小田急百貨店を目指す。

実は前回小田原で出会った漢方ブレンド茶が無くなってしまい、Tさんに注文しようとしたところ、ちょうど藤沢の催事に出店しているというので、お茶を取りに行ったわけだ。コロナ禍のこの時期に、オープンスペースで催事をしても、お客さんは来るのだろうか。Iさんと一緒に行ってみると、確かに人は多くはないが、明らかにこの催事を目指してやってくるお客さんたちがいた。

Tさんによれば、『お茶の試飲などができないので、新規のお客さんへのアピールはちょっと難しいが、お馴染みさんも多く来てくれて、出店してよかった』と言っていた。他の店を覗いてみると、何と先日大磯でお土産にもらったパウンドケーキが売っているではないか。思わず声をかけると、『今日は大磯の店を閉めて、こちらに出店しています』と有名な三日月姉妹がそこにいたので、びっくりした。これもご縁だなと、また買い込んでしまう。

帰りは同じ方向のIさんと途中まで一緒に行く。Iさんは校正などをしており、仕事でもお付き合いがある人。やはり仕事柄、目を使うことが多いようだが、1日のPC使用などを制限していると聞いた。私もそろそろ目がヤバい。いくらTさんのブレンド茶が効くと言っても、やはり目の使用を制限する必要があるだろうと痛感しながら家に戻った。

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