スリランカご縁の旅2014(3)ネゴンボ退院してきた宿の主人と会う

人影のないビーチ

ビーチはずーっと続いていた。これは前回見たヒッカドゥのビーチと全く同じ。スリランカの西海岸はほぼ同じ作りになっているということだろう。波は結構荒くて、飛沫が上がっていた。カラスが沢山水辺にいて、波が来るとジャンプしているように見えた。なぜかじいさんが英語で話し掛けてきたが、あまり話す気にならない。

そのままビーチロードを歩いて見る。ビーチ同様お客はまばらで、道は一本道。かなりの暑さであり、ちょうどあったカフェで休むことに。ここはフランス人が経営しているようだ。フランスパンやデニッシュが置いてある。何となくライムジュースを頼むと、クラブサンドイッチも頼んでしまった。これを早めの晩御飯に決定。ここでボーっとしていると、疲れを忘れ、つい長居をした。

街中歩き足傷める

本来ならここでビーチから引き揚げ、パスポートコピーをとって、携帯屋に届け、部屋に戻って平穏な一日が終わるはずだった。だがそうはならなかった。ちょっとした気の迷いで、ネゴンボの街も見てみたくなったのだ。先ずは真っ直ぐ、南下して魚市場へ。既にサンダル履きの足はこの時点で少し痛くなっていた。

街道沿いには立派な教会があり、ヒンズー寺院も見える。広場では海に夕日が沈む中、クリケットに興じる若者たち。何だか絵になる光景だった。もう夕方であり、魚市場も終わっていた。メインの通りはここで途絶えていたが、更にそのまま南下を続ける。

細い道を歩き切るとそこにはのどかな漁村が見えた。子供たちは走り回り、大人たちは明日の漁に向けて準備をしていた。その裏手には1879年創建の古い教会がある。村人たちは海を渡り魚を取り、欧米人たちは海を越えてこの地にやってきた。歴史だな、と思う。

それから進路を変えて街へ。小さな街だが、時計台があり、列車の駅もある。ここからコロンボへ向かうことも出来る。もし明日スマの迎えが無かったら、ここから列車に乗ろう。それにしてもビーチサンダルでここまで10㎞ぐらい歩いてしまい、既に限界を超えていた。だが自分が泊まっている場所の名前すら良く分からない。

リキシャに声を掛けてみるが、皆首を傾げる。そして高い料金を言いだす。確かに場所が不確かだから損をするようなことは言いだせないだろう。私も何となく意地になり、足を引き摺り歩きとおす。街から宿までの街は分からないので、またさっき来た街道まで出て、道を探す。既に夜の闇の中、相当の格闘の末、何とか辿り着いたが、足のダメージは想像以上で、大きな水ぶくれができ、歩けるような状態ではなかった。

宿の主人と面会

宿に戻ったのは午後7時半、部屋で倒れ込む。合計で5時間、炎天下の中を歩いたのだから、その消耗たるや凄い。なぜこんなバカなことをしたのだろうかと思うのだが、してしまったものは取り返しがつかない。

8時きっかりに部屋をノックする音がした。下の女性が『オーナーがお会いになります』と言うではないか。一体何が始まるのだろうか。中世のお屋敷の様で疲れてはいたが興味をそそられ、下へ降りてみる。リビングにはひざを手術して病院から帰宅したばかりという老人が待っていた。彼は椅子に座るのも大変な状態で付き添っている奥さんのサポートが無ければ何もできない。それでも第一声が『ウエルカム』だったのには驚いた。そして続けて朝食はどうだったか、何か問題はなかったか、と自分がこんな状態であるのに、あれこれと聞いてくる。

老人は言う。『私がこのロッジを始めて2年になるが、自ら出迎えられなかったお客は君が初めてなんだ。本当に申し訳ないと思っている。でも家に戻ったんだから、私に何でも言ってくれ。宿泊が快適になるようにできるだけのことはするよ』と優しいまなざしを向けられ、こちらがドギマギしてしまった。

こんなことってあるだろうか。私ならとても相手を思いやる余裕はないだろう。オーナーは自分のポリシーを貫いていた。頑固な老人なのかもしれない。しかしこれはとても嬉しい応対だ。さすがに疲れたのか、老人はそれだけ言うと寝室に引き上げていった。こちらも足を引き摺り部屋に戻り、すぐに寝た。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です