杭州日本茶の原点を見に行く2012(1)法浄禅寺に見るお茶と寺

【杭州お茶散歩】 2012年5月30日-6月5日

香港滞在を終えて、東京に戻る。東京で出稼ぎしていたのだが、たまたま2週間近く空きが出た。今度は北京で出稼ぎだ。偶には稼がないと。でもそれだけでは詰まらない。どうせなら茶畑へ行こう。どこへ行こうか、そうだ、昨年行った杭州、あの径山茶を見に行こう。

5月30日    1.   雨の杭州    ユースホステル

北京から飛行機で杭州に到着。空港からはリムジンバスで市内へ向かう。空は雨模様。途中からポツリポツリ。そして杭州駅付近で下車した時は土砂降りに。何とかタクシーを捕まえて、予約したユースホステルを告げる。しかし運転手はその場所が分からず、取り敢えずその近くのホテルへ。だがそのホテル、迎賓館のようで、宿泊者以外は中へ入れてくれない。そこの警備員に聞いてようやくユースホテルが分かる。

中国でユースホステルに泊まるのは初めて。今回は知り合いが予約してくれたのだが、190元の個室。入り口はなかなか雰囲気が良いが、建物の中は薄暗い。3泊分を前払い、そしてもう一泊したいと告げたが、満員だとか。結構混んでいる。杭州は観光地でホテルが高いので若者がユースホステルを使っているらしい。

部屋は普通のホテルより狭く、ベッドも床が薄い。窓の外は学校のようだ。もし明日の朝学校があればちょっと煩そうだ。

雨は止まない。5時半頃になり、腹が減る。ホテルの従業員は自分達で餃子を作り食べていた。私も何か食べたいというと、20元ほどで、ご飯と野菜炒めが出て来た。こんな食事が良い。さっさと食べて部屋に戻り、ネットをやる。今や若者が多いホテルではWifiが常識。

5月31日   2.   龍井の寺   中天竺へ

翌朝は雨も上がり、太陽はでないものの、涼しくてよい。今日は昨年出会った浙江大学のO先生に案内を願い、法浄禅寺を訪ねることになっていた。勿論どうやって行くのか分からないが、タクシーなら問題なく行けると言われ、何故かタクシーを回避し、バスでトライする。

杭州には一般バスと観光用のバスがある。観光用3番に乗ると、昨年訪れた龍井村などを通過する。やはり龍井茶は杭州の一大観光産業だ。このバスに乗っていると何だか気持ちが良い。それは安くて、行きたい所へ行ける、そんな気分を満足させるものだからだ。3元。

そしてある所で乗り換えとなる。だが、時間が大幅に余っている。どうせなら歩いて行って見ようと思ってしまう。それは大いなる間違いだったが。茶畑が広がる道を歩く。段々上りとなる。どこまで行くのだろう、心配になるくらい歩く。

バス停を見るとあと4駅。だが、その4駅は遠かった。とうとう疲れ果て、そしてバスを待つことに。しかしなかなか来ない。そこへ白タクがやって来て、3元で行くという。何と良心的な。思わず乗り込む。ものの2-3分で法浄禅寺に到着する。最初から車に乗れば早いのだ。

法浄禅寺

法浄禅寺は天竺山の稽留峰という場所にある。597年にインドの禅師宝掌が道場を建て、唐代に盛んになり、1765年に「法浄寺」と改名された。寺は何回も建て直されたが、現在のものは清代の建築である。

流石にここまで来ると静けさが漂い、小川の流れも清らかに見える。待ち合わせ時間にはまだ間があり、周囲を散策。寺名が書かれた門を潜ると、斜面に本殿が建てられ、両側にも作務処や宿舎が並ぶ。

O先生がやって来た。O先生の友人という男性と3人で、中へ。お寺の執事、といった感じの男性が中へ招じ入れる。彼はお茶に精通しており、寺の事務をこなしながら、お茶の調査、研究、講演などを行っているらしい。早速お茶が淹れられる。龍井の新茶だ。なかなか優雅なお茶だった。


   

お茶を飲みながら話すことは取り留めもない。私は茶の歴史を知りたかったが、その話になかなかならず、逆に最近のお茶事情がメインといなる。部屋の棚には高そうな茶器が並ぶ。お寺は質素、などと言うことは中国にはないらしい。お寺の拡大の話も出る。O先生の友人はログハウスを売っているようで、その話で盛り上がる。とうとう歴史の話は出ずじまい。

昼時となり、皆で食堂へ。ここは誰でも入って食べられるという。素食、精進料理だ。野菜と豆腐の煮込みとご飯だが、これが予想外に美味い。かなりの量があったが、全部食べてしまった。お寺の料理は油も少なく、健康的なようで、最近は人気があるという。

その後O先生は授業があり、学校へ。執事と男性は寺の拡張計画のあるという場所へ。私も付いて行く。寺の裏には茶畑があり、毎年早春には茶摘みの儀式も行われるという。元々茶は仏教との関連性が強く、仏様にお茶を上げる、という習慣が長く続いている。この寺ではそのため、僧自らが茶摘み、製茶を行い、一つの修行としている。これはある意味で茶の起源であろう。

戻る途中に草深い中にホテルがあった。あのアマンリゾートだ。こんな所にという場所にさりげなくある所が良い。ただこのホテルが出来て、この付近の地価が上がったとか、お客は殆どいないとか、話は色々とあるようだが。

梅家烏鎮 再び

昨年4月に友人に連れられて行った梅家烏鎮(http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/4429)。前回は車で連れて行ってもらったため、場所の位置関係がよく分からなかったが、何と法浄禅寺からかなり近い場所にあることが判明。バスで行って見ることにした。

バスはなかなか来なかったが、乗ってからは速かった。元々の梅家烏の鎮があることも分かった。私がこれから行く所は新村、ようするに移転された街だった。元々の鎮はいい雰囲気で降りて見たかったが、先程徐さんに連絡してしまったので、真っ直ぐに向かう。

徐さん、昨年4月にYさんに連れられて梅家烏鎮で会ったばかりか、その翌日街中で2度も偶然会ってしまった奇跡の人(http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/4434)。バス停を降りると鎮は直ぐに分かり、徐さんの家へ直行。

鎮は閑散として人気もない。徐さんは家で待っていてくれた。あの懐かしい庭、早速龍井茶を頂く。爽やかな風、爽やかな味わい、お茶はこうした環境で飲むのが美味しいと改めて実感。

今年は例年になく冬が寒く、茶葉の生育が遅れ、明前茶の産量は多くなかったという。また毎年安徽省から来る茶摘み出稼ぎ者の賃金も相変わらず上昇しており、茶葉の価格は昨年の20%増しとなっていた。勿論いい茶葉はもうないとのこと。徐さんはたまたま友人が来たので、ここに居たが、今はお茶のシーズンではないので、基本的には杭州市内に住んでいるという。

徐さんは忙しいそうだったので、早々に退散し、鎮を一周したが、老人と小さい子供の姿が少し見られただけ。この鎮はお茶のブランドの為だけにあるよう気がして、何となくうーんと思ってしまう。これも中国の農村の一形態だろう。帰りは別ルートのバスに乗り、ホテルに戻る。

清河坊で

夕方から西湖付近を散策。ユースホステルから西湖が近くてよかった。靄る湖面に浮かぶ小舟を眺めていると、何だか自分が流されていくよう。流されても湖なのでどこかの岸には辿り着くのだろう。昨年春、「江南の春を楽しむ」という企画でK先生とご一緒した。先生は当地の大学とも交流を深めており、会社を辞めたばかりの私を誘ってくれた。皆で船に乗り、西湖遊覧をしたことが思い出される。先生は今年の春、西湖の春を見ずして亡くなった。初めての一緒の旅が最後の旅になった。人の出会いは儚いものだ。

夜、昨年お会いした汪さんと清河坊で待ち合わせた。清河坊は昔の街を再現した場所で、昔の建物が残り、大道芸あり、似顔絵かきあり、お店もずらりと並んでいて、観光客の人気スポット。

汪さんは30年前に北海道大学に2年留学しただけなのに、きちんとした日本語を話す本当に頭のいい60代で、浙江大学の理科系の教授も務める人物。今回も連絡すると懐かしそうに出て来てくれた。これは嬉しい。

汪さんは私を一軒の茶店に誘う。なかなか雰囲気が良さそう。汪さんは慣れた足取りで2階へ上がる。そして龍井茶を注文しようとした。ところが、突然汪さんの顔色が変わり、店員に何か言い始める。そして茶葉を持ってこさせ、じっくり見てから、この店のオーナーに電話した。一体なにがあったのか。

聞けば3週間前まで、一人68元だった料金が、突然3倍になっていた。そして茶葉は本物ではなかったという。オーナーの指示で本当の茶葉が運ばれてきたが、それでも料金は変わらない。観光料金と言えばそれまでだが、地元の人からすれば怒るだろう。実は汪さんは一時、お茶屋さんもやったという専門家。彼を騙そうとしたことでトラブルとなる。恐らく私がいたので、お茶を飲んだのだが、普通なら席を蹴って退場しただろう。

テーブルには菓子や果物がふんだんに並べられ、店員が茶を淹れてくれたが、何だか全てが嘘っぽくなってしまった。これでよいのだろうか。折角の再会に水を差されたが、こちらとして、このような一面が見られて、勉強になった。





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