福州お茶の原点を訪ねる2012(3) 農業局の専門家から茶の歴史を習う

4.福州4日目(17日)   福州海峡茶業交流協会

福州も4日目、今日は午前中お役所に行くという。魏さんに連れられて行ったところは、福州市農業局。一体何が始まるのか。一室に入って行くと空気が張り詰めていた。何と福州のテレビ局が取材をしていた。会長と呼ばれた人がインタビューを受け、その後専門家が福州の茶業の歴史などを詳しく話している。

福州海峡茶業交流協会、この組織は対岸にある台湾と、お茶を通じて交流しようという団体。そうか、お茶を通じて交流、いいな、などと思っていたが、ここは市の農業局。そうか、これは政府方針なのだ、と気が付く。実際に会長に話を聞くと「まだ台湾には行っていない。交流はこれからだ」と言われ、少し驚く。

お茶の専門家としてインタビューの応えていた鄭さんに茶の歴史について話を聞きたかったが、多忙の様子で諦めた。結局農業局の前で記念撮影して戻って来ただけに。それもまた良い経験だ。魏さんは実に色々と気を使って私を案内してくれている。有難い。

お昼は日本ラーメンを食べて物件を選ぶ

お昼は紅茶屋近くで食べようということになり、歩き出す。すると1軒のラーメン屋が目に入り、そこへ行く。「東京麺一番館」と書かれたこのお店、1997年に開業した福州でも初期の日本ラーメン店。日本から帰国した地元の人が始めたらしい。

叉焼麺セットでミニ丼が付いて30元。味は日本とそれほど変わらない。普通は15年も経てば、地元の味に変わっていくものなのに何故だろう。やはりここ福州付近は本当に日本への出稼ぎ、留学者が多く、日本の味を知っている人が多いからではないかと勝手に推測する。

街には高級そうな日本料理屋は見当たらないが、ラーメン屋とか天ぷら屋とか、比較的簡単な店はいくつも見掛けた。日本食がブームというより、地元に受け入れられたものが残っていると言った印象。この辺に福州人の傾向が見えるような気がした。

そしてラーメンを食べていると突然魏さんが、動き出す。外へ出る。着いて行って見ると、「ここの隣が貸し出されている。立地は悪くない」と経営者の顔に。どうやら新しい店舗を考えているようだ。そういえば月末に卸市場の店を閉じるのだった。老板は忙しい。部下の男性が、そこに張り出されている携帯番号にその場で電話している。そして魏小姐は入れないかドアを調べている。そうか、こうやって場所選びは始まるのか。日本のように不動産屋さんを通して、なんて流暢ではない。

そこへ男性がやって来た。聞けばここのオーナーらしい。二言三言話していると、突然「それで賃料はいくらだ」と魏さんが交渉に入る。オーナーが「ちょっと待て」と言って警戒する。そうれもそうだ、誰だか分からない人間と賃料交渉しても払ってもらえるのかどうか訝る。魏さんはさっと名刺を出し、説明、そして交渉担当となった男性が携帯番号を交換してこの日は終了。面白い。

鄭さんの歴史講義

夕方、「鄭さんが来てくれるぞ」と連絡が入る。鄭さん?そうか、午前中に農業局で会った専門家。魏さん達が連絡して私の為に呼んでくれたのだ。紅茶屋で会う。

福州の茶の歴史、それは花茶だという。ジャスミン茶の故郷、確かに彼はテレビのインタビューでもそこを強調していた。唐代には仏教の普及と共に花茶が使われ、北宋の時代には薬として珍重された。清の時代にも愛好され、西太后も愛飲した。1870年代、福州は中国の茶葉取扱いで最大となり、海外にも花茶が輸出された。当時福州には17もの外国領事館が存在した。日本も置いていた。

新中国後も80年代まで福州のジャスミン茶は高価な存在だった。だがその後鉄観音や岩茶の台頭もあり、価格が下落。元々高級ジャスミン茶は製造に非常に手間が掛かり、半年も掛けてやっと完成するため、価格が下がった今、茶農家が製造を敬遠している。彼の仕事は福州のジャスミン茶を復興することにある。またよいお茶が採れるのは北緯25-30度あたりであり、中国では福州、浙江省、湖北、四川が含まれるという。亜熱帯で雨量がそこそこ有るということか。

だが、何故福州の茶業は衰退したのか。港は使われなくなったのか。台湾茶との関係は。日本はどう関わったのか、などなど、聞きたいことが山ほどあったが、時間切れとなる。

夜は昨晩に続き、魏さん達と茶芸館見学。今回は湖の畔にあるきれいなお店へ。個室で優雅にお茶を頂いていたが、午後9時に魏さんは商談があると言って、出て行った。老板は本当に大変だ。

5.   5日目(18日)    紅茶世界詩文コンテスト

本日は朝10時前に紅茶屋へ来るように言われていた。何やらイベントがあるらしい。行って見ると紅茶屋の一部が会場となり、人が集まってきている。ビデオ撮影の準備も進む。何が起こるのだろうか。

来賓が席に着き、会が始まる。第6回紅茶世界詩文コンテストの開幕式、それがイベントの内容だった。紅茶に関する詩や文章を半年かけて募集し、最後に選考するとか。福州市の役人やら、協賛する新聞社やらが挨拶を述べる。中でも魏さんの熱の入れようは相当なもので、別弁をふるって紅茶の世界を語りかけていた。

また茶芸も披露され、自慢の茶芸隊が登場し、優雅にお茶を淹れて見せていた。このようなイベントの為に女性陣を確保し、お茶の普及に努めるのは大変なことだろう。会は滞りなく終了。その後は新聞社、雑誌社などのインタビューが始まり、翌日の紙面を賑わせるよう、皆が努力する。面白い企画である。

福建博物館

午後は福建省博物館へ行く。中国では現在全国どこでも博物館は無料。これはいい制度。ここの博物館もかなり巨大だ。中へ入ると天目茶碗のレプリカが沢山置かれている。福建省武夷山近くには天目茶碗を製造していた官窯があった。10年以上前、偶然にそこを訪れると、昔の失敗作品が散乱していたので驚いたことがある。先日お会いした呉雅真さんも20年前はここに勤めて、茶器などを眺めていたのだろう。

またここ福州は琉球と深い関係にある。それを示す様々な展示品がここにはある。清朝時代、琉球国と書かれた墓がある。琉球は日本なのか、それとも独立国か。この辺の歴史認識も難しい所だろう。展示品には中国側の思惑もあるだろうが、純粋に琉球使節団のことなど、考えてみたい。

近年は日本の茶道関係者が沢山訪れている様子が、写真で飾られている。やはり日本と福州はお茶で結ばれていると言える。ここは武夷山への玄関口。ただ最近は飛行機で直接武夷山へ行けるので福州を意識する人はそう多くはない。福州は何故顧みられなくなったのか、検証する必要がある。






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