北京及び遼寧茶旅2019(6)レトロな街、営口へ

12月17日(火)
営口へ

翌朝は非常に良い天気になった。昨日は何だったのだろうか、と思ってしまう。朝ご飯を食べてから、外へ出た。実は数か月前にもあったことだが、銀行カードがなぜか急に使えなくなってしまったので、急いで銀行へ行く。歩いて1㎞ちょっとの所にあるのだが、道が広くて意外と遠い。

 

銀行に入ると年配の女性が寄って来て、『どうしたの?外国人なの?』と聞いてきて、窓口まで連れて行き、係員にも一生懸命状況を説明してくれた。中国の銀行ってこんなに親切だっただろうか。だが、窓口では原因がなかなか分からない。今日は営口に移動するので、列車の時間もあり、ちょっと焦る。係員はついに、再度私のデータを登録し直したらしい。すると突然使えるようになる。システム上の問題なのか、本当にこういうのは困る。お金が急に使えないのは外国では致命的なのだ。でも銀行側の対応は有難い。

 

急いで宿へ戻り、チェックアウトする。この宿、とても立派なのだが、受付の対応は残念ながら今一つ。急いでいるのに、私の作業を途中で中断して他のことを始めてしまった。何とかアウトさせてもらい、前に停まっていたタクシーに乗る。駅に着くとまだ40分もあったが、私のチケットの列車より早いのはない、とのことだった。

 

何故だろうか。本日向かう営口という街は、その手前で瀋陽と大連方面に分れるのだ。だから葫蘆島を通る列車は沢山あるのだが、私は大連方面行にしか乗れない。このようにして、街の位置関係を理解することも重要だ。大連行きに乗れば1時間ちょっとで営口東駅に到着する。もう列車の旅も慣れてしまい、目をつぶっていると着いてしまう。

 

営口東駅も新しい感じだった。ここから街までは相当に遠い。またバスなども乗り換えないと予約した宿に行けないため、タクシーを使う。日本に比べれば決して高くはないので、つい使ってしまうのだ。営口の街はかなり古びており、歴史好きの私としては、秦皇島、葫蘆島よりはワクワクする。

 

宿も老舗ホテルだった。予約した時は気が付かなかったが、この付近が往時営口の貿易の中心であり、この宿の位置も元々は税関の横であった。裏は川が流れている。天気は良いのだが、川風はかなり冷たい。思えば北京からどんどん北に向かっている。そしていつの間にか遼寧省に入っている。

 

宿の向かいに由緒正しそうなビルがあった。1930年代にできた銀行の営口支店だった。その隣は郵便局の跡、中国赤十字発祥の地とも書かれている。更に道を渡ると珍しい建物が見える。何と旧ロシア領事館だった。実はこの両側にはイギリス領事館と日本領事館もあったらしいが、今はその姿は見えない。ただ更に行くと、立派な教会が今もどんと存在している。往時の営口とはどんな街だったのだろうか。

 

零下の街を歩いていると、実はかなりの疲労感がある。そして腹が減るが、この周辺にはあまり食堂がなく、たまたま見かけた包子の店に入っていく。ドアも2重になっており、急に北国を実感する。包子以外にも豆腐脳も注文し、更にはキムチも出てきてちょっとカオス。だが体は温まってよい。

 

そのまままた歩き出し、宿の裏の川沿いを少し歩いてみたが、残念ながら風が強くて、宿へ戻ってしまった。ベッドに潜り込んで体を温める。テレビを点けると女子サッカー東アジア選手権、中国対台湾をやっている。本来なら北朝鮮が出るべき試合だが、代わりに台湾が招待された。日本にはぼろ負けしたが、今日はかなり頑張って1点差の惜敗。監督も日本人であり、今後向上が見込まれる。

 

夜になると腹が減りまた外へ出た。先ほど見た古い建物はきれいにライトアップされていた。今回は歩いて15分ほどかかる、街の中心部まで行ってみた。小さな街だが、重厚感ある建物も残っている。なぜか水餃子が食べたくなり、チェーン店らしき店に入る。かなりきれいで雰囲気も良く、ここだけお客が多い。

 

餃子は冬至に食べようと思っていたが、今回は冬至の日に帰国するので、東北にいる間に食す。ここの餃子は餡がしっかりしており美味だ。一種類なので飽きてしまわないように、キュウリの和え物も頼んであるので、快調に箸が進む。家族連れもいるが一人客も多く、特に女性が目立つ。これからはこんな店が地方にもどんどんできるのだろう。

 

部屋に帰ってテレビを回していると、何と『茶番組』専門チャンネルを発見した。茶の歴史番組もあり、かなり本格的で一流の先生が講義しており、真剣に見入る。学生の茶芸コンテストはどうかとも思うが、取り敢えずこんなチャンネルがあることに中国の凄さを感じる。日本ではとても成り立たないだろう。

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