北京及び遼寧茶旅2019(5)氷雨の葫蘆島で

 

夕飯は結局面倒になり、宿の横のウイグルレストランに入って、ラグマンを頼む。出て来た麺、二人分はありそうだ。具も沢山で、自ら麺にかけて食べる。久しぶりに堪能する。小学生の女の子は宿題をしながら、店の手伝いをしており、何となくウイグルを思い出す。もう一度行きたいのだが、今は少し不自由だ。

 

宿へ帰り、またテレビ。もう旅をしているのか、スポーツを見に来ているのか分からなくなるが、年末のグランドファイナルを生中継で見られるのだから、つい見てしまう。バド女子は台湾の戴と中国の陳の戦いとなり、予想を覆して、陳が優勝した。彼女のスマッシュ、コースが独特で実に拾いにくい。

 

併せてサッカー東アジア選手権男子、中国対韓国の試合も見た。どちらも動きはイマイチだが、そこは試合好者の韓国が上手だった。目を引いたのは、中国の監督代理があの李鉄だったことか。彼は中国初のプレミアリーグ選手だったことをよく覚えている。現在中国選手でイングランドに所属している人はいるのだろうか。李の頃は中国ももう少し強かったような気がする。

 

12月16日(月)
葫蘆島へ

翌朝もダラダラ起きる。午前中は休息に当てる。11時前にチェックアウトして、駅へ向かう。今日は高鉄で葫蘆島北駅まで進む。途中昨日行った山海関を通り過ぎ、約1時間で葫蘆島北までやってくる。駅は畑の真ん中に作られた感じが強く、周囲には特に何もない。タクシーで市内中心部へ向かうも、30分ほどかかる。予約した宿に入ると、見かけはかなり立派。区画整理がよくできており、新市街地にいることが分かる。

 

残念ながら葫蘆島で雨が降り出し、かなり肌寒い。昼を過ぎていたが、ちょっと外に出て、麵屋に駆け込み、熱い麺をすする。落ち着いたところで、外へ出るとちょうどタクシーが来たので、港の方へ走ってもらう。港は街から10㎞も離れており、予想以上に遠く感じられた。運転手も『なんでそんなところへ行くんだ』と怪訝そうな顔をする。

 

目的地をスマホ地図で示して、30分ぐらいかけて何とかそこに辿り着く。そこ、とは、第二次大戦後、旧満州などか命からがら逃げてきた100万人の日本人が、海を渡って引き揚げた場所だった。『日本僑俘遣返地』という石碑が建っているが、これは最近地元政府が建てた新しいものだった。

 

いつかは一度、この地に来ようと思っていたが、その日は突然にやってきた。だがこの石碑以外、この地の歴史が感じられるものは何もない。1945年から46年にかけて、着の身着のまま満州から逃げてきた開拓民がここに集められ、寒さの中、日本への帰国を待っていた。それは今日の零下の気温と小雨の中で見ると、恐怖でしかない。日本人は満州で一体何をして、何を得て何を失ったのか、私などには想像もできない。ただただ茫然と佇むのみである。

 

ここを訪れたことを後日、何人かの日本人に話したところ、『実は自分の母親もここから引き揚げたと聞いている』『一度父を連れて行きたかったが、もうそれは叶わない』など、思った以上に反響があり驚いた。そして満州引き揚げの規模の大きさ、身近さがひしひしと感じられた。もし当時の引揚者が今の葫蘆島を見たら、一体どう思うだろうか。懐かしくはあるかもしれないが、決して良い思い出がある場所ではないはずだ。

 

この石碑の海側にも何かあるというので、小山を登ってみた。ここからは現在の港が一望できるはずだったが、霧でほぼ何も見えない。上には『葫蘆島港開工記念碑』が建っていた。1930年とあり、張学良の名前も見える。この時代、東北軍閥の雄、張学良は父張作霖の爆死後、この辺りまでを勢力圏に置いていたことが分かる。そして僅か6年後、西安事件で幽閉され、次に歴史上に登場するのは、1990年の台北だから、あまりに劇的である。

 

帰りのタクシー内で『ほかに古い町並みが見られるところはないか』と聞いてみると、葫蘆島市内は、戦後の建物ばかりだが、もう少し遠くで良ければ明代の建物が残っている、というので、そちらにも行ってみることにした。何しろ雨で動きは取れないので、今日はこのタクシーを使うしかない。

 

遠くとは言ったが、本当に遠かった。一度葫蘆島市内を通り過ぎ、反対方向へ30㎞も進んだ。もう葫蘆島ではなく、隣の市ではないか。興城古城、という名の城壁に四方を囲まれた観光地がそこに出現した。だが冬で雨のせいもあり、観光客は全くおらず、既に切符売り場も閉鎖されていた。仕方なく場内を散歩したが、確かに古い建物はあるものの、現在も人が住んでいるため、その古さが今一つ感じられず、半分ほどで引き返した。

 

これまでタクシーを使って観光地に行くなど、殆どなかったのである意味新鮮ではあるが、ずっと雨に降られたので、何をしに来たのか、よく分からずに終わった。宿へ帰るともう外へ出る気力もなく、ルームサービスで済ませる。色々な意味でぐったりと疲れが出たのかもしれない。気持ちは非常に重かった。

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