広東・厦門茶旅2019(6)潮汕工夫茶伝承人を訪ねて

5月30日(木)
潮汕工夫茶伝承人を訪ねて

翌朝、荷物をまとめた。ついに潮州を去る日が来てしまった。何とも名残惜しい。そして去る前に矢張り朝食。張さんも昨日の店が痛く気に入ったようで、2日連続で向かう。私にも全く異存はない。今朝はシラス粥に焼き魚、そして漬物。まるで和食の朝ご飯のようなあっさりした仕立てが実によい。もっと他の物にも手を出したかったが、さすがにそれもできず、次回に持ち越すこととなる。

 

荷物を積み込み、いざ出発。今日はどこへ行くのだろうか。張さんが言うには『潮汕工夫茶の歴史について知りたいのなら、伝承人である有名な鄭さんに聞くのがよい』ということで、彼女はここ2-3日、鄭さんを探していたようだが、ようやくある山にいることが判明して、そこへ追い掛けていくことになったのだ。これまたある意味で凄い旅だ。

 

やはり山道を行き、高峰村という場所に行った。そこも周囲には何もない所だったが、茶畑が見え、茶工場があり、その中にお目当ての鄭恵豊氏がいた。彼は元々国営企業に勤めていたが、その茶の実力で独立し、今は何社もの茶作りのアドバイスをしているらしい。ここもそのうちの一社だという。ここで1時間ほど、その茶の歴史の話などを聞いた。さすがに現代史となると、話が生々しい。

 

お昼は街に降りていき、そこで食べた。またもやうまい。ここでは潮州名物のウナギが煮込まれて出てきた。海鮮系も多く、潮州料理のうまみがにじみ出ていた。食後は近くの茶荘に入り、そこで老板自慢のお茶を頂く。何だか眠気が出てくる。これは確かに極楽旅だ。ここでずっと休んでいたい。

 

何と鄭さん自ら我々を車に乗せて送ってくれるという。何とも有り難い。まずは張さんたちを潮汕駅に送る。彼女らの予約していた広州行き列車、ギリギリになったが、何とか間に合ったらしい。そこから鄭さんの自宅のある汕頭まで私も乗せてもらい、引き続き、質問を浴びせ、回答を得た。これはまた有意義な時間だった。

 

汕頭に着くと、すでに日も暮れており、予約したホテルまで送ってもらい、別れた。本当は明日も一緒に行動したかったが、鄭さんも久しぶりの自宅だというので遠慮した。紹介された汕頭のホテルはなかなか快適だった。取り敢えず外へ出て、駅に向かう。明日の厦門行きの高鉄チケットをゲットしておく必要がある。

 

汕頭に来るのも18年ぶりだが、特に高い建物もなく、非常に穏やかで、あまり変わっていない、という印象だった。潮州、汕頭、なぜここまで発展しなかったのだろうか。この2都市、お互いに競っていると聞いていたが、良い競争になっていなかったのだろうか。まあ、私個人としては、今の中国の中で、ここまで変化が乏しい街はむしろ貴重であり、懐かしむに足る。

 

駅は昨年改装されたばかりできれいであったが、駅の前は大きな道路に阻まれ、渡る所がないなど、インフラ面には問題があった。それでも駅には殆ど人もいなく、切符はすぐに買えて嬉しい。バスで帰ろうとしたが、こちらもよく分からず、結局歩いて戻る。途中の食堂で海鮮粥を食べて、何となく満足。

 

5月31日(金)
面倒な高速鉄道

朝ごはんはホテルで食べたが、料理は沢山あるのだが何とも味気ない。完全な潮州ロス状態に陥っている。これは早く脱却する必要がある。フロントでタクシーを呼んでもらい、乗り込むと、運転手が『どうして潮汕駅へ行かないんだ?』と聞いてくる。もう切符は買ってあると言うと、仕方ないな、と言い捨て走る。

 

駅にはすぐ着いたが、現金で払おうとすると『微信決済ではないのか、タクシーは誰が呼んだんだ?』と聞かれ、ホテルと答えると頭を抱える。ホテルが現金決済と言っていないので、現金は受け取れない仕組み?らしい。でもそれはこちらが困る。何と運転手はホテルへ戻るというので、勘弁してくれというと、ホテルまで戻る分もくれ、と表示以上の料金を要求。何とも良く分からない。

 

汕頭駅には、地下通路に降りるエスカレーターすらなく、何のために改装したのかと思う。皆重い荷物を持って階段を上り下りして疲れる。何と今回普通座席が売り切れていたので、一等車初めて乗ったが、座席が僅かに広いぐらいで特段良くというわけではない。でもたった一駅とはいえ、16元というのは極めて安い。ただ次の潮汕駅では、一等車両は出口から一番遠く、何の優先もないと知り、がっかり。おまけにエレベーターで降りたら、そこは出口に行けず、また荷物を持って、別の階段を探す始末。

 

更に私は切符を2枚持っていた。何故だ?私は乗り換えるのだから、改札を出る必要はないと思っていたが、中国は甘くない。列車が来るまでホームで待つことは許されておらず、一度特別改札を出て待合室へ行き、時間が来たらまた並び直して列車に乗るのだ。だから皆が潮汕駅を使えと言ったのだ。意味は分かったが、もう後の祭りだ。中国の高速鉄道は恐ろしく発展してきたが、ソフト面では不便なことが多い。それから1時間半ほどかけて、ようやく厦門駅に着いた。

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