遥かハバロフスクに茶旅する2019(3)最高のガイドと街を歩く

そしてメインストリートである、ムラビヨフ・アムールスキー通りを歩き出す。ここが100年以上前、多くの日本人が暮らし、商売した場所だと言われ、実際に彼から『ここは竹内商店、向こうは中村歯医者、最初の日本領事館もここにあったよ』などと言われると、ちょっと驚いてしまう。当初の木造建築は残っていないものの、1900-1920年代に建てられた重厚で立派なレンガ造りの建物は今も現役で使われているのだ。特に竹内商店のあった建物には竹内家の家紋が埋め込まれているなど、日本を偲ばせるに十分な素材があった。

 

今回私が探し求めてきた、可徳商店もこの一角にあったという。ただ日露戦争時に日本人が引き揚げた後、すぐに木造の家は取り壊され、今はレンガ造りに変わっていた。それでもかなり港に近い良い場所を占めていたことが分かり、これは大きな収穫となった。これで当時の写真でもあればと思ったが、それは欲張りだった。

 

広場に出るとそこには教会があり、ちょっと入ってみる。中では厳粛に何かの儀式が行われており、奥に入るのは憚れたので、入り口付近で眺めていた。ソ連時代には宗教も弾圧されていたはずだが、多くの人が教会に来ているのは、その信仰がずっと続いていたからだろうか。この街には多くの教会があることをこの後沢山歩いて知ることとなる。

 

そしてアムール川に出た。広い川面は一面氷で覆われており、その上に朝降った雪が積もっていた。その遥か向こう、60㎞離れたところには中国の撫遠という街があり、数年前に行ったことがある。1年の半分だけ港が開き、ここからフェリーに乗って中国へ行けるのだ。ウラジオストックから入った物資も川つたいに来て、ここに荷揚げされたのではないか。可徳商店の物資もそうだったのだろうか。

 

すぐそこに1894年にオープンしたという郷土史博物館があった。中に入ると暖かい。旧館と新館があり、かなりの展示物があり、1時間以上かけて見学した。先住民族の記録、チョウザメなどの特産品が目新しい。ここには日本人はあまり出てこないが、やはり中国人の歴史は出てくる。お茶に関する展示はほぼないが、何となくハバロフスクの歴史が分かったような気になる。

 

この博物館の近くには2つの意味ある建物が建っていた。1つは音楽堂。ここは(ここ以外にも幾つもある)戦後抑留された日本人が建てたと言われており、その中にはあの歌手、三波春夫さんもいたという。もう一つは士官会館。ここで1949年にいわゆるハバロフスク裁判が開かれ、日本の対ソ攻撃、731部隊などが裁かれた歴史的な場所である。今は建て替え中で、中を見ることは出来なかった。確か昨年放映されたNHKスペシャルで731部隊の新たな資料が示されたが、これがハバロフスク裁判の録音テープだったと記憶しており、誠に興味深い。本当はここで何が行われたのだろうか。

 

お昼はインツーリストホテルで取る。インツーリストと言えば、ソ連時代は勿論、数年前まで、ロシア旅行時には欠かせない存在。このホテルも往時外国人客の宿泊が多かったようだが、今では多くのホテルが出来ており、改修工事で競争力を高めようとしていた。食事はハバロフスク名物のペリメニを食べる。以前も他で食べたことがあるが、ここの物は、食べやすい。

 

午後はタクシーを呼んでもらう。今やロシアでもタクシーはスマホアプリで呼ぶものだそうだ。私が希望したのは日本人墓地。ここは昨夜トロリーバスで市内へ来る途中にあったが、暗くて分からなかった場所。もし墓地が分かっても、広い園内のどこに日本人墓地があるかは分かりにくいため、ポボロツキーさんに連れてきてもらい正解だった。

 

墓地は区画が仕切られ、かなりきれいに整理されている印象。1956年日本人墓地とあるのは、日ソ共同宣言の年に整備されたということだろうか。近年日本政府はシベリア抑留中に死亡した人々の遺骨収集をして、DNA鑑定も行っているというが、本当にその人なのだろうか。それでも名前があり、墓があるというのは救われるのかもしれない。周囲にあるロシア人の墓に目をやると、墓碑に写真や似顔絵などが沢山見られ、何となく楽しい感じになっている。故人を偲ぶその方法は、その国それぞれだろうか。

 

続いて車は市内に少し戻り、プーシキンの像がある教育大学の裏手に着けた。この建物はあのラストエンペラー、溥儀が連行され、収容された場所だという。確かに先日天津に行った際、溥儀が故宮を出て住んだ静園にあった展示室に、ハバロフスク抑留のことが書かれていたのを思い出す。ここの1階に溥儀と満州国の大臣クラスが住み、2階は日本人将校が住んだと説明された。何ともリアルに歴史的な場所に立っている気がした。今は病院になっている。

 

最後に市場に行く。ここでようやくシムカードを手に入れた。550ルーブルで簡単に買えて使い勝手は良い。ついでに市場内を歩いてみると、お茶なども売られているが、紅茶のティバッグ。川魚は豊富で、肉売り場の面積も大きい。日本人が当地で作っている有機野菜は人気が高く、売切れていた。日本製調味料なども売られているが総じて高い。

 

ここから歩いてレーニン広場まで行き、ポボロツキーさんとは別れた。何とも有り難い1日ガイドで感謝しかない。彼がいなければ、何日ハバロフスクにいても何も変わらなかっただろう。私はレーニン広場を少し見て、そこからゆっくりと歩いて帰った。夕日が落ちていく時間だった。ちょうどセルフサービスのカフェが目に入ったので、スープと魚などを取り夕飯とした。ここが一番、一人旅にとって食事のしやすい場所だった。

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