島根横断茶旅2019(5)吉賀の夢見る茶畑

3月11日(月)
津和野から吉賀町へ

朝早めに起きて散歩しようと思ったが雨模様なので取りやめる。8時頃に食事が用意されており、一人でポツンと食べた。昨日の朝もそうだったが、関東などでは和朝食の定番である、納豆、生卵、海苔の3点セットは一つも出てこなかった。これは何を意味しているのだろうか。納豆はスーパーなどでは普通に売っているというのだが。

 

散歩に出た。古い街並みを歩く。津和野駅に着くと、突然強い雨が降り出し、傘もないので雨宿り。その風情はなかなか良い。雨が止んだのでまた歩き出す。川沿いから教会へ。ここの教会、本堂は畳敷き。如何にも歴史を感じさせる。幕末に潜伏キリシタンが島原から送られてきて(浦上四番崩れ)、ここで弾圧されたという歴史もある。そしてまた雨が降り出し、濡れながら宿へ帰る。

 

Uさんが迎えに来てくれた頃には雨は上がっていた。私が歩かなかったもう一本の道を散歩する。古い薬屋さんがあり、お茶との関連を聞くが特に収穫はない。そのまま一軒のお茶屋に入る。どう見ても老舗だが、最近老夫婦が引退して孫娘が継いだという。しかもご主人はフランス人。何だかとてもユニークだ。

 

香味園 上領茶舗、カワラケツメイを使ったざら茶を売っている。健康茶として認知されつつあるようだ。店舗はいかにも昔からある、という雰囲気が良い。かなり古い茶缶が無造作に置かれている。実は津和野に来る外国人の半数はフランス人らしい。ご主人は大阪で奥さんと出会い、縁があってここにやって来たのだが、これは面白い取り合わせかな、と密かに思う。因みにフランス人が津和野に来る理由は、『有名なガイドブックに載っているから』とか。

 

もう一軒、お茶の秀翠園というところも訪ねた。事前に連絡したが返事がなかったため、突然の訪問となったが、対応してくれた。この地区では一番手広く茶業をしているという。茶工場前の茶畑から見る山の景色は良い。お話しを聞くと、これまでで一番現実的。文化や伝統を守る、ようは茶業を続けていくためには、売れるお茶を作り、宣伝し、包装することだ、という。これはとてもはっきりしていてよい。こちらもお嬢さんがイタリア帰りで、お婿さんはイタリア人とか。これからはクルーズ船に合わせて外国人にも売っていくという。

 

そしてついに、Uさんの住む吉賀町に向かった。ここまで本当に長かったように思う。天気はいつの間にか快晴となる。40分ぐらい山沿いの道を行くと、到着した。まずは道の駅でランチを食べる。ランチを食べられる場所があまりないらしい。食堂には地元のお客さんがいて、Uさんに話しかけてくる人もいる。狭い社会なのだろう。隣では特産品などが売られており、Uさんの作るお茶も置かれていた。

 

Uさんがここに住み始めて2年。色々な困難もあるようだが、サポートしてくれる人々も沢山いるようで、特に農家の人々が何でも自分で作り、治すのには驚くという。確かに他に頼れるものが無ければ自分でやるしかない。そこに創意工夫や技術革新というものが育つのではないだろうか。私などにはとてもできない。

 

Uさんたちの茶畑を見る。ちょっと道路から上がっており、隠里的茶畑がそこにあった。以前は神奈川で『夢見る茶畑』をやっていたUさんらしい、茶のシーズンにはまだ早く、芽は出ていないが、それは趣があり、またきれいに整備されたところだった。環境がよく、空気もよかった。時々クマやイノシシが出るらしい。ここで作られる有機茶、実は昨年もらって飲んでいるのだが、予想を上回る美味しさで重宝している。因みにこの畑の下には、某お笑い芸人の実家があり、そこは非常に立派な建物だが、誰も住んでいないのでもったいない感じがする。

 

もう一つ別の場所にも行く。この地域はかなり以前から茶があり、山の中、林の中にもその痕跡があるという。実際に林には入っていけないが、道路脇にも茶樹がチラホラ見える。島根県の茶をこれまで見てきたが、大体は誰かが植えたものだった。だが、ここにはそれよりもっと古い何かがあるのではないか、と思わせてくれた。当然大陸や朝鮮半島との関連を考えるべきだが、その資料は今のところないようだ。

 

あっという間に時は過ぎてしまい、Uさんの車で、石見・萩空港まで送ってもらう。小1時間で到着。4日間もお世話になってしまい、感謝しかない。空港はとても小さく、空港バスは1日2便しかない。何とフライトはANAの1日2便だけのようだ。後でニュースを見たら、地元では空港存続?の運動もしているようだ。

 

まだ相当に時間があったので、空港の外の丘に登ってみる。これだけ空港が丸見えの丘、というのも珍しい。ゆっくりと夕日が空港の向こうに沈んでいく。空港内で簡単な土産を買い、テレビを見ると相撲をやっている。横綱の取り込みの前にコールが掛かり、乗り込んでみたが、お客はそれほど多くはなく、ゆったりと東京へ戻っていった。

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