スリランカ お坊さんと行く紅茶畑の旅2012(9)キャンディ 三顧の礼で茶葉博物館へ

若手の僧と議論する

帰りは車で寝込んでしまい、3時間があっという間に過ぎた。流石に足を鍛えていないので、疲れたのだろう。戻るとスマは熱があるという。彼も私の世話で疲れたのかもしれない。その夜は自分出来ることは自分で行う。

例えば自分の使うお湯は自分で沸して湯浴びをするなど。実はこの湯浴び、私の為だけに行われているもので、普通は水浴び。申し訳ないので、日ごとにお湯の量を減らして、使っている。まるで兵隊さんのような気分で、貴重なお湯を有効に使う。この気持ちは大切だ。

食事はここにいる若い僧が準備してくれている。これが非常に美味しくて、日ごとに食べる量が増えている。現在3人の若者がここに滞在し、大学へ行っている者もいる。寺に来て最初に教わるのは自分で調理することだというから、もう10年以上のベテランだ。それにしてもスリランカでは既に托鉢の習慣がない。食べ物の寄進は、信者が寺へ運んでこるのだ。それ以外は普通に市場で野菜を買い、自分で料理する。

初めの方でペーラーデニヤ大学を案内してくれた若者は何か話したいようだったので、誘うとドンドン話し始める。彼はスリランカの東大、ペーラーデニヤ大学でも最も優秀な学生の一人だそうで、将来は大学で教えることも考えている。非常に発言に自信を持っていて、はっきりものを言う。これも大事なことだ。

スリランカで今最大の問題の一つはイスラム教徒の増加。これは他のアジア諸国でも顕著であり、問題視している点だが、スリランカでは具体的に、中東からの資金投下でイスラム系が商業を握り、シンハラ人の女性を雇っている点。イスラムでは4人まで奥さんが持てること、内戦でシンハラ人の若者(男性)が少ないことから、シンハラ女性をイスラム化していく作戦らしい。またシンハラ女性に高学歴者が多く、こちらは結婚相手としてふさわしい男性が見付からない。結果として、シンハラの子供が減り、イスラム+混血の子が増加していくことになる。中東を中心としたイスラム世界はスリランカを支配下に置くつもりだ、との危惧は絶えない。

今の日本で、自国の問題点を的確に把握し、それにいかに対処するかを真剣に考えている若者はどのくらいいるのだろうか。若いお坊さんとの対話はかなり刺激的であった。

11月14日(水)   8.キャンディ3   寺の高僧

朝、スマは少し具合が良くなったようだが、まだ食べ物を口にしない。私は一人でパンを焼き、バターとジャムを塗って食べる。すると卵焼きが運ばれて来て、食事が豪華になる。お茶もTWGのフルーツティを淹れてみる。何だか優雅な朝食になる。   

スマが寺を案内するという。すでに数日泊まっていたが、ちゃんと中を見たことはなかった。実は高くなった所に寺があるのだが、その横にも仏像が有ったりする。更にその上を登って行くと、瞑想できるような空間もあるという。私はほんの一角に過ぎない僧院に泊まり、全体を見ていなかったが、敷地はかなり広大で、現在は林になっているが、将来スマには何か計画があるらしい。確かにここの自然は得難い物があり、また日曜学校の為の校舎などもあり、やりようによっては色々と出来るかもしれない。

スマはこのお寺に10歳でやって来たが、その時から指導しているお坊さんがいる。聞けば93歳。実に気さくなお坊さんで、私にも英語で話し掛けてくれるのだが、僧院の中の写真を見ると、何だか偉い人に傅かれている。スマに寄れば、1か月半ほど前に、こちらから招待したわけでもなく、大統領が来たのだそうだ。現役の大統領が態々山奥へ来るとは、このお坊さんの名声は相当に高いらしい。

スマの師匠であるこのお坊さん、お姉さんは今年99歳、弟さん達も80歳を超えて皆健在だという。どうすればそんなに長生きになるのか、それも健康で。秘訣はこの自然環境にあるような気がしてならない。お別れする時に「またお出で」と言われた。何年後かは分からないが、再会できると思う。

Tea Museum

3日ほどお世話になったお寺を去る。そしてこれまで2度行っては入れなかった鬼門、Tea Museumへ3度目の挑戦を行う。キャンディ市内は結構なラッシュで渋滞が続く。ようやく1時間以上かけて辿り着く。相変わらずひっそりとしている。入り口のドアは開け放たれていた。遂に入場した。500ルピー。案内人が来るという。スマに配慮したかと思ったが、2時に定時のツアーがあった。我々2人とアイルランド人の若者の3人で行く。

博物館の中は、各製茶工場、茶業者などから寄贈された物が置かれており、初期の頃、どんなものを使っていたのか、などは分かったものの、肝心の紅茶の歴史は出て来ない。仕方なく質問してみると「それは茶葉研究所が知っているでしょう」との答え。先日研究所は博物館に行けといったので来たのに。案内の女性はマネージャーに聞いてみると言って姿を消した。

博物館の2階へ上がると、スリランカ紅茶の父として、ジェームズ・テーラーのコーナーがあり、以前書かれた記事などが張られていた。どれも同じネタ元から出た話を書いたのにすぎないが、その記述には「テーラーはアッサム種を持ち込んだ」と書かれている。それでは当初の研究所の人間が言った、また各茶工場の人間が説明した「中国種」との説明はどうなるのか。確かに茶畑の葉はそれほど大きくないのだ。スマと2人で頭を抱えた。

4階にティサロンがあり、無料でお茶が振舞われる。2階には各産地の紅茶が販売されているブースもある。だが何故があまり落ち着かない。1階へ降りると先程の女性が数枚のペーパーをくれた。これは参観者への説明用だという。そこにもテーラーが何を持ち込んだかは書かれていない。

マネージャーという男性が「それは昔のことだから、誰にもはっきりわからないのでは」という。この博物館はTea Boardというスリランカ政府の茶業局が作った場所であり、そこのしかるべき人が分からない、というからには分からないのだろう。ただ「テーラーが中国へ行ったという話は聞いたことが無い」という所に微かにヒントがある気がした。

キャンディ市内へも戻る時、スマがドイツ人のカップルを同乗させた。ドイツ人もあまりお茶は飲まないようだ。女性の方が「以前日本のクリル島へ行き、ビールの調査をした」と言い出す。よくよく聞き直すと千島列島に熊(ベアー)の調査に行ったのだが、ドイツ人と聞くとどうしてもビールと思ってしまう。




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