九州茶の歴史を訪ねて2018(5)人吉で

鳥栖まで行き、そこから鹿児島本線で終点の八代まで乗る。これが2時間半もかかる。途中までは3日前の逆走だ。日は暮れてしまい、暗い中を八代に着くと、向かい側に1両列車が待っており、すぐに出発する。完全なローカル線で、高校生が乗客の主体になっている。料金は前の料金箱に入れて降りて行く。

 

途中は完全に民家もない所を通り、スマホも圏外になっていた。こんな暗い夜汽車に乗ったのは何年ぶりだろうか。どんどん乗客は降りて行き、寂しくなっていく。辛うじてコンビニで買っておいたサンドイッチで飢えをしのぐ。1時間20分以上かかってようやく終点の人吉に着いた。佐賀から合計4時間以上乗っていたことになる。

 

駅前は完全にひっそりとしていた。人吉には温泉宿があると聞いていたが、夜の10時に宿を探して歩くのは大変なので、駅前のビジネスホテルに泊まることにしていた。入っていくと『鉄道ファンですか?』と第一声で聞かれて驚く。ここに出張ではない人間が来るのは、鉄道関係者ばかりだという。私がお茶関係だというと、むしろ宿の人が興味を持ってしまい、少し話した。それからワールドカップ直前の日本代表のサッカーを見て床に就く。

 

6月13日(水)
人吉茶調査

翌朝はやはり疲れからかゆっくり目覚める。午前8時半に芦北のKさんが迎えに来てくれた。ここ人吉で歴史関連の調査をしようと考えてが、一人ではとても無理だと思い、応援を頼んだのだ。だがKさんは茶農家、お茶作りには詳しいが、その歴史は・・となってしまう。

 

そこで詳しい人に当たってもらったところ、その方は最近転勤になってしまい、案内は難しいとのことだったので、一度は諦めて、佐賀から帰ることにしていたのだが、その後案内可能、との嬉しい返事があり、佐賀から長旅でやってきたというわけだ。その方Sさんとの待ち合わせもうまくいく。ところが茶作りの仕事があるKさんは、そこで帰ってしまった。私もびっくりしたが、頼まれたSさんはもっとびっくりしただろう。初対面の二人、Sさんの車で出掛けた。

 

まずは郷土史家の方を訪ね、人吉の街の成り立ちと、その歴史を伺った。実は人吉の茶に関しては、先般岩波新書から本が出ており、球磨茶について、知りたいと思っていたので、この方面の話を聞くことができた。琉球時代、沖縄で飲まれていたのは球磨茶だった、といってもどんなお茶なのか、それはどうにもよく分からないが、番茶のようなものだっただろうか。

 

それから明治に入って、人吉に作られた紅茶伝習所について勉強した。伝習所とは学校だから、学校が建てられたと思い込んでいたが、ある場所を借りて臨時で講習が行われたらしい。日本の紅茶、その伝習所は熊本山鹿、人吉、大分木浦などにはじめ作られたがその実態はよく分かっていない。

 

熊本人吉は先ほどの球磨茶もあり、山茶がかなりあったようなので、紅茶に向いている地だと考えられたかもしれない。またここは宮崎や鹿児島に抜ける交通の要所でもあり、西南戦争の時は、敗走してきた西郷軍に握り飯を渡した、などの言い伝えがある、と球磨焼酎屋の奥さんが話してくれた。熊本ではあるが、鹿児島に近い、ということだ。

 

人吉の街はかなり古くて雰囲気がある。実はこの地名を最初に聞いたのは大学生の時、一年先輩がここの出身だったのだが、帰省するのが遠い、とぼやいていたのを今になって思い出す。確かに今でも遠い。特に金のない学生時代、簡単には帰れなかっただろうな。あの先輩はどうしているだろうか。

 

午後は樹齢100年を越すという古い茶樹がある、というので見に行ってみた。車で小1時間もかかる場所だった。Sさんも数年ぶりに見に行くという。だがその場所にその木は既になかった。どうやら伐採されてしまったらしい。歴史的な価値を考えれば、何とも残念だが仕方がない。これが今のこの地方の状況だということか。

 

帰りに一面茶畑が広がっているところがあったので、車を降りて写真を撮る。平成に入ってから、相良茶という名前で売り出しているという。熊本のお茶、もっと脚光を浴びるとよいのだが。Kさんのお茶だって、どんどん評価が高まり、認知されているが、それでも一握りのことなのだろうか。

 

Sさんには大変お手数をおかけしたが、鹿児島空港行バスの停留所まで送ってもらい別れた。何と人吉からは熊本空港より鹿児島空港の方が近い、というアドバイスを受け、鹿児島から帰ることにしていた。こんなこと、地元の人でないと思い付かない。バスはまだ1時間先だったので、近所にあったTSUTAYAに行き、暇をつぶした。TSUTAYAは駅前ではなく、幹線道路沿いにあるものなのだ。

 

バスは本当に50分もかからずに空港に着いてしまった。何とこれが私の初鹿児島だった。今回は空港だけだが、日本第二の茶産地に行かない手はないので、次回は万全を期すつもりだ。空港で時間が余ったので、食事をすることにした。鶏飯バイキング、580円に惹かれた。自分でご飯を盛り、具材を入れ、汁をかけて食べる。お替り自由、意外とうまい。

 

夜7時でも明るい鹿児島空港にジェットスターが飛んできた。今や東京とはLCCで繋がっており、安くて簡単に来ることができる。成田まで2時間弱の旅、その日の内に自宅まで辿り着けた。次回は是非茶畑を訪ねてみよう。

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