熱暑の関西茶旅2018(1)灼熱の岐阜で

《関西茶旅2018》  2018年7月21-26日

もう1か月以上旅に出ていなかった。2年に一度ぐらいある、長期休養。段々退屈になり、また旅に出たくなる。それのエネルギー補給は私の茶旅にとって極めて重要だと身に沁みている。さて海外へ、と思ったが、その前に大阪で声を掛けて頂き、関西へ向かうことにした。ところが直前になって、その話はキャンセル。さて、今回はどうなるのか。それにしても関西は暑かった!!

 

7月21日(土)
灼熱の岐阜へ

今日は新幹線に乗って名古屋に向かった。岐阜へ行く予定なのだが、昼間到着する安いバスなどないのである。名古屋まで行き、在来線に乗り換える方法しかないと分かり、久しぶりの知り合いに連絡して、名古屋駅まで出てきてもらった。土曜日の名古屋駅、暑いのに人が多い。待ち合わせ場所に行くと、なぜかフィギャ―スケートの羽生君のポスターがでかでかと出ている。オリンピックからすでに半年、フィーバーはまだ続いている。

 

20年以上前、香港で知り合ったIさんはその後、転職して今は名古屋近郊にいた。私のメルマガにも良く返事をくれており、偶には会いたいな、と思う人だった。駅近くのモールの中にある中華料理屋でランチを食べながら話す。それにしてもこの中華、点心と料理をうまく組み合わせて、そこそこいい値段を取っているが、満員御礼だ。

 

医療関係の仕事をしているIさんからは、現在の日本医療について、色々と教えてもらった。次回は是非彼の勤める病院を訪ねて、その実態を知りたいと思った。こちらからはアジアの現状をお話しし、その動きを伝えた。外国人看護師の問題など、閉鎖的な日本の医療、これからどうなるのだろうか。

 

名古屋駅からJRに乗って、岐阜駅へ向かった。関西は暑いと分かっていた。東京だって相当に暑いこの夏、ましてや何故、連日天気予報で最高気温38-39度が表示される岐阜に行こうと思ったのか。それは3月に行くつもりで約束していたのに、こちらの事情で延期してしまった負い目があったからだ。

 

だが1か月前に行くことを告げた後、1週間前に確認の連絡を入れても返事はなかった。なんとか電話番号を探して電話してみると、『あれ、他の予定を入れてしまった』というので、また今度と言おうとしたが、それより一瞬早く『午後3時に来てくれれば』と言われたので、行くことになった。

 

午後3時前に岐阜駅に着いた。名古屋から岐阜までは本当に近い。駅に着いて電話してみると、『信長の像のところの近くに迎えがいる』と言われて行ってみたが、見当たらない。もう一度聞くと、迎えの車が渋滞で遅れている、との返事があった。取り敢えずそこで待っていて、と言われたのだが、屋外は猛暑だった。

 

タクシーを待つ場所には辛うじて屋根はあったが、屋外であり相当に暑い。何だかインドのバラナシの灼熱地獄を思い出していた。それから30分、屋内に引っ込むことも出来ずにこの灼熱の中にいた。それでも『インドよりマシだ』と思えるところが、海外を渡り歩いた強みだろう。

 

そこに迎えの人が来てくれた。ああ、助かったと正直思った。ところが車に乗った瞬間、『こんな暑い時に何ですが、車のエアコンが壊れていまして』というではないか。もうこれは笑うしかない状況だった。そして思わず『インドよりマシです』と答えると、その男性の方が驚いてしまったようだ。まさかインドと比較されるとは思ってもいなかっただろう。

 

まずは車で30分ぐらいのところへ行った。そこは和風のカフェ。入っていくと待ち合わせをしていたNさんはいない。とにかく水分が必要だったので、アイスコーヒーを頼んだ。少し落ち着いて周囲を見渡すと、とても雰囲気の良いカフェで、陶芸家さんの個展も開かれていた。

 

そこへNさんがやってきて、彼女の街の方へ向かう。私はどこを走っているのか全く分からない。陽が暮れかけた頃、到着したのは山沿いの温泉。週末で地元の人がたくさん来ていた。ここで露店の温泉に浸かり、夕飯までご馳走になった。疲れは一気に吹き飛び、何となく地獄から天国、いや、良いご褒美が与えられたようだ。やはりここはインドではなく、日本だった。

 

真っ暗な中、揖斐川町春日というところに着いた。そこには150年を越える古民家があり、その広いスペースがNさんたちの作業場として使われていた。ここでお茶を頂いたのだが、そのほうじ茶が何だか懐かしい味がして美味しかった。昼間の暑さもすっかり忘れてしまうほど、ここの夜は穏やかだった。茶作りの苦労話などを伺い、ずっと話し込んでいて、夜中になってしまい、この古民家に泊めて頂く。一日でこんなに展開するのも珍しい。

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