九州茶の歴史を訪ねて2018(2)可徳乾三の故郷に行く

6月9日(土)
合志へ

翌朝は恐れていた雨も降らず、天気は良かった。朝7時台、未だ宿は完全に寝静まっており、起きてくる者はいない。結局どんな人々が泊っているのか、顔を合わせることもなく、一人宿を出た。道に少し雨水が残っていて、荷物が転がしにくい。今日は土曜日なので通勤者は多くない。

 

昨日確認したバスターミナルへ行く。今日はここから熊本県合志市へ向かう。正直地理は全く頭に入っておらず、ただ言われた通りのバスに乗ることだけに集中した。何とその熊本行きのバスは20分に一本程度あり、相当に速いらしい。切符を自販機で買い、バスが来たら乗るだけだ。因みに合志は『こうし』と読み、バス停の地名は西合志(にしごうし)と読むらしい。なぜだろうか。

 

9時発のバスに乗った。バスは日本だから快適だ。料金が2060円、というのが、その遠さを示していた。ふと目をつぶってしまった。起きたら、ほぼ下車地点ではないか。僅か1時間、確かに早い。高速道路に設置されたバス停で降りたのは私だけだった。こんなところに一人で放置されたらどうなるのだろうか。

 

今回は合志市市議会議員のUさんが迎えに来てくれていた。Uさんとは、私のブログにコメントを頂き、交流が始まったので、会うのは今回が初めてだ。実は私は2年程前から可徳乾三という茶業者を細々と調べていたが、そのことをブログに書いたところ、可徳の故郷である合志から連絡があったというわけだ。

 

Uさんの車で向かった先は、何とその可徳乾三のお墓がある墓地だった。可徳はここ合志の生まれであり、Uさんも世に知られていない合志の偉人として、可徳の業績をもう少し広めようと活動を始めていたのだ。お墓は以前と変わっていたようだった。これも熊本地震の影響ではないかという。

 

古い墓石に可徳乾三の名前を見て、初めて『この人は生きていたのだ』と実感した。遺骨は誰かが台湾から持ち帰ったのだろうか。更には震災後に整理したと思われる墓にも彼の名前はあった。この新しいお墓群、まさに圧巻だった。『可徳家』と書かれた墓石がズラッと立ち並んでいた。正直これまで可徳、という苗字さえ、目にしたことはなかったのに、この街にはこんなに可徳姓が多いのか、と改めて可徳乾三の故郷に来たことに思いを致す。

 

それから合志義塾の跡に向かった。合志義塾は明治25年、農村で教育機会のない若者のために作られた私塾で、男女共学などユニークな教育方針を掲げ、60年間で約6500人が卒業したという。主催者には可徳の親戚もおり、可徳の活動にも深くかかわったものと思われる。入口に碑があるほか、今は牛小屋になっている建物が、教室として使われていたという。その庭には徳富蘇峰からもらった(同志社の新島襄から徳富がもらった)というカタルパの木が今も育っている。

 

可徳が九州で紅茶作りを行い、その茶葉を売る歩き、更にはシベリアで茶業を行うにあたり、この塾を出た若者たちが大勢関わっただろうと想像するが、その具体的な資料は見付からない。それでもなぜ可徳乾三という男がこの地から世界に飛び出していったのか、そのあたりを垣間見られる農村風景がそこにあった。

 

それから合志漫画ミュージアムに行った。ここは個人から7万冊もの漫画が寄贈され、市がこれをミュージアムにしたという。私が子供の頃に読んでいた数々の漫画の原本がほぼすべて保管されている感じで驚いた。館内では子供たちが自由に漫画を読める空間があり、素晴らしい。

 

お昼を食べながら、Uさんと色々と話をした。市議会議員としての仕事を誠実に行っており、更には地域の文化や歴史を残し、広めたいという気持ちがある方だった。こんな市会議員さんはそんなに多くはないだろう。今後も可徳乾三を介在にして、お付き合いを願いたいと思っている。因みに可徳関連資料はお互いが今日まで集めて来た物を紹介しあったが、Uさんの資料の方に興味深いものが多かった。やはり地元の方が集まる。

 

御代志の熊本電鉄駅まで送ってもらい別れた。今後またここへ来る機会はあるだろうか。それにしてもこの小さな駅、そして二両の電車。何ともいい感じだ。スイカで払えるのだろうか。それほど遠いとは思っていなかったのだが、今から佐賀まで行くと、というと、ちょっと驚かれる。

 

JRに乗るためには途中の北熊本で乗り換え、終点の上熊本まで行かなければならない。まあこの電車にゆっくり揺られていくのは悪くない。乗っているのは老人と高校生が多い。午後の日差しにちょっとまどろむ。北熊本で降りると、なぜか台湾人の団体に出くわした。皆一生懸命写真を撮っている。これがくまもん電車だった。今や台湾でもくまもんは大人気、震災の時もくまもんの連想で募金が多く集まったという。

 

上熊本まで行くと、今度はJRで鳥栖まで行くのだが、何と鹿児島本線の区間快速で1時間半もかかる。座れたのはよいが、尻が痛くなる。そこから佐賀駅までも30分かかるので、結局3時間近い電車旅の末にようやく佐賀に辿り着いた。何とも長い旅、九州の広さを思い知らされた。

 

佐賀駅前に予約してもらったホテルに入ったが、何と禁煙の部屋は満杯で、喫煙しかなかった。なぜだろうか。これだけ禁煙者が多いのであれば、全館禁煙にして欲しい、などと言えば愛煙家から非難の的だろうか。すぐにOさんが来てくれ、明日のセミナーの打ち合わせを軽く行い、今日は疲れたので早めに寝た。

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