杭州・安徽・北京茶旅2017(4)中国有数の紅茶産地 祈門へ

6月23日(金)
黄山へ

翌朝は早く起きた。今日は杭州東駅から高速鉄道に乗らなければならない。9時半過ぎに列車に乗るためにはここからバスを乗り継いでいては間に合わないと言われ、タクシーを頼んだ。タクシーは朝の渋滞に嵌ることもなく、思ったより早く、出発1時間以上前に駅に着いたが、料金は来た時より遥かに高かった。どうしてそうなるのかはよくわからない。何か仕掛けでもあったのだろうか。

 

駅に着くと腹が減ったので、お粥と油条を食べた。この店、どこにでもあるチェーン店だが、この日はシステムがダウンしており、オーダーがまとまらずに混乱していた。中国は日本より便利になった想うことも多くなってきたが、一旦破たんすると、目の当てられない惨状になる。いや今や日本でも同じか。

 

列車はかなり長い編成でやって来た。ところが何と、私は並ぶところを大幅に間違えてしまっていた。前と後ろを反対に考えていた。どこに何号車が停まるかということが明示されていないのでこんなことが起こる。15両もの間違えは致命的、列車がついて初めて知り一生懸命走ったが、当然発車までに間に合わない。車掌も取り敢えず乗れ、と叫ぶ。この列車は先頭車両を2つ連結しており、何とか自分の席のある側まで辿り着いて乗り込んだ。もし手前に乗れば、歩いて自分の席に行くことは出来なかった。

 

今回は安徽省の祈門紅茶の旅で来たのだが、杭州からは黄山北駅に行くことになる。まさかここにも高速鉄道が通っているとは思ってもみなかったが、杭州から中国有数の観光地である黄山へ行く便数は少なく、本体である魏さん一行が福州から到着する時間に合わせることは出来ず、長時間待つことになっていた。午後1時過ぎ、列車は無事に黄山北駅に入った。

 

3. 安徽
祈門まで

ホームを歩いていると、スマホに着信があった。出口のところで誰かが待っているという。行ってみると、何とモンゴル族の女性がそこにいた。魏さんたちの紅茶が好きで、内モンゴルから出てきて、深圳などで茶の勉強をしており、近く内モンゴルで茶荘を開こうとしているらしい。今回も勉強のためにこのツアーに参加したのだが、何と深圳からは夜行列車しかなく、今日の早朝にここに着いたのだと。驚いた、朝からずっと待っていたとは。

 

更に武漢から来たという二人の男性も合流した。彼らは私と同じ列車でここに辿り着いていた。お茶や水関係のビジネスをしているようで、浙江や福建を回ってきて、このツアーを知り、参加したらしい。メンバーが4人になり、話に花が咲く。持っていたお茶が淹れられ、のどの渇きを癒す。お湯がどこでも手に入るのが中国の良いところだ。この駅も高鉄のご多分に漏れず、新しいがため周囲に特に何もない。おまけに雨もかなり降っているが、これなら2-3時間待っても問題がない。

 

3時間ぐらいして魏さんたちがやってきてようやく合流した。迎えの車が来ており、ここから60㎞離れた祈門へ向かう。途中はかなりの田舎。雨が強いのでよく見えないが、田畑が多く、また山も見える。約1時間かかって、何とか街に入る。街は思ったよりも建物が多いという印象。

 

予め宿が予約されており、相変わらずの林さんと同室。もう慣れていて有難い。すぐに向かいのホテルで今回の受け入れ元である祥源祈門紅茶の孫総経理が食事を用意してくれ、大いに食べる。その後そのホテルの1階にある祥源の店に場所を移し、紅茶を飲み始める。そこでいくつか祈門紅茶の歴史を聞き出す。世界の三大紅茶の1つとも言われ、中国を代表する銘柄だから、その歴史も華麗なのだろうか。

 

1900年代前半から祈門は世界的ブランドだった。1915年の万博での受賞が大きく取り上げられるが、それだけではないようだ。しかし近年は不振に陥り、ついに国営茶廠が競売されてしまった。祥源は国営茶廠解体後、それを引き受けた会社で、母体は不動産開発業者だった。孫総経理も元々リプトン中国に勤めていたとのことで、この買収により、請われてやってきたという。祈門紅茶は混乱して、以前のような生産はされていない、と何度も聞いていた意味が何となく分かる。

 

話を聞き終えると、眠くなり、申し訳ないが先に部屋に戻って休むことにした。魏さんたちはこれまでの例だと延々茶を飲み続け、話続けているはずだ。林さんが部屋に戻って来たのは夜中の12時を過ぎていたと思う。外はこれまた延々と雨が降り続いている。明日はどうなるのだろうか。

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