中国鉄道縦断の旅2015(7)羊楼洞散策

羊楼洞散策

この田舎の畑の真ん中で、ロシア人が建てた茶工場を発見した喜びに浸っていた私の耳に、衝撃的な言葉をS氏は発した。『ここでタクシーを返そうよ』、それは私にはありえない言葉でしかなかった。ここでタクシーに乗らないでどうやって街へ帰るんだ、と心の中で思っていると、そこを見透かしたように『人間が住んでいるところでは何とかなるものさ』と突き刺されるような言葉が飛び込んでくる。

 

この言葉をS氏が発するとその重みは格段だった。これまで幾多の試練を乗り越えてきた彼だからこそ言えることなのだ。私は救いを求めるようにNさんを見た。彼もまたちょっと困った顔をしていたので、ここは中国語のできる者同士、結託することにした。運転手に『バスが走っているところまで連れて行ってくれ』と頼み、それでS氏の了解を取ったのだ。

 

車は10分ほど走ると、羊楼洞の古道に着いた。バスはここから出ている訳ではないが、羊楼洞に来たら必ず来るところだと言われた。狭い石畳の道を歩いて見る。そこには清代の茶荘の跡など、羊楼洞の茶の歴史が凝縮された跡が残っていた。中には日本軍の爆撃で壊されたという建物もあった。こんな所まで日本軍が侵攻してきたのか、それほど重要な場所だったのかと分かる。茶葉貿易が如何に儲かる商売なのか、そしてその基本は茶葉を押さえること、そのために山西商人や広東商人、そしてロシアやイギリスなどがここでしのぎを削ったことだろう。往時のにぎわいを想像する。

 

今は観光地化してきれいになっているこの道には土産物屋も並んでいた。だが寒いので観光客は殆どいない。中を覗くと不思議なものがあった。米磚茶と呼ばれる紅茶の粉末をブロック状に固めたお茶だった。機関車のマークがついている。往時ロシアなどに輸出されたものを復刻した物らしい。その時はそれほどほしいと思わなかったが、後になって買っておけばよかったのにと後悔した。古道に住む人々は人柄が穏やかで、にこやかに炭で暖を取っている。この辺には暖房というものがなく、火鉢に当たるなどするしかない。我々にも当たっていけ、と勧めてくれるのが嬉しい。

 

タクシーにまた乗り込む。バスの走っている村へ向かう。大きな工場が見えた。あれは元国営工場、趙李橋に違いない。私はすぐに降りてそこへ行きたかったが、取り敢えずバスを確認することにした。タクシーが止まったところに確かにミニバスが数台止まっていた。運転手に礼を言うと『3人ならこの車に乗って戻っても料金はそんなに変わらないのに』といかにも残念そうだ。それでも紳士の彼は大人しく一人戻っていく。

 

ここはどこなんだろうかと周囲を見るとS氏が『これは廃止された駅じゃないか』という。確かに我々の後ろの建物は既に使われていないが、駅のように見える。近所で聞くと『もう20年以上も前になくなったよ』と寂しそうに言う。旅行作家S氏、そのネタの引きの強さにはこれまで何度も敬服してきたが、今回も又すごい。

 

ここは昨日赤壁まで乗って来た列車で通ったはずだ。1918年に開通した粤漢線の一部であろう。往時は茶葉をここから広州まで運んでいたのだろうが、最終的に道路の発達で、鉄道の意味合いはすれてしまったのかもしれない。いや茶葉の輸出量に陰りがあったのかも。ただ鉄道は今も走っており、乗客の減少で人が乗れる駅が無くなったということだろう。

 

それにしても寒い。取り敢えず昼も過ぎたので、近くの食堂に入る。店主がテーブルの下に炭を入れて、毛布で覆っており、そこへ足を突っ込んでいた。我々はその席を譲ってもらい、温まる。炭こたつだ。ランチは当然湖南料理。寒い時は辛い物を食べると体が温まって元気が出る。

 

食後、数分歩いて、趙李橋茶業へ向かう。門もデカいが、倉庫が凄く多い。今日は日曜日で誰も出勤しておらず、中に入ることもできないので、外から写真を撮るだけにする。この茶工場の名前は内モンゴルで何度も見た。モンゴル族が常に飲む青磚茶はその多くがここで作られているのだ。前身はロシア人が建てた工場だったようだが、今日は歴史的な経緯などを知ることもできない。ただ道の反対側にはやはり鉄道が敷かれており、ここから茶葉が運ばれ、貨車に載せられていた、いやいるだろうことが想像できた。次回ここに来る機会があれば、是非この工場の歴史を知りたいと思う。

 

ミニバス乗り場へ行くと赤壁行がある。満員になると出る仕組みで3元。市内まで先ほど来た道をとぼとぼ折り返す。40分ぐらいで着く。それにしてもあの畑の中でタクシーを返していたら、この旅はどうなっていたのだろうか。全く違う世界が見られたのではないか。安全地帯に入ると、人はそう思うものである。

 

赤壁の街中でバス降りる。まあそこそこの規模の街なので、少し散歩でもと思ったが、S氏がホテルへ帰ろうというので、駅へ行くバスを探す。皆が細い道を行くので付いていくと、近道でバス停へいけた。道は意外と混んでおり、乗客も多い。途中追突事故を目撃。15分位でホテルへ戻った。夕飯は早めに出て、干鍋を食す。今日はご飯もあった。夜部屋で気が付くと、何と中国のATMカードが大きく曲がっている。これではATMから現金を出せない。私はこれを頼りに中国で旅をしてきたので何とも困る。

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