万里茶路を行く~北京から武漢まで(3)張家口の大境門

辿り着いたのが、旧市内からちょっと離れた高級そうなホテル。フロントへ行くと勿論外国人は泊まれるが『1400元』と言われ、愕然とする。駅前の宿が150元しなかったのだから、実に3倍近いコストアップである。思わずそれを愚痴ると、フロントの女性が『あー、そういえば今日は週末だから特別プランで50元引きね』と憐れんでくれた。

 

もう疲れたので、ここに泊まることにした。たまにはちょっと良い部屋で寝るのも悪くないと割り切る。ところが部屋のカードキーが作動せず、部屋に入れない。張家口と言えば、2022年に北京と共同開催で冬のオリンピックを開く街だろう。それがこんな状況でよいのだろうか、と一人嘆く。部屋は広くてきれい。北京で泊まれば料金は2倍になるだろうと思いながらも、何となく駅前ホテルを思い出してしまうのは、貧乏旅行に慣れ過ぎたせいだろうか。

 

大境門へ

まだ日もあるので、今回の目的地である大境門へ行く。バスは面倒だからタクシーで行けとフロントがいうので従う。車はすぐに郊外に出る。さほど離れていないところに、万里の長城の北への出口があった。この付近の長城は明代に修復され、1644年、清朝が始まった頃にこの門が出来たという。モンゴルのウランバートルまでの道の起点になっていた。その後も物資輸送の重要拠点となっている。勿論茶葉もラクダの背に乗り、ここを通って出て行ったはずであるが、今やそれを偲ぶものは何もない。

 

 

門を潜ると、どこでもあるような観光スポットに出くわす。残念。その横から上に登ると、長城の一部を歩くことができた。結構急な坂、若者は良いが年寄りにはきつい。石が積みあがった、荒削りの長城がそこにあった。近年修復したのだろうか。周囲が一望できる、という以外何もない。

 

降りてきて歩き始める。すぐにバス停があり、街の中心に行けることが分かったので乗ってみた。途中に蒙古営という名前のバス停があったので思わず降りてみたが、特に何も発見できなかった。それから少し歩くと、イスラム料理店など、回族関連と思われる場所がいくつかあった。万里茶路とは直接関係しないが、茶葉の輸送などは各地で回族が行っており、ここでもそのネットワークが発揮されていたに違いない。

 

街の中心付近に細い路地があり、靴屋などがひしめいていた。これが貿易の街、張家口の名残だろうか。川が流れており、大きな毛沢東の像があった。そこで初めて冬のオリンピック開催のポスターを見かける。まだ6年も先ということか盛り上がりは全く見られない。帰りのバスを探しているとバス停の名に、茶坊楼というのがあったので、行ってみたが、ここでもお茶に関するものは何も出て来ない。張家口は歴史を消し去ろうとしているのだろうか。

 

今度こそ帰ろうと思って戻ると、向こうに古い街並みが見えた。堡子里と書かれたそのエリアは確かに古かった。清の時代の役所や、満州中央銀行の出先だった建物が残っている。そしてついに茶商の店跡が見てくる。票号(昔の銀行)の店も出てくる。こうなると、少し万里茶路の拠点らしくなってくる。ここ張家口は、往時商業で栄えたが、当然様々な物資を扱っており、かなり賑わっていたはずだ。ようやくその音が微かに聞こえてくるような気がした。

 

腹が減ったので麺と包子を食べた。張家口に名物があるかどうかさえ、知らなかった。6月の北の境は日が長かった。ホテルまでバスでも戻ってもまだ明るさが残っている。このホテルも最近改名したようで旧名の方が通りがよい。オリンピックを当て込んで誰か投資したのだろうか。それにしても往時の張家口の賑わが今は嘘のようだ。

 

618日(土)
呼和浩特へ

今朝はゆっくりと起きて、朝食を沢山食べる。今日は午前中部屋で休むことにした。昼の12時に昨日下りた駅の前から呼和浩特行のバスが出るのを見ていたので、それに間に合うようにタクシーで向かった。100元でチケットを買ったが乗客は殆どいなかった。そのまま高速道路に乗れば呼和浩特までそれほど時間はかからないと思っていた。

 

ところがバスは旧市街の方へ向かってしまう。そして昨日も見かけたバスターミナルに入り、そこで客を拾った。そればかりか、その後も街中を走り、その都度客を集め、最後は高速入り口でも客を乗せた。高速に乗ったのは実に乗車から2時間も経っていた。これには唖然とするしかない。もし列車に乗っていればもうすぐ呼和浩特だったはずだ。

 

 

更には高速道路を走り始めても、なぜか道路脇に乗客が待っていて、乗り込んでくる。これでは高速の意味もない。ただ考えてみれば、これは張家口の街から離れたところに住む人間にとっては何とも便利である。鉄道なら絶対に停まることはないが、バスはどこでも停まれるのである。これは如何にも中国的発想だ。日本なら決められた場所以外で停まることはない。

 

4時頃一度休憩があり、いつになったら着くのかと不安になる。天気は良いが草原の風は強い。こんな中を駱駝が茶葉を積んで歩いて行ったのだろうか。特に冬が近い秋口にこの辺を通ったとも考えられるが、爽やかな風は厳しい寒さに変わったことだろう。5時半近くになって、何とか呼和浩特駅に着いた。列車なら2時間ちょっとのところを、実に5時間半もかかったことになる。今後バスに乗る時は気を付ける必要がある。だがどうやって気を付ければよいのか、情報は実に重要である。

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