万里茶路を行く~北京から武漢まで(4)鄧九剛先生と再会する

3. 呼和浩特
内モンゴル大学へ

 

呼和浩特駅には昨年12月にも来て近くの宿に泊まったので、多分泊まれるとは思うのだが、張家口のトラウマが頭をもたげてきたので、当地の知り合いNさんに頼んで、Nさんが勤務する大学内のホテルを手配してもらっていた。タクシーで以前にも行った大学へ向かう。慣れた感じでチェックインが出来たのは実に有り難い。

 

夕飯は学内の食堂で食べた。地三鮮定食。量が多過ぎるのは学生向けだからだろう。食べ過ぎて腹がかなり重い。まだ明るかったので学内を散歩した。爽やかな風が吹き、大勢の学生や教師が散歩に出ていた。のどかの光景だった。それにしても、妙な疲れがあった。思った通りに進まないときに感じる、あれだ。中国でも以前は常に感じていたが、最近は感じなくなっていたのだが。

 

619日(日)

 

翌日はゆっくり起きる。妙な疲れのせいで午前中はダラダラして過ごす。昨日の定食が重く腹に残っており、昼ご飯は牛肉麺にした。それから学内をゆっくり散歩する。中国の大学はどこも敷地が広い。以前もここに泊まったが、全てを歩いたわけではない。内モンゴルだから、モンゴル研究所があったり、モンゴル語が書かれていたりと、特色がある。

 

鄧先生と再会する

 

午後3時に茶葉の道展示館へ行った。ここも訪れるのは3回目になるので、もう迷うことはない。今回も又鄧九剛先生を訪ねる。万里茶路は鄧先生の本により、ここまでの盛り上がりを見せたといえる。商人ではなく研究者だから、真実に追及には先生の話が一番良い。館内には数人の人がおり、談笑していた。そこへ入っていくと、鄧先生が『よく来たな』と笑顔で迎えてくれた。先生とは昨年の暮れに北京で会って以来半年ぶり後は茶葉の道協会の幹部や茶芸師など、お茶関係の人々だった。

 

ここで、更に出てきた万里茶路に関する疑問を幾つか質問していると、先生が『漢口は見たのか』と聞いてきたので、これから行ってみる所だと告げる。漢口は重要拠点だ、と念押しされたうえで、『漢口の近くに茶産地があるから行ってみるとよい』とそこの人々を紹介された。そして新しく出版された万里茶路関連の本を頂く。

 

2時間ぐらい話していると、食事に行こうということになり、副会長という人がやっている店へ行った。そこは西貝という内モンゴル発祥で今や中国全土に展開しているチェーンレストランであった。中は非常にきれいで完全なオープンキッチン、客席も相当な数があり、しかもほとんどが埋まっている状態で驚くほど繁盛していた。

 

驚くのはそれだけではなく、料理を注文してから25分以内に出て来なかったらお代は要りません、と言った宣言をウエーターが行い、時計まで置かれる。そして次々にあっという間に料理が運ばれてくる。相当量のお客にこれだけの対応をするというのが売りのようだ。実に面白いサービス方法だ。料理自体も内モンゴルの羊料理をはじめ、豊富なメニューが揃っており、美味しい。すぐに満腹になった。先生とは名残惜しいが、そこで別れた。

 

620日(
茶商巡り

今朝は小雨模様。4月に雲南に行った時、鄧先生が紹介してくれた茶商を訪ねることにした。今は何とも便利な世の中で、内モンゴルにいても、西南の果てまで連絡が来て、色々と助けてくれた。プーアル茶を商っているという。内モンゴルの人も飲むのだろうか。まあ、黒茶を飲むのだから、抵抗は少ないかもしれない。

 

その郭さんの店は大学から南へ数キロ行ったところにあった。そこは新興商業地区、呼和浩特は発展が遅れているとの話もある中、着実に広がっていることを感じる。店はきれいで、雰囲気も良い。郭さんは80后でかなり若いが、結構手広く商売をしているようで、店にはプーアル茶の他、紅茶、白茶なども置かれている。包頭では別の商売もしており、色々と行き来が激しいらしい。

 

昼にモンゴル料理を食べようといって連れて行かれたところは、まるでパブのような雰囲気だった。そこでミルクティが出てきて、包子を食べた。いまどきの若者はこんなおしゃれないところが好きだという。食べ物の嗜好も変わり、行く店の雰囲気も変わる。茶業もこのようなトレンドを捉えていく必要がありそうだ。郭さんのような若い世代にその役目が担われている。

 

午後は万潤茶文化名城という茶市場へ行った。そこは1つのビルになっている茶葉卸市場だが、お茶屋は埋まっておらず、小雨のせいか、お客も殆どいなかった。閑散とした中を歩く。何と郭さんはここにも店を出していた。『正直若者は店に来ないで、ネットで注文する』のだが、何となく店があった方がよいかなということで、出しているという。家賃もばかにならないから、経営は大変かもしれない。

 

それから劉さんのところへ行った。彼女とは、昨年12月、鄧先生の紹介で知り合った。その時は下川さんたちと一緒で、ロシアへの手掛かりを探していたところ、『キャフタの博物館の研究員を知っている』というので、紹介してもらったことがあった。そのお礼を言おうと連絡していたのだが、ついに連絡はつかず、ダメもとで直接行ってみることにしたのだ。

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