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チェンマイ散策2011(3)インドのご縁でロングステイヤーの家へ

3. チェンマイ2    再会

ランプーンからチェンマイ市内へ戻る。バーンタオ氏に車で送ってもらい、待ち合わせの某ホテルへ。先に着いてしまったので、ホテルで50バーツを払い、Wifiのパスワードをゲット。ロビーのデスクで電源を繋ぎ、メールをチェック。気が付くと農園にいた2日間、ネットに接続することはなかった。急に現実に引き戻された思い。

ロビーでPCを触っていると声を掛けられた。待ち合わせをしたTさんだ。このTさんとの出会いもまさにご縁。7月にインドのラダックに行った時、ある寺院で偶然出会い、少し話をしたそれだけなのだ。社交辞令のように『もしチェンマイに来ることがあれば連絡して』と言われ、そして連絡してしまったのだ。日本国内では先ずない。http://www.yyisland.com/yy/terakoyachina/item/4504

Tさんは私と同じ50歳で会社を辞め、チェンマイでロングステイを実施している。元々はアメリカで働いていたというから、タイにはご縁があったのだろう。奥さんもタイ人。ラダックでもお寺で熱心にお祈りしていたし、チェンマイへ来てね、と熱心に誘ってもくれた。

グランドビューホテルでビュッフェランチをご馳走になる。和洋中、何でも食べられる。このような食事には自然と反応してしまう。デザートのケーキやアイスには特に反応してしまうので、困る。店内はクリスマス休暇なのか、大勢の人々で満員。そういえば、この時期はホテルも満員か高いようで、Tさんは『家に泊まって行けば』と言ってくれる。たった一度の短いご縁だが、これは嬉しい。

ロングステイヤーの暮らし

Tさんの車に乗せてもらい、チェンマイ郊外へ。市内中心部からは4㎞という住宅街にTさんの家はあった。チェンマイに来て10年弱、ロングステイして5年で、ここに家を建てて永住を決意したという。

その家には大きな庭があり、様々な草花の他、ミカンなどの果物の木、野菜を植える小さな農園まであり、非常に豊かだ。そして平屋の家屋には広いリビングルーム、2つのベッドルームがあり、何と外から丸見えの自慢のバスルームまである。快適な空間がそこにあった。

チェンマイは物価も安いし、バンコックのように暑くもない。テレビは日本のテレビを見ることもできるし、仲間とゴルフもできるし、車も持てる。年に2-3回はアジアの山々、秘境を訪ね歩き、写真を撮る旅もしている。言うことはない。日本に居るよりよほど快適であり、日本であくせく暮らすぐらいなら、チェンマイに永住した方がよほど良い、Tさんは言う。

50歳でリタイア‐したTさん。勿論退職金など資産は人より多いかもしれないが、殆ど働かず、家も建て、楽に暮らしている。この姿を見ると、生き方の幅を実感する。夕方、Tさんが簡単な鍋料理を作ってくれた。新鮮な野菜などを入れ、日本のポン酢で食べる。シンプルなこの料理がTさんの生活を表している。

お金でアジアをエンジョイするのか

夜7時にチェンマイ市内で待ち合わせがあるというとTさんは車で送ってくれた。その上、2時間ほど市内で時間を潰し、私をピックアップして、自宅を連れて行ってくれた。大変申し訳ない思いだが、確かに自力でTさん宅へ戻ることは出来ないので、お言葉に甘える。

待ち合わせたのは、元勤め先の後輩N君。ちょうど旅行でチェンマイに来ていたN君と日程がぴたりと合ったので、会うことにした。東京在住なので、東京で会えばよいのだが、これも何かのご縁。今回チェンマイ市内を見ることもなかったので散歩がてら行く。

マクドナルドの前で待ち合わせ。良く見るとドナルド人形がワイしている。ワイとは合掌のこと。これはタイならではないか。バンコックも同じ仕草だろうか。

N君はチェンマイに慣れていた。何度も来ているようだ。彼は元勤め先に内定した時、香港に旅行に来て、私が勤務していた香港支店に寄った。その後会うこともなく、過ぎたが、いつの間にかお互い勤務先を辞め、彼は転職した。でも出来ればアジアで働きたいという。私は月並みなことを口にした。『アジアはいい所だが、給料は安い。日本の給料でアジアを旅するから、良く見えるのかもしれない。もう一度よく考えてから、アジアの職を選ぶのが良い』と。

しかし話している自分に違和感も持った。お金を持って初めてエンジョイできるアジアは、本物ではあるまい。それでもいざとなるとお金でアジアをエンジョイしてしまう、この発想は実に危険だ。

N君は何度か来たという焼き鳥の店に連れて行ってくれた。地元の人が行く店に見えたが、メニューに日本語も書かれている。だが英語は片言しか通じない。N君は店の人とも顔なじみのようで、スムーズにオーダーしていく。チェンマイで触れ合う、それがアジアをエンジョイすることなのだろう。少し考えた。

朝ごはん

前日はTさんの家のリビングで寝かせてもらった。ソファーがベッドになる。夜は結構涼しいチェンマイ、これもまたいい体験だった。無駄なお金を使う必要はない、というTさんの言葉にロングステイの一つの形を見た。そしてそれを私に提供してくれ、教えてくれたことに感謝したい。

朝は日の出と共に起き、庭を散歩する。Tさんの奥さんは昨日も庭に水をやり、今朝もケアーしている。私は口では自然と共に生きる、などと言うこともあるが、実は自然と共に生きたことが無く、庭いじりすらしたことはない。今後農作業を含めて簡単なことから勉強していく必要がある。

朝ごはんもTさんが作ってくれた。前日残った鍋を使ったお粥。海苔や小エビも入れるが、現地で調達した醤油などを使っており、日本から輸入するものは極力使わない姿勢もよい。日本人ではあるが、この地で一生生きて行こうとすれば、当然日本のものに頼らず、現地調達も必須だ。日本人のロングステイはコストが掛かる、これは現地調達比率に寄るのかもしれない。

バスターミナル

Tさんの車でバスターミナルへ。今日はチェンマイを離れ、チェンライ経由でメーサローンに向かう。Tさんによれば、チェンマイから北に1時間半ぐらい言った所には温泉もあり、茶畑もあるという。この付近以前は少数民族の地。ミャンマーのシャン州や雲南とも似ているのだろう。次回は是非訪問してみたい。

バスターミナルは初日に訪問したOさんの家のすぐ近くにあった。英語の表示はあまりなくタイ語の出来な私にはちょっと分かり難い。Tさんの奥さんが面倒を見てくれ、チケットを買う。チェンライ行は30分に1本出ており、非常に便利。車内も思ったより快適。中国のローカルバスより良いのは当たり前か。

ターミナルのトイレに入る。ここも思ったよりかなりきれいで感心する。考えてみれば、タイで長距離バスに乗るのは初めてかもしれない。言葉が出来ないので敬遠していたのが、これは十分に使える。今後はタイでバスの旅を楽しもう。

ターミナルにはお菓子や果物など売っている。何だか遠足気分で楽しそう。中国のバスターミナルのちょっと殺気立ったような緊張感はそこにはない。バスに乗るとバスガイドさん?も添乗する。タイ語に何を言っているか分からないが、私の所に後で来て最低限の言葉を英語で伝えてくれた。バスはチェンマイを離れた。



 

 

チェンマイ散策2011(2)龍眼(ラムヤイ)の中国輸出

炭焼き

同行しているバーンタオ氏は最近炭焼きビジネスを始めていた。今回も数年ぶりにこの農園を訪れたようだが、前回はロングステイのビジネス、今回は炭焼きビジネスを見に来ている。面白い。

ここランプーンにはタイ語でラムヤイと呼ばれる龍眼の木が物凄い数、生えている。道を行くとラムヤイはそこかしこに見られる。龍眼は中国の果物と思っていただけに意外だった。そして更に意外なのはバーンタオ氏がこのラムヤイの木に目を付け、炭が作れないかと考えていることだった。

Sさんとタイ人の奥さん、そしてSさんの農園で働く地元の女性を一緒にラムヤイの炭焼き現場を訪ねた。ランプーン郊外、河沿いに煙が上がっていた。傍にラムヤイの枝が転がっている。地元の人が自分で使うために焼いているらしい。その横には太いラムヤイの木、更には竹の林が林立する。竹は自分の伸びたいように伸びるもの、日本のように真っ直ぐに伸びるとは限らない。

そしてある家を訪ねるとそこには炭焼きの窯があった。本格的に炭を作っている。ただ中には誰もいない。お昼ご飯を食べているのだろうか。この辺では泥棒が入るということもないのだろう。昔の日本の田舎もそうだったのだが、今や農家も鍵を掛ける日本。タイもその内鍵を掛けるのだろうか。

炭焼きがその辺で普通に行われている光景にバーンタオ氏もご満悦。現時点では地元で消費する程度の炭焼きかもしれないが、この中から商売になるような炭が誕生するかもしれない。バーンタオ氏もなかなか味な商売を始めたものだ。

ラムヤイ(龍眼)

そのラムヤイだが、本当にその辺にいくらでも生えている。ラムヤイの林、など日本では想像できないが、何ともいい雰囲気な木々である。

道沿いに小屋が見えた。外で人が何か作業していた。覗き込むと先方も首を突き出してこちらを見る。更に見るとラムヤイの木の下で数人の男女が作業していた。ラムヤイを取り、仕分けしているのである。

小屋の周辺では更に多くの人が籠を前にして仕分け作業をしていた。近所の若い娘からおばさんまで、何だか楽しそうに見えるが意外と大変な作業のような気もする。ラムヤイの実を大きさや熟度に応じて分けているようだ。

このラムヤイはタイ国内に出荷されるのだろうか。聞いてみて驚いた。ここで仕分けされた後、近所のある中国系工場に運ばれ、そこで乾燥工程に入る。そして乾燥ラムヤイが中国に輸出され、何と中国産龍眼として、日本に漢方薬などとして再輸出されるというのだ。

中国産漢方薬は多いが、残念ながら必ずしも原産国が中国ではないケースが増えているのだろう。そういえば、中国とアセアンのFTAが締結され、農産物も加工品も完全がゼロになっている。今後タイの農業もアジアを、特に中国を向いて作られていくのだろう。

昼飯 日本語姐さん

昼時になる。この辺の名物、カオソイを食べさせるお勧めのレストランを目指したが、何故か休みだった。そこで街道沿いにある麺屋に入る。とてもゆったりした店で、真新しい自宅の横に半外のお店を作ったという感じ。

お昼の柔らかい日差しが少し差し込む。腹は減ったが、眠気にも誘われる、そんな感じのテーブルに着く。豚肉ラーメンが出て来る。これは肉の味がよく沁み、ネギなどの薬味も効いていて、実にウマい。また麺がラーメンというのもいい。ミートボールも付いている。これはもう完璧だった。

そしてどうしても我慢できなくなり、お替りを頼むことになった。オーダーを取りに来たお姐さんは何と日本語を話した。聞けば、2年ほど、日本で生活したことがあるという。しっかりした日本語だった。でも日本より地元の方が良いという。日本ではどんな生活を送っていたのか、知りたくもあったが、敢えて聞かなかった。

   

2杯目は牛肉きしめんに替わった。もやしがちょっと載っているのが良い。こちらはほど良い濃厚な味わいで、グッとくる。本当に何杯でも食べられそうな、いや、止めておこう。日本語を話しお姐さんも他の従業員も既に完全に休息ムード。我々が帰ればお昼寝だ、と顔に書いてあった。

パワナガーデン(http://www.kubox.net/phawana/mein.htm )

我々もお昼寝か、と思ったが、もう1軒行くことに。Sさんはもうすぐ70歳と言っていたが、とても元気に、自らハンドルを握ってくれる。そしてやって来たのは。

どこかの御宅に着いたのかと思うような、木々に囲まれた庭。その奥に建物が見える。ここは日本人久保田さんが開いているプチホテルだ。既に開業から10年近く経つという。正直こんな田舎に日本人が宿を経営しているとは信じられない。

久保田さんは10年前シンガポールに企業の駐在員として滞在していたが、そこを辞して、奥さんの故郷であるランプーンにやってきた。小さいお子さんもいたから相当に決断だったのではないか。

そして土地を確保し、一からゲストハウスを作った。庭の木々も今や大賑わいだが、何もない所に自ら植えた。建物を建てるのも大変だった。全く思うように地元の大工さんは動かない。イチイチ注文を付けてようやく完成させた。

まさにアットホームな宿を目指したが、当初はお客さんがいなかった。ここランプーンには工業団地もあり、日本企業に売り込みにも行ったが、上手くはいかなかった。そんな時に、テレビ番組で取り上げられ、テレビを見た人たちが少しずつ来るようになる。そして一度来ると気に入ってリピーターになる人が多いという。

この宿は朝ごはんが付く。また夕ご飯もリクエストで作ってくれる。地元の野菜などを使った料理が良いらしい。食堂もアットホーム、家でご飯を食べる良な雰囲気だ。裏に回ると自分で作ったというかまどがあり、木の枝が暖かい色を出して燃えていた。『この木の温もりのある火で作った料理は味が違う』という。焼肉なんか最高に美味いらしい。

今度は一度ここに泊まってみたい、と思わせる雰囲気がある。何も考えずに、ボーっとしていることも偶には大切ではないだろうか。

本当の野菜

農園に戻り、ゆっくり休む。夜はラムヤイのチャーハンが出た。これが意外や美味しい。また近所から新鮮なキャベツが届けられたとのことで、シンプルなキャベツ炒めも出たが、これが実に歯ごたえがあり、また柔らかく、美味。

昔は日本の実家にも親戚の農家が、時々採れたての野菜を届けてくれた。決して形は良くないが、大きな野菜。ニンジンやキャベツが袋からはみ出している姿は、如何にも美味しそうだった。あれは本当の野菜だった。今日本で売っている野菜は、ある主婦によれば、『包丁で切ってもにおいがしない。まるで温もりが無い。工業製品と同じではないか』と。

我々は一体どんな食べ物を食べるべきなんだろうか。価格と形にこだわる日本人は、益々自然から遠ざかる。『有機野菜』と言う名のもとに売られる野菜でも、何か本物でない気がする。一度田舎暮らしを体験し、真面目に考える時期かもしれない。シャワーを浴びて、早く寝る。気持ちはよい。

12月26日(月)    ラムヤイの木

翌朝も気持ちよく起きた。広大な農園を散歩する。朝日がまぶしい。Sさんとスタッフが朝から作業している。例のラムヤイの枝を炭焼き用に切っていた。当たり前のことだが、いい感じに切れている。

2泊させてもらった農場を後にする。短い間だったが、とてもいい経験をした。もっと多くの人々が、特に若者がここに来て、見ることを勧めたい。






チェンマイ散策2011(1)ランプーンの花園で

《チェンマイ散歩2011》  2011年12月24日-27日

シェムリアップからバンコックに戻ったが次の日にはもうチェンマイへ。今日はクリスマスイブだ、などと思う間もなく、旅から旅へ。スワナンプーン空港では何故か飛行機が飛ばない。機内でずーっと待たされる。機長のアナウンスの中に『VIP』という単語を発見。もしや、今日は中国の習近平氏がタイ訪問中だったことを思い出す。

飛行機の窓から外を見ると飛行機がまさに数珠繋ぎ。20機はあったろうか。やはり習氏のために飛行場が実質閉鎖されていたのだ。これは参った。それにしてもこんなことはあるのだろうか。タイの中国重視の表れではあるまい。

12月24日(土)   1. チェンマイ1

Oさん

チェンマイ空港ではOさんご夫妻が2時間以上も待っていてくれた。全くの初対面で、友人の紹介でちょっとお訪ねしようと思っただけなのだが、とんだご迷惑を掛けてしまい、恐縮。

空港からタクシーで20分ほど、Oさんのご自宅はチェンマイ郊外のマンションの一室。ここで既にロングステイ生活を数年送っている。チェンマイには数千人の日本人がロングステイしているが、中には悪い人もいて、トラブルがあったり、日本人コミュニティーは大変なようだ。

Oさんは大手企業を退職後、チェンマイにステイ。チェンマイのお寺を1つずつ訪ね歩きながら、その歴史などを纏めて雑誌に発表している。また月1回メルマガを発行するなど精力的な活動をしている。タイだけではなく、ネパールなどにも在住経験があり、その幅は広い。奥様は現地各地でボランティア活動をするなど、溶け込んでいる。

7階のお部屋は気持ちの良い風が吹き抜け、実に爽やか。郊外で比較的家賃も安いとのこと、このようなロングステイは一つの理想かもしれない。お昼をご馳走になりながら、色々な話を聞く。途中からは紹介者であるバーンタオ氏がバンコックから車で乗り付け、合流。

2. ランプーン    ランバンとランプーン

Oさん宅を辞し、バーンタオ氏の仕事用1トンピックアップに乗り、次の訪問先へ。チェンマイから50㎞ほど離れた場所で、花農園を経営されているSさんを訪問し、泊めてもらう予定となっていた。

道は高速で非常に快適。タイも道路は良いようだ。色々と話しながら進んで行ったが、1時間以上経っても高速を降りない。50㎞は過ぎたような気がするのだが。ようやく目印を見付けて、間道に入るが、既に日は落ち、あたりは暗く、なかなか見付からない。仕方なく、ガソリンスタンドにより、道を聞くと・・。バーンタオ氏の顔が引きつる。そして何度も同じ会話を繰り返す。

携帯で電話をしたバーンタオ氏は愕然とする。そしてその携帯を近くの人に渡し、現在位置を確認。ガソリンスタンドの人も親切に対応し、ちょうどガソリンを入れに来たバイクの後ろについて、道を行く。

又もとの高速道路に戻る。何が起こったのか。『ランバンとランプーンを間違えたんです。しかも目印の病院が両方の街にあって、それで迷いました』。え、ランバンはチェンマイから100㎞離れており、我々はまた50㎞チェンマイ方面に引き返す。しかし珍しいこともあるもんだ。

結局4時間ほど、掛かってランプーンの農場に到着。周囲は非常に静かで環境が良い。Sさんに案内され、農場内の宿泊施設に。2部屋あるコテージ風の建物。部屋の前のテーブルには夕飯も用意されており、バーンタオ氏とビールを飲みながら疲れを癒す。イヤー、これは快適。ぐっすり寝る。

朝 カオトーン

寝ている部屋の朝日が差し込む。外へ出てみると、昨夜は気が付かなかった広大な花農園が広がっていた。そして一つ一つが良く手入れされ、朝の空気を穏やかなものにしていた。木々の力を感じる。

庭を歩いて見る。実に様々な草花がある。木々がある。私は草花の名前を殆ど知らない。タイの木々を知らないのではなく、日本の木々も花も知らない。名前は問題ではないかもしれないが、ここに滞在して、植物に親しんでみたいという気が起こる。

この農園のオーナー、Sさんがやって来て、朝ごはんを食べようと言ってくれる。農園内の小屋に行くと、既に朝ごはんが用意されている。カオトーンというタイ北部でよく見られるお粥。これは粗く煮込んだ粥にニンニク、胡椒などで味付けがされ、朝から力が出る。

そして何よりこの自然環境の中、日の光、木々の間を流れる爽やかなそよ風。バンコックやチェンマイなどの都会では決して味わえないタイがそこにある。

海外から日本を見て考える

この素晴らしい自然の中にある農園のオーナー、Sさんは日本人。若い頃は日本で政治的な活動にも参加、その後色々なご縁があり、関東で花の栽培を開始。海外にも輸出する規模で花農園を経営していた。

そして還暦も近くなった頃、日本の農園を部下に譲り、タイに移り住む。ランプーンにやって来て、ここで農園を始めた。それから10年以上経つ。今では様々な草花が花開き、タイ国内は勿論、日本をはじめ海外にも輸出されている。そして単にビジネスと言うだけではなく、色々は新しい試みをこの地で行っている。Sさんのこれまでに培った花栽培の技術、輸出などの商売のノウハウ、そして何よりも気持ちが込められた農園である。

広大な敷地の中には外から来た人々が宿泊できるコテージなどがいくつもある。一度に30人は宿泊できるという。何故このような施設を作ったのか。『初めて自分と同世代の日本人のロングステイを考えた』のだと。

当然興味を持って見学に来る日本人は沢山いたが、いざロングステイという段になると、考え方の違いが露骨に出た。『XX万円支払うとこの土地の権利は自分の物になるのか』など、予想外の反応があった。理想的な環境で穏やかな余生を送る、と言いながら、結局はお金から離れられない人々を見た。

『面倒だから止めたんだ』という。何だか残念な話だが、それが今の日本の現実。代わりに『日本の若者に海外での農業体験をして欲しい』と現在は日本の農業関係の大学生、インターンなどを受け入れているという。『若い人なら大歓迎。海外での就業経験も役に立つはず』と前向きだ。

海外に居ると日本の現状が良く見える。日本国内でガッカリして生きているより、タイに来て、将来を考えてみるのもよい。若者に無理に海外に出ろとは言わないが、海外で考えてみるのは必要な機会だと思う。





《昔の東南アジアリゾート紀行》‐2005年バンコック3

16.2005年2月 バンコック3

(1) 最後の家族旅行

あの長男が中学3年になっていた。最初の東南アジア家族旅行、コタキナバルから既に13年余が経過していた。月日が経つのは本当に早いものである。中3になって急に慌てだした長男は週に6回も塾に行き、旅行どころではなくなる。冬休みも旧正月も受験である。私は次男の面倒を見て、弁当などを作ることになっていた。しかし??何故か彼の受験は11月で終わってしまった。それでよいのか?という疑問はありながら、それはそれでよい、ということになる???

彼ら3人はいつもの通りクリスマス、正月を日本で過ごす。で旧正月は?長男は高校に入ると寮生活、すると旧正月が最後のチャンス、最後の家族旅行??になるのではなかろうか?12月にAトラベルに電話。『今からでは何処も難しいですよ、クラビなら最近直行便が飛んだばかりで穴場ですが、果たして取れるかどうか??』というSさんの答え。さすがに遅すぎたか?

ところが12月にあの大惨事が起きる。大津波である。突然Sさんからメールが入り、バンコックなら行けます、という。津波の影響でプーケットなどは勿論タイ全体に影響が出ており、キャンセルが出たのだろうが、それで行くのも気が引けるし、実は1月にもミャンマーの帰路、バンコックに行くこともあり迷う。本来ならプーケットやクラビが大変な時に支援に行くべきだと思うのだが、家族のことも考えるとどうしても難しい。バンコックが精一杯。家族は元々バンコック、いやタイが好きなのである。結局Sさんの提案に乗る。ホテルはマリオット。文句無し。

(2) タイエアー   2月9日

出発当日は旧正月元旦。昨年ハノイに行った時香港駅のチェックインカウンターが長蛇の列であったことを思い出し、早めに家を出る。ところが着いてみると拍子抜けするぐらい人がいない。エアポートエクスプレスのチケットも子供は無料。大人3人で210㌦と割引が続いている。

混んでいる時の飛行機内は4人一緒に座れないこともある。危惧していたが、簡単に前の方の席が割り当てられる。空いているに違いない。何故だろうか?エアポートエクスプレスも直ぐに来るし、空港のイミグレも混んではいなかった。全てが順調に進んでいる。ところがいざ搭乗となった時に搭乗口の職員に呼び止められる。『40番の席は4人一緒に座れないので、64番の席でお願いします。』という。何で?チェックインカウンターで4人一緒であると確認までしたのに??

それでも仕方なく搭乗する。ところがこの飛行機はMD-11で中の席は5人掛け。我々が貰っていた席も当然4人一緒に座れる。説明が違うということで、再度搭乗口へ。向こうは必死に説明しているが、納得できるものは無い。先方も止むを得ないといった顔で一緒に機内に来る。

席を戻してくれるのかと思いきや、『この席はエマージェンシーロールが要求されており、子供は座れない』と説明する。何で?初めて聞いた。確かにこの席は前から2番目であるが、勿論そのような表示は無い。香港人スタッフの彼女は一生懸命会社の規定とカウンター職員のミスを並べ立てるが、どうにもならない。そして遂に他の客と交渉を始める。驚いたのは当方。既に座っている客をどかしてまで自分が座ろうとは思わない。まして私の目の前で交渉をするのである。日本人としては耐えられるものではない。直ぐに止めて貰う。彼女は『折角私が交渉してあげているのに』という顔をする。感覚の違いは凄い。1つ勉強になった。前から2番目の席にはエマージェンシーロールがあることを??しかし我々がその席に当たっているかどうかは搭乗しても分からないのでは??

(3) マリオットは2つある

バンコックに到着。イミグレも空いている。以前一度香港のイースターとタイのソンクランが重なった休みにバンコックに来たことがあるが、イミグレを抜けるだけで1時間半掛かった恐怖の体験があっただけにホッとする。送迎がついていないので、タクシーにしようかと思ったが、旅行社が目に入ったので、車を頼む。カムリの新型車できれい、広い。

実は今回のホテルを私はJWマリオットだとばかり思い込んでいた。ところが現地で会う予定のYさんから『マリオットは2つありますが、どちらですか?』とのメールを貰い初めて認識した。AトラベルのSさんは態々都会でリゾート気分を味わえるホテルを選んでくれたと言うが、地図で見ると街からは離れた川沿い。何となく不便な所といった印象である。車でも1時間は掛かるといわれる。しかし乗ってみると夕方のラッシュより前であった為か、30分ちょっとで到着する。確かに遠いし、しかも周りには何も無い。

(4) ホテル

マリオットリゾート&スパ。実はなかなか良いホテルであった。プールは1つであるが、ジャグジーもあり、大人の雰囲気である。川沿いに面しているせいか、それ程暑さを感じない。何よりも緑が多い。

 

ボート乗り場があり、15分おきに無料のシャトルボートが出ている。眺めも良く、気分も良い。行き先は対岸のBTMタクシン駅。意外と便利。レストランはインターナショナル、ポリネシアン、中華、日本食がある。一日目は遅くなったこともあり、日本食、鉄板焼きの紅花で食べる。シェフのパフォーマンスが絶妙で子供達も大満足。全員食べ過ぎてしまう。

ホテルの前にショッピングモールがあり、土産物の他、薬などを売っている。何とビデオのTsutayaまである。日本のビデオは無いようだが。更にマック、ケンタッキー、ピザ屋など子供の好きそうなレストランが幾つもある。陸の孤島のようなホテルではあるが、色々と工夫されている。又女性にはスパがあり、かなり好評だと言う。

尚このホテルには日本人ゲストリレーションの女性がおり、チェックインした時も部屋まで案内してくれるなど世話をしてくれる。但し例えば『朝8時発のフライトに乗るには何時にホテルを出ればよいか?』との質問に、『3時間前です』という。今来たときでも30分ちょっとで来るのにそんな朝早く渋滞があるはずもない。マニュアル化しすぎではないか?

 

(因みに『それは早すぎるのでは?』と問い返すと『それではお客様のご自由に』と答えたのには呆れた)

(5) サッカー

一日目は夜街に出て、夕食。そして両替や買出しを行う予定であったが、5時半にテレビをつけると、何と日本―北朝鮮のワールドカップ予選を生中継していた。これは見逃せないと予定を変更する。ワールドカップ最終予選はいつでも緊張するものである。しかしジーコにはツキがある。一次予選でもロスタイムに点が入ったりしている。シンプルなサッカーがアジアでは良いような気がする。

その後夕食に出て戻ってくると韓国―クウェート戦をやっている。更に10時半からバーレーンーイラン戦まで生中継するものだから結局一日目は夜ずっとテレビを見て過ごした。態々バンコックまで来て何でと思うが、香港にいるとゆっくり見られないので良かった。これもリゾートの過ごし方ではないか?

(6) Yさんとロングスティ談義   2月10日

 

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日目の朝、Yさんがホテルまで来てくれた。HO太を紹介し、3人で話す。Yさんはバンコック在住17年、現在はロングスティ支援の会社を経営している。私は昨年8月のバンコックと先月のチェンマイの2度、視察でお世話になっている。更に彼の実家とHO太の実家は隣駅で親しみもある。昨年Yさんが出演して放送された日本のロングスティに関するテレビ番組を見ながら説明を受ける。

途中から話の焦点は『日本人は楽しみ方を知らない』などの日本人談義となる。現在の60-70歳代の世代は会社、仕事中心で旅行といっても団体旅行中心。この世代に今からこうしろ、ああしろといっても無理。逆に30-40歳台に今から海外生活の助言を与える方が20年後の大きなマーケットの可能性が広がる。

チェンマイのロングスティ滞在者は節約を念頭にしており、楽しんでいる人は多くない。これは本当に嘆かわしいことである。日本人の恥部とも言える。(他の長期滞在場所でも似たような状況があり、日本人同士で固まり、派閥を作り、他の交わることもなく、その国の文化、歴史、言語に親しもうともしない)チェンマイではホテルではなく、一般の一軒家に滞在する、または農家に泊まり、農業体験をするなど他とは異なる活動を通じて楽しみを見つけてもらう計画あり。(その後この計画は変更となっている)

(7) ある夫妻との夕食

夜は昨年8月にお会いした日本人駐在員と再会。今回はお互い、奥さん連れである。彼はバンコック駐在6年10ヶ月、その前の語学留学を加えると7年以上タイにかかわっている。O夫人は初めチュラロンコーン大学でタイ語を学び、現在はミニコミ誌でインタビューなどを担当しており、バンコックに関しては非常に詳しい。更にタイのみならず、韓国、ラオスなど旅行経験も豊富で話が実に面白い。

バンコックのタイ人の平均体温は37.5℃であり、日本人が37.8℃の熱で病院に行くと追い返されることがある、バンコック日本人小学校は今や『愛知県トヨタ小学校』と言われるほどトヨタ関係者の子弟が多いこと、バンコックのタイ人は100mでもタクシーに乗るほど歩くことをしない、バンコックの若者は革ジャンを着ることが格好良い事であり、その為に態々冬のチェンマイまで車で行く、日本人バックパッカーは減少しており、カオサンで見掛ける日本人らしき人は大抵韓国人(昨年夫妻は態々カオサンに泊まりに行ったらしい?)、タイ人は数字の9が好きで99バーツなどの表示を好む(6は転ぶと同じ発音で嫌われる)、などなど。

バンコックを紹介する記事を書く場合に苦労するのは、バックパッカーでも偶には良いものを食べたいとか、駐在員でもB級に行ってみたいなどニーズが多様化していること。又そのニーズに応えられるような記事を書ける人は少ない。バックパッカーで来た人には高級ホテルのサービスは分からないし、高級路線で来た人にはB級は分からない。両方分かる人が貴重な時代。

ロングスティに関しても色々とインタビューしたことがあるそうだが、やはりチェンマイに住む日本人は節約の為に来ている経済難民が多い。日本人社会が狭い為に問題が多いとのこと。その点バンコックは日本人が登録者だけでも3万人を越えており、様々な人がいることから問題は少ない。40年以上前にバンコックに定住した日本人の間には1つのコミュニティーがしっかり存在しているが、現在の駐在員関係者、現地採用で働く日本人などとの接点は全く無い。分断された構造になっている。

因みに食事はホテル横のタイスキレストラン。(このホテルの周りは中国系が多く、旧正月の為皆閉まっている。)このレストランも空いている皿は直ぐに持って行くし、少し残っていても持って行く。タイの経済が良くなり、タイ人も皿に乗っている物全部を食べる人は少ないと言う。

兎に角興味深い話が次々に登場し、質問にも的確に答えて頂けるので非常に有意義な夜となった。

(8) クレット島へ  2月11日

3日目、朝寝坊する。気付くと8時である。朝食では昨夜の夫妻から勧められたワッフルを食べる。今日は屋外で食べたが、川からの風と上のゆっくり回る扇風機からの風で寧ろ中より涼しい。今日はアユタヤへ行く予定であったが、昨夜の夫人より『アユタヤは暑いので涼しいクレット島へ行ったらどうか?』との助言があった。素焼きのカップなどを作っているという。昨年はハノイ郊外バチャン焼き物見学に行ったこともあり、興味をそそられる。朝起きると彼女からFaxが来ている。行き方と地図が書いてある。ガイドブックにも載っていないし、地図でも確認できない所なので不安になるが、行ってみることにする。子供達にもそろそろこういう旅をさせるべきだと思う。

ホテルからボートに乗って対岸へ。タクシン駅よりBTSでサラデーン駅下車。Faxにはシーロム通りから505番のバスに乗れ、とある。取り敢えずシーロムコンプレックスの東京堂書店に行き、バンコックバス路線図という冊子を購入。505番と行き先のパックレットを確認。

 

そしてバス停で待つ。この道は常に渋滞している様子が分かる。また様々な番号のバスが行き交っている。しかし505番だけはなかなか来ない。郊外行きの為本数が少ないのだろうと思い、じっと待つ。45分待って来ないのでどうしようかと思っているとHO太がバス路線図を見て『路線変更の可能性がある線に505番が入っている。それにこの路線に無い番号のバスも走っている』という。

 

これは仕方が無いと思い、次の行動を考える。それでもここまで待ったのだから、クレット島へいこうと言うことになり、思い切ってタクシーに乗る。初めは断られたが、2台目の運転手は『行きましょう』と首を立てに振る。これから約40分車は高速を走り、ひたすら北へ。街らしい所に着く。運転手は『パックレット』というが、ボート乗り場が無い。しかし言葉は全く通じていないので困る。この街には比較的古い市場があったり、建物があったりして魅力的であったが、先ずは島へ渡らねばと思い、知る限りの単語を運転手にぶつける。彼も懸命に探してくれてようやくジャスコの看板の狭い道を入ったところの寺に着く。

ワットサナムヌオという名のその寺を抜けるとそこに渡し場があった。見ると今にもボートが出ようとしていたので、慌てて乗る。対岸はそこに見えている。非常にのどかな雰囲気が漂う。ボートには席が無く、船べりに腰掛ける。僅か3分で到着。

そこは実にゆっくりとした時間が流れる場所であった。取り敢えず歩き始めると何軒かの屋台がある。ペプシを2本買うと素焼きの入れ物にクラッシュアイスと一緒に入れてくれる。この焼き物はもらえるのである。1杯20バーツ。

 

 

 

 それから川沿いに歩いて行くと狭い路地に入る。そこからの1本道が焼き物の露天である。クレット島が涼しいと言っていた意味が分かる。ここには屋根があり、日が当たらない。当日はそれ程日差しが強くなかったので、問題は無かった。時々吹く風が気持ちよい。

 

 

 

何軒か見て回り、碗や置物を買う。犬が沢山おり、気持ち良さそうに足で体を掻いている。実にのどか。子供達も犬と遊んでいる。そのかなり長い路地を抜けるとお寺があり、バイクタクシーの運ちゃんがいる。歩いて行くと言うと、凄く遠いぞというが、地図を見ると大したことは無い。

 

 

 

 その先は大自然があった。椰子やバナナの木が生い茂り、花々が咲き乱れている。時折集落があるが、高床式が多く、各家の門のところには必ずお祈りの為の寺院のミニチュアが置かれている。決して貧しい感じは無い。寧ろ質素だが豊か。こんな所がバンコックの近くにあるとは?

どんどん歩いて行くと時折村人が木陰に休んでいたり、食堂に屯して話し込んでいたりする。この島はモン族が多いと聞いていたが、残念ながら誰がモン族かは分からない。そして何故モン族がここにおり、焼き物を焼いているのかも分からない。

 

 

 兎に角気持ちのよいピクニックである。道は1本道、舗装されているので歩きやすい。但し歩いているのは我々のみ。観光客はここまでは来ない。村人はバイクタクシーに乗る。ゆっくり歩いていたら2時間ほど掛かる。3km以上は歩いたと思う。

次男は最後バテバテになる。でも以前と比べれば格段に頑張れるようになっている。長男はブツブツ言うものの特に問題なく歩く。成長の跡が見える。

ボートに直ぐに乗り、対岸で直ぐにタクシーを拾いバンコックに戻る(タクシーは簡単に捕まり、高速代を入れて300バーツ)。残念ながらバスに乗ることは出来ず、またパックレットの街を見ることも出来なかった。この街にはカルフールやケンタッキーなど都市にある物がかなりあり、バンコックの衛星都市としての役割を果たしているように見える。

 

(9) 夜

夕食は日本食になる。昨日Yさんに連れていって貰ったインターコンチの地下にある『日本亭』。ここは昼の定食が夜でも同じ値段で食べられる。韃靼そばとミニ丼のセットが220バーツであり、香港から来た者にとっては非常に安く感じられる。定食に含まれているかぼちゃの煮つけなどがとても美味しく、割安感あり。デザートのフルーツも付く。

その後食後の散歩に1駅歩く。プルンチット駅は高速道路の高架があり、下には鉄道の線路がある。電車が通らないときには人々が通路代わりに歩いている。その横にスクンビット、ソイ1の通りがある。何故ここに来たか?それは沢木耕太郎の深夜特急で沢木氏がバンコックで最初に泊まった『ゴールデンパレス』ホテルが今もあると聞いたからだ。

そのホテルはソイ1を数百メートル入った所にある。決して便の良い所ではない。入り口に看板が出ており、プール付きなどとある。中に入り少し歩くとロビーがあり聞くと1泊850バーツだと言う。西洋人なども利用している経済ホテルといった感じ。部屋は外から見ると長屋のように並んでおり、そこだけが当時を偲ばせる??

その後シーロムに戻り、ナイトバザールへ。相変わらず西洋人が多い場所であるが、時間が早いせいか人は左程多くない。子供達のTシャツを買いに来たのだが、最初の店では2枚で1,500バーツなどと吹っ掛ける。こちらが200バーツというと子供達のほうが驚いてもう止めようという。もう1軒いって200バーツにはならないことを確認して、300バーツで手を打つ。子供達にとってバンコックは恐ろしい所だと思ったようだ。これがアジアの買い物だと教えたつもりだったが??タクシン駅までBTSに乗り、そこからホテルのシャトルボートで帰る。帰る時にはお絞りと水が出されるので感激。夜の水上も爽やかな風が吹き、よい。

(10)チャイナタウン  2月12日

4日目は完全に朝寝坊。昨日長距離を歩いたことが効いている。起き上がれない。ようやく9時半に朝食。ごろごろして11時にチャイナタウンに向けて出発。1年半前にチャイナタウンに宿泊したが、写真を撮らなかったので、今回写真を目的に行く。

 ホテルからボートでサートンピアーへ。そこでパブリックボートに乗り換える。適当に乗ってしまうが、どうやらこの船は観光用らしく、英語で案内が始まる。シャングリラ、ペニンシュラー、シェラトンなど有名ホテルを通り抜ける。かなり古い建物なども見える。これはなかなか良いボートである。料金も船中で徴収されたが、僅か1人15バーツ。

 

英語ガイドがチャイナタウンを告げ、降りる。ピアーの周りから旧正月ムードが漂う。赤い横断幕が下がる。今日は正月4日目の土曜日で皆買い物に来ている。特に金を売る店は大繁盛。何処もお客が溢れていた。

日差しは強くないが人出が多く蒸し暑い。長男は体調が悪いと言い出す。残念だがここは引き上げることに。タクシーでバンコック中央駅に行き、そこから地下鉄でシーロムへ。HO太はそのままウイークエンドマーケットへ。

我々3人はBTSには乗り飽きたので、トゥクトゥクに乗る。あまりきれいとは言えないが、スピードがあり、車の間を縫うので子供達には大受けである。運転手は最初40バーツといっていたが、一駅前で停車、もう一駅行きたければ20バーツ更に払えと言う。普通なら怒ってしまうところだが、何となくユーモラス。OKというと喜んで走り出す。

 (11)迷子

最後の夜はタイ料理を食べることになり、有名なサイアムスクエアーでHO太と待ち合わせる。次男は先程のトゥクトゥクに乗りたくて仕方が無い。タクシン駅では見つからずシーロムで何とか捕まえる。何しろラッシュ時。

その爺さん運転手は25バーツだと言う。乗り込むと運転は至って安全。ゴーカートかジェットコースターに乗る気分の子供には物足りないが、これがよい。丁寧に連れて行ってくれて最後の支払いの段なり、50バーツだと言う。まあ25バーツは安すぎるから良いかと60バーツを出すとお釣りをくれない。私が手を出すと握手して『60バーツOK』。これには参ってしまう。

そんなことをしている間に約束の時間が過ぎている。慌ててレストランを探すが、実はここに来るのは初めて。1つのビルを想像していた私は建物が幾つも連なる中で迷子になる。これは困ったと思い、両替屋のにーちゃんに聞くと親切にも店に電話してくれる。そして丁寧に場所を教えてくれる。実に有難い。

その場所に行くとHO太が立っていた。まずいなと思ったが、何とそのレストランはなくなっているという。ではさっきの電話は何なんだ?兎に角レストランを探さねば。その前にこのビルのトイレに行く。何と有料トイレ。1人5バーツ。踏んだり蹴ったり??

HO太がガイドブックで探した2軒目もなくなっている。いい加減なものだ。仕方なく適当なレストランに入る。味はまあまあだが、いつものようにタイ料理は辛いのか子供達はあまり食べない。

 

 

 (12)誕生日

実は今日は記念すべき長男の15回目の誕生日である。この歳となると自分から誕生会をしようとは言わない。次男がしきりにケーキと口走るが知らん顔。しかしその日の夜となるとさすがにケーキは食べたいらしい。

 

 

ホテル1階のカフェはかなりお洒落で気に入っている。そこでケーキを買う。即席で誕生日のチョコレートプレートも作ってくれる。部屋でローソクの火を吹き消す。こんな光景はもう見られないかもしれないと思うと感慨深いものがある。かれはこの日を覚えていてくれるであろうか?我が家のリゾート紀行は終わりに近づいている。

 

(13)リゾートの鉄則11
寒い時には南国へ。

 

 

《昔の東南アジアリゾート紀行》‐2000年バンコック

11.2000年2月 バンコック2

1. 北京赴任

1999年6月に北京に赴任した。そして初めての冬を経験した。北京の冬は半端でなく、寒い。零下10度で北風が強く吹くと5分と歩くことは出来ない。私は特に寒さに弱い。

もし足マッサージを知っていなければ、常に風邪を引いていただろう。寒気がする場合などは、家に帰るのではなく、真っ直ぐマッサージ店に行き、木の桶に特製の薬草を入れた熱いお湯に足を浸すと体がポカポカしてくる。これが良い。出そうになっていた熱が引っ込む。お陰で2回の冬を何とか乗り切った。

兎も角北京に冬滞在することはあまり好ましいことではなかった。何でも良いから南へ行こう。『Go South』これが我が家の合言葉。今回は旧正月にバンコックにいく。

2.空港

タイエアーでバンコックに着いたのは夜も10時ごろだった。何しろ北京―バンコックは7時間も掛かる。機内ではやることが無く、子供達がこれまでに何回飛行に乗ったかを数える。驚いたことに長男は既に50回ぐらい乗っていることが分かる。しかしこんなに長時間乗ったのは初めてだった。

今回は初めて中国系の旅行社を使ってチケットを買う。何となく心配していたが、案の定空港に着くと、迎えに来ているはずの車が見つからない。焦って探し回る。この時は未だ昔のバンコックのイメージがあり、下手に誰かに聞くと騙されると思い、懸命に探す。しかし最後には、一番気の良さそうな若い女性に尋ね、何とか旅行社のおじさんを探し当てる。何と不親切な。

おじさんは悠然として、『ウエルカム』などという。そのゆったりした態度が何故か温かみを感じる。車に乗ろうと外へ出ると生暖かい風が吹く。南国に着た、という気分が漲る。体が軽くなる。この感覚を得る為に、態々7時間も掛けてやってきたのだ。因みに運転手のおじさんはセーターを着ていた。22度はバンコックでは真冬、と言うことらしい。こちらは家族で大汗をかいている。その対比は漫画的である。

3.ホテル

前回はシャングリラに泊まったので、今回はオーキッドシェラトンに泊まる。折角来たのだから、贅沢なホテルに泊まりたい。本当はペニンシュラーが昨年出来て、そのプロモーションが物凄く安いのを知っていたので、予約しようとしたが流石に一杯だった。何しろ1泊US$80である。ぺニンシュラーとしては、考えられない値段だ。残念。

実はこのオーキッドシェラトンには1週間前に会社の先輩が新婚旅行で宿泊していた。何となく子供連れで気が引けたが、特に問題は無く(当たり前だ)、プールも大きくはないが、そこそこ楽しめた。

ホテルは大きめのツインを予約したが、10歳、7歳の子供と家族4人では狭すぎることが判明。次回より2部屋取るようになる。子供の成長を肌で感じる。

4.コカレストラン

昔バンコックに出張した折、良くこのレストランで食事をした。辛いタイ料理がダメな人もここのタイスキと呼ばれる鍋は美味しく食べられた。今回はバンコック駐在員のNさんの案内で久しぶりに訪れた。

蝦などの海鮮を鍋に入れて、スープと共に食べる。特にスープが絶品。最後に麺と卵を入れる、或いはおじやを作ると非常に美味しい。暑いタイで熱い鍋を食べる。これも北京を忘れさせてくれる。

尚このレストランの支店が有楽町にあったが、味は同じであったかどうか?少なくとも値段は数段違っていたと記憶している。

ところでNさんはロンドンから転勤して来た人であるが、何とご長男はデンマークの日系高校に進学したという。一人でロンドンからコペンハーゲンに移り、宿舎で生活している。我が家の子供たちでは考えられないことである。

5.ゲームソフト

駐在員Nさんは子供達のゲームボーイを見て、一緒にやり始めた。家で子供とやっていると言う。バンコックには偽ゲームソフトを売る市場があり、多くの日本語のゲームが格安で売られていると聞き、子供達は目を輝かせる。何しろ北京には日本語のソフトは売っていないので、新しいものには飢えている。

翌日タワーレコードに向かった家内と別れ、3人で教えられた市場に向かう。以前は言葉の通じないタクシーに乗ると疾駆八苦であったろうが、現在は高架鉄道があり、難なく行ける。場所はあるデパートの横のビル。何となく露天を想像していたが、大違い。5階建てのビルの中に小さな店が所狭しと並んでいる。

子供達は嬉々として店を見て回る。確かに日本語と思われるソフトが並んでいる。勿論タイ語も英語もある。子供達は言葉など分からなくても嗅覚で(?)嗅ぎ分ける。凄いものがある。

漸く気に入ったものを見つけて買ってくれという。こちらの出番とばかりに、値段交渉をする。北京では南方中国人または華人で通し、日本人よりは安く買えるのだが、ここでは一発で日本人と見抜かれる。肌などから直ぐに分かるという。高々千円ぐらいの話だが、値切れないと悔しい。一度店を立ち去ると子供からブーイングが凄い。

ソフトは1つだけ入っているものから、数種類、数十種類がパックになっているものまである。因みに問題なく使えるという。

6.トゥクトゥク

子供達のもう1つのお目当ては、オート三輪の後ろに客席が付いている独特のタクシー、トゥクトゥク。どうしても乗りたいというので、運転手と交渉するが何とタクシーより高い。タクシーで50バーツのところが100バーツなどという。既に観光用と化している。

タクシーはクーラーもあり、排気ガスも吸わずに済むのでタクシーの乗ろうとするとまたまたブーイング。已む無く50バーツのところを70バーツぐらいで乗る。子供連れは立場が弱い。

一旦乗るとなかなか楽しい。両脇の風景は良く見える。4人で乗るとかなり窮屈ではあるが。但し渋滞のバンコックを疾走するので、スリルもある。しかしやはり暑い。この乗り物も数年後には姿を消すのだろうか?

7.リゾートの鉄則11 寒い時には南国へ。

《昔の東南アジアリゾート紀行》‐1995年バンコック

7.1995年4月 バンコック

(1)イースターとソンクラン

イースターは海外旅行する休み、と我が家では決まってしまっていた。次のイースターは何処に行きたいかとの質問に、長男が迷わず『象が居るところ。』と答える。昨年プーケットにて一人で象に乗ったことが余程の自信になっているようだ。その気分を壊さないようにバンコックに行くことにする。

ところが1995年のその年は香港のイースター休みとタイの正月、ソンクランが重なり、飛行機の予約もホテルもかなり厳しい状況であった。前途多難と思っていたところ、バンコックの知り合いから、シャングリラのホライズンルーム(エグゼクティブルーム)が格安で取れる、との超優良情報が入り、お願いした。確か1部屋(結構広い部屋)が2,200バーツで本当に格安。

バンコックの空港に到着。昨年プーケットに行く際トランジットしたが、今回は様子が全く違っていた。兎に角人が多い。イミグレーションは暗く、そして暑い。クーラーが利いていない。並び始めた当初から長期戦を覚悟。子供達はトイレに行く。

香港人は苛立ちを募らせる。何でもスピードが第一である彼らにとってこれは耐え難い。私もせっかちであるが、今回はのんびり屋の奥さんが一緒であり、子供達も私よりはるかに辛抱強い。係官も暑さの中で、能率が落ちる。係官が変わった所はスピードがかなり速くなるのでそれが分かる。

1時間後我々はようやくイミグレを通過した。既に疲労感が溢れていた。ここから渋滞が凄い夕方のバンコック市内に行く気力は無い。しかし車は待っている。皆重い足取りで進む。

(2)ソンクランのバンコック

この頃タイもバブルであった。空港からチャオプラヤ川沿いまでは下手をすると2時間掛かる時代であった。忙しいビジネスマンは川の上流に行き、船で下った方が早いと言われた。

ところが、この日車はあっと言う間にホテルに着いた。何とその間20分。途中で目に付いたのは、ソンクラン、水掛祭りに因んだ水掛であった。道では通る車全てにホースで水を掛けている。人々は相互に水を掛け合っている。初めて見る光景であった。水掛祭りと言えば、中国の雲南省、シーサンバンナが有名。水を掛ける意味の一つは、男が好きな女に水を掛けて意思表明することだと聞いたことがある。タイは違うのだろうか?

ホテルに着くと、エグゼクティブルームと言うことで、直接フロアーに上がり、チェックイン。豪華なイメージで流石シャングリラと思っていると、受付の女性が丁寧に少し水を掛ける。どうやら1つの儀式のようだ。奥さんも掛けられている。

女性は5歳の長男にもコップからほんの少し水を垂らした。ところが長男は突然激怒した。人に水を掛けるとは何だ、と本気で怒っている。水を掛けた女性は本当に困っただろう。何べんも謝っているが、彼は怒り続けている。きっと私の性格が遺伝したのだろう。とても恥かしい思いをしたが、自業自得であると思う。長男のせいで水を掛けた女性がこのフロアー担当を外されない様に祈るのみであった。

(3)日本食

バンコックに来る楽しみの一つは、日本食が安く食べられることである。シャングリラにある日本料理屋はかなり高級だが、昼のランチは格安。翌日は早速ランチに挑戦。

寿司ランチが確か700円ぐらいだったと思う。それで味噌汁もつき、デザートもつく。香港では少なくとも2倍以上はする。大満足。街中では、昼の定食が200-300円で食べられるらしい。バンコックには脱サラした日本人が多く、取り敢えず手っ取り早い日本飯屋を始めること、日本食材をタイの工場で作っており、格安に手に入ることが理由らしい。

上海で台湾人が台湾料理屋を始めるのと原理は同じ。どうしてもそこに住みたければ、何でもするのが人間なのだろう。

(4)デパート

ホテルの近くにロビンソンデパートという名のデパートがあった。ちょっと買い物がしたくて行って見たが、従業員が全くお祭り気分でそこかしこで遊んでいた。女性は顔に何か塗っており、可愛らしい。

しかし幾ら正月とはいえ、こんな締りの無いデパートがあって良いものだろうか?日本人は細かいことに煩過ぎるのかな、と思っていたが、その後アジア経済危機でこのデパートは敢え無く、倒産してしまった。

(5)王宮

バンコック観光の目玉の一つは王宮であろうか?4月は1年中で一番暑い時。午後の一番暑い時に家族で王宮を訪れた我々はかなりの困難に直面した。先ずは子供達が暑さで寝込んだこと。次男はバギーで寝ているので未だ良いが、長男は私が負ぶわなければならない。これは結構バテル。

続いて、入り口で短パンを履いてる私は目敏く見つけられ、ズタ袋のようなズボンを履かされる。勿論敬虔な仏教国では肌を露出することはご法度。しかしこの暑さの中、長ズボンを履いて歩くことにはかなり無理がある。

このズタ袋ズボン、借りるのに身分証明書がいる。パスポートかIDを出せと言う。しかしこんなところで貴重品を渡し、もし無くなった場合どうするのかと頭を悩ませた結果、手元にあったデューティーフリーショップのメンバーカードを出し、『これはVIPカードだ。』と威張ったところ、すんなり入れてもらえた。

(6)サファリパーク

昨年のプーケットで長男が象に乗ったことは我が家の一大事であった。長男は今回もタイに行くなら象に乗る、と言い張る。ホテルで『バンコックで象に乗るにはどうすれば良いか?』と相談すると、郊外のサファリパークが良いとアドバイスされる。

車をチャーターし出掛ける。確か1時間半ほど掛かったのでは?サファリパークはかなり広い敷地にあった。動物は放し飼いで、車で見て回った記憶がある。しかし肝心の象に乗ったかどうかが、どうも思い出せない。子供達はここでも疲れて寝てしまったので、或いは乗っていないのかもしれない。

(7)リゾートの鉄則7

バンコックは家族で行くと楽しい。

《昔の東南アジアリゾート紀行》‐1995年プーケット

8.1995年6月 プーケット2

(1)象

4月にバンコックに行ったものの不完全燃焼だった我が家は6月に性懲りも無く、プーケットに行った。今回は雨季であることを承知で、西海岸のホテルを予約する。もし夕日が見られればラッキーと思うことにした。

今回のホテルはフランス系のメディディアン。このホテルチェーンはグローバルい展開していたが、最近破綻した。当時は高級イメージがあり、且つ日本人従業員もいて、日本人に人気があった。

このホテルの特徴は『小象』がいることである。態々象に乗りに行く必要もなく、何時でも象に会える。子供に人気であった。特に次男が喜んで毎日象を追い掛け回していた。次男のサンダルが脱げたところを鼻でひょいっと取り上げて、投げて寄越す。この芸は受けが良い。次男は今でも覚えているようだ。

(2) 海パン

ホテルに到着すると奥さんが騒ぎ出した。毎度の事ではあるが、騒々しい。何事かと聞いてみると、何と長男の海パンを忘れたようだ。ビーチリゾートに海水パンツ無しで来るとは?『買えばいいんじゃないの?』等と発言したところ、『5歳の海パン買うのは難しい。』という。

フロントで日本人女性スタッフに相談すると『大人の物はホテルにも売ってるんですが?』と言われてしまう。これは大変だ、まさか裸で泳ぐわけには?『ビーチ沿いに何軒か水着を売っている店はありますよ。』との言葉を頼りに、外に飛び出す。

ビーチ沿いには確かに雑貨を売る店や飲み物を売る店があった。派手なビキニや帽子などは売っていたが、子供の海パンは売っていない。うーん、結構難しいものだな、等と思っているとちょっとしたスーパーといった感じの店があり、中に入ると目の前に小さな海パンがぶら下っていた。長男は狂喜していた。よかった。

(3) ホテルのビーチ

何故か今回は晴れていた。このホテルのビーチは広く、輝いていた。子供達は得意の砂遊びに精を出す。フランス系ホテルのせいか、西洋人が多い。6月は日本人の夏休みには少し早い。

ある日長男と2人でホテルのプライベートビーチに行くと、数人のフランス人(?)女性が上半身裸で日光浴をしていた。ヌーディストビーチではないが、極自然な態度であった。しかしこちらは親子2人目が点になっていた。長男も何かを考えるようにジーッと見詰めている。(こんなことなら、無理して海パンを探さなくても良かったのに、等とは思ってもみない)

その夜、悲劇(?)は起こった。夜中寝静まった頃、行き成り奥さんの悲鳴が聞こえる。飛び起きると奥さんが胸を押さえて痛がっている。その横で長男が寝ぼけて座っていた。驚いたことに彼は昼間見た女性の裸から、赤ん坊の頃の母親のおっぱいを連想し、夜中に横に寝ている奥さんの乳首に噛み付いたようだ。赤ん坊の時は吸うことが出来たが、5歳ともなると忘れてしまったらしい。なかなかユニークな事件であった。

(4)夕日

天気が良いので、ビーチから夕日を見ることも出来た。なかなかきれいな夕日がゆっくり落ちる場面は、印象的である。しかし太陽はそれ程大きくなかったと思う。爽やかな夕暮れの風に吹かれて、砂浜を散歩するのも気分が良いものである。

ところでここプーケットは西側が開発されている。空港から10分のナイヤンビーチから始まり、バヤンツリーホテルのあるバンタオビーチ、世界的に有名なアマンプリのあるパンシービーチ、西側の中心バトンビーチと来て、やっとメディディアンのあるカロンビーチにいたる。夕日は何処で見るのが一番なのか?次回ゆっくり試してみたい。

(5)飛行機

前回のプーケットはバンコック乗り換えであったが、今回はドラゴンエアーの直行便が就航しており、格段に便利であった。ところがこのドラゴンエアーが曲者。キャセイなどが出資して出来たこの会社はその後中国系になっており、キャセイのリゾート路線をそっくり踏襲していた。

サービスには全く慣れておらず、まるで中国国内線に乗っている気分。パーサーは香港人であるが、数人の中国人スチワーデスにサービスは無理か?特に驚いたのが、着陸25分前に長男がトイレを使おうとしたところ、もう使用できないと言う。確かに30分前までという規定はあるようだが、子供の場合大目に見られるはず。ところが頑として聞かない。

最後は『通路に漏らすかもしれない』と言ったところ、しぶしぶ承知したが、トイレを開けてビックリ、何とゴミの山が既に突っ込まれており、全てのゴミを掻き出す羽目に。全く中国国内線のサービスである。自分のことが最優先、お客のことなど眼中に無かった。現在ではそんなことは無いようだが?

運転の方もなかなか凄く、我々が着陸する時にかなりの揺れがあり、1歳の次男はミルクを戻してしまったほど。シートベルトをしており、処理にも困ったのを覚えている。後で知ったことだが、ほぼ同じ時刻にバリから来たドラゴンエアーは何とエアポケットに入り、数人が天井に頭をぶつけて大怪我をしたと言う。怖い、怖い。

(6)リゾートの鉄則8

ビーチはやはりホテルのプライベートビーチが一番。

《昔の東南アジアリゾート紀行》‐1994年プーケット

6.1994年6月 プーケット

(1) 6月のプーケット

4月にシンガポール旅行に行き、弾みがついた。6月に1週間休みを取り、リゾートのメッカ、プーケットに行くことにした。兎に角次男が2歳になるまでは旅行しまくるぞ、と言う意気込みがこの頃出ている。(2歳までは旅行費用が格安)

現在香港からプーケットに行くのは、ドラゴンエアー他の直行便が出ているが、その時は確かバンコック経由であった。バンコックの空港で入国審査を終え、それから国内ターミナルまで約1kmを歩いて行く。この1km建物の外を歩く為結構辛い。暑い、荷物が重い、子供のバギーはでこぼこ道で動かない。

夕方漸くプーケットに着いた。プーケットは夕日がきれい、と言われていたが、何となくどんよりした空模様である。空港は島の北側にある。夕日が良く見えるビーチは西側にある。そこを通り過ぎ、どんどん行く。遠い。

今回泊まるアイランドリゾートホテルは知り合いが勧めてくれた東海岸の静かなホテル。空港から車で1時間。多くの有名リゾートホテルを通り過ぎ、東側のシャロン湾に面している。夕日は見えない。朝日に期待したい。しかし今回分かったことが1つ。6月のプーケットは雨季であり、季節としては最悪であるということ。

(2) ホテル

ホテルに着くと、驚く。大きなホテルが崖っぷちに建っている印象。立派な入り口、立派な建物。そしてその先の庭は傾斜地になっている。宿泊施設は平らであるが、その先のレストラン、プールは傾斜している。下まで歩いて行くことは出来るが、上に上るのは子供では少し大変。そこでシャトルバスが出ている。ホテル内でシャトルバスを運行している所は極めて珍しい。

しかしホテルに人影は無い。全く宿泊客が居ないのではと思うほどである。部屋は素晴らしかった。フルシービューで、かなり広い。家族4人でも広過ぎる。きっとお客が居ないので、かなりのアップグレードがされたものらしい。翌朝朝食を食べに下のレストランに行く。やはり客は殆ど居ない。ビュッフェの料理をたらふく食べる。残すのが勿体無い。

プールはそう大きくは無いが、子供には良い。但し太陽は全く出ないので、涼しい感じがする。ビーチに行ってみたが、何とそこにはほんの少しの砂浜しかない。また泳ぐことは禁止されていた。何の為にビーチリゾートに来たのか?ホテルで聞くとボートに乗って対岸の島に行けば泳げると言う。

(3)ボート

コタキナバルを思い出し、行ってみることにする。無人島にはなかなか良いイメージがある。小雨がちらつく中、ボートに乗る。波がかなり荒く、岸が見えているものの、子供達は怖がって泣き出す。かなりの揺れである。真ん中あたりでボートが停止する。子供達は泣き疲れて寝入る。

ボートが止まったので、何か説明でもあるのかと思い待つが何もない。向こうからボートが来た。船の船頭が向こうの船に何か言っている。何だか変な雰囲気。後ろを振り返ってビックリ。船頭はバケツで水を掻き出しているではないか?この船は壊れていたのだ。その瞬間、物凄い恐怖感が襲う。えっ、沈没??岸は見えているが数十メートルはある。長男を抱えて泳ぎきれるか?奥さんと次男はどうするか?頭がパニックの中回転する。船頭が次男を・・・・。するとホテルの方からボートが2隻やってきた。どうやらさっきの船がホテルに通報したらしい。助かった。力が抜ける。

ボートを乗り換えて無人島に向かったが、その後何をしたか覚えていない。恐らく子供達は何事もなかったように大好きな砂遊びに興じていたことだろう。尚無人島といってもそんなに大きい島ではなく、対岸に隆起した陸地といった感じで気分も出ない。

(4)プーケットタウン

3日目、プーケット島の街、プーケットタウンに行く。天気も良くなく、プールも飽きてしまった結果である。ホテルからのシャトルバスで街に出る。僅か10分程度である。バスを降りると腹が減った。そこに美味しいそうな匂いがしてきた。周りはコロニアル風の建物などがあり、異国情緒も感じられる中、この匂いはアジアである。

見ると麺を売る屋台がある。思わず麺を注文してしまう。1杯僅か10バーツ。しかしこれが美味い。米の麺に魚の出汁のスープ。香菜がのっている。ホテルのどんな立派な食事より良い。

タウンで何をするか何も考えずに出てきてしまった。取り敢えずタクシーを捕まえる。乗り込むと奥さんが行き成り『CDショップ、CDショップ。』と叫ぶ。運転手は英語が片言程度出来るようで、その勢いに押されて走り出す。今まで来た日本人観光客でCD屋に連れて行けというヤツは居なかったであろう。彼は半信半疑でCD屋の前で車を止めて、不安そうにこちらを見る。OKの言葉でホッとする様子が可愛らしい。

奥さんは颯爽と中に入ったが、残りの3人はどうなることか不安であった。何しろここはお土産物屋でもない、英語も広東語も通じそうに無い。どう見ても彼女はタイ語を話すことは出来ず、読むことさえ出来ない。どうやって自分の買いたいCDを買うのだろうか?

恐るべき光景が繰り広げられた。最初は一生懸命歌手の名前を連呼していたが、その内CD屋のオヤジがブロマイドやポスターを持ち出し、確認している。成る程これで歌手は確認できる。しかしCDの中身が分からない。何と奥さんは歌いだした。歌詞はタイ語の為いい加減ではあるが、メロディーを口ずさむ。オヤジが頷く。売買成立の歴史的な瞬間である。感動してしまう。

子供が退屈したので、動物園に行く。ワニのショーを見て、目を丸くする時など、子供は可愛いものである。エレファントショーというのがある。象使いと象が戯れたり、象がサッカーを見せてくれたりする。象もなかなか器用で長男は大喜びである。

マイクを持った司会者が『象に乗りたい人?』と英語で聞く。長男に乗るかどうか聞こうとすると、何と彼は前に乗り出して『ハイ』と手を上げている。え、英語分かるの?あんな高いところに本当に乗れるの?本人は分かっていると自身ありげだ。

5歳の彼が運動場の中に一人で入って行く。それは初の晴れ姿であった。何時泣き出すか、走って戻ってくるか、見ていたが、とうとう象使いに担がれて象の上に。1周回る間にはピースなどと手を上げるほどリラックスしている。子供の成長を大いに確認した瞬間であった。

戻ってくると誇らしげに『簡単だったよ。』と言っている。それまで引っ込み思案であった彼が、全く初めての行動を大勢の前で披露する。そして自信をつける。親の役割はあくまでも補助であると痛感する。そしてその後あまり行動についてとやかく言わないようにしてきた。しかしその後彼が積極的に何かをしたことはあまり無い。あれは一過性の気の迷いだったのだろうか?

リゾートの鉄則6

危険は意外と身近にあるもの。万が一に備えて、常に最悪の事態を考えておこう。特にボートに乗る時は?

《深夜特急の旅-バンコック編2003》

沢木耕太郎氏の名作『深夜特急』は約30年前の旅行記(?)であるが、何時読み返しても心踊るものがある。香港に住んでいるこの機会に名作の舞台を踏んでみることにする。尚順番はバラバラ、気が向いたときに出かけるスタイルである。

今回は香港を離れ、ミャンマー旅行の帰途バンコックに立ち寄った。(『深夜特急2』)

1.2003年8月 ドムアン空港から市内(P11-26)
(1)空港内

私が初めてバンコックに行ったのは、今から16年前の1987年2月。当時は沢木さんが訪れた時と同じように、バンコックの空港は税関を抜けると、沢山のタクシー運転手、自称ガイドなどが居り、通り抜けるのに苦労するなどかなり雑然としていた記憶がある。また照明も暗く、吹き上げるような蒸し暑い印象があった。
今回久振りに来て見ると、空港内は格段に明るくなっており、午前便であったせいか到着ロビーに人影は無く寧ろ寂しい感じであった。

沢木氏は人に押されるように両替もせず外に出てしまったが、私は先ず両替をした。ふと後ろを振り返ると、ホテル案内カウンターでおばさんがこっちに来いと手招きしている。今日はチャイナタウンに泊まるつもりであったので、聞いてみると『チャイナプリンセスホテルが良い、2,000バーツだ。』と言う。ところがホテルに電話すると2,400バーツの部屋しかないとのこと。そしてそれを断るとこちらの言い分も聞かず、せっせと他の高いホテルを勧める。全て断るとそっぽを向いてしまった。ミャンマーの人の良さに触れた後であったので、気分が暗くなってしまう。やはりここはバンコック。

(2)バス

沢木氏は空港の外に出てキャン君の案内で路線バスに乗ったが、私は流石に路線バスに乗るには時間が無さ過ぎた為(本当は怖かったので)、空港バスを利用することにした。勿論30年前に空港バスは無かったと思う。空港バスは市内まで4路線。100バーツ(30年前の路線バスは1バーツであったが、今では路線バスでも20バーツはするらしい。1バーツは約日本円3円。)。案内場で聞くとチャイナタウンはA2と言われる。但し直接行かないので、途中で降りてタクシーに乗れとの指示。

椅子に座ると目の前に道が見える。残念ながら路線バスの停留所は見えないが、走っているバスは見える。エアコンなし、窓を開けている。これで30度以上の気温で30分乗るのは辛いと感じた。

待つこと15分、小奇麗なバスがやってきて、西洋人と日本人のバックパッカー達が乗り込む。座席は広く、エアコン付きで快適。バスは第1、第2、国内線ターミナルに停まった後、高速道路へ。勿論30年前に高速などは無く、空港前の道路の上を覆うことは無かった。ソニーの大スクリーン3台が目を引く。その他、相変わらず日本の会社の広告が並ぶ。30年前はどうだったろうか?流石に日本のプレゼンスはここまで高くなかったのでは?

10分も行くとセントラルプラザがあり、タイ航空本社があり順調に流れて行く。沢木氏がバスからの風景を全く描写していないのは、キャン君との話しに夢中になったのか、見るべきものが無かったのか?どちらにして田んぼか畑だったのだろう。

高速を降りると大渋滞が待っていた。10年前のバンコックが蘇る。100m行くのに10分掛かる。30年前とは車の数が違う。タイも97年の経済危機以降、渋滞が無くなっていたが、最近景気がよく名物復活だ。

2.ホテル(P26-34)

予定の40分をはるかにオーバーして2時間弱でチャイナプリンセスホテルへ。ここはチャイナタウンの真ん中である。空港のおばさんの話はやはりまやかしで、1,800バーツで難なくチェックイン(危うく600バーツも抜かれるところだった)。21階の素晴らしいビューの小奇麗な部屋であった。沢木氏が最初に100バーツで泊まったゴールデンプラザは何処にあるのだろうか?(手掛かりが無く探すことは不可能)

沢木氏が移った2つ目のホテルは『シープヤ通り』にあると書いてあったが、ホテルのフロントに確認すると皆一斉に首を振る。その内1人が『スリパヤ通り』の間違いだろうと言う。本を読み返すとどうもこの通りのようである。

このスリパヤ通りは地味な通りで、これといったものは無い。バンコックの住宅街といった感じ。少し横道に入ると30年前からある麺屋は確かにあった。勿論西洋人は奥に居なかったが。タイ人が泊まるような木賃宿は残念ながら見つからない。この道の良い所は立地であろうか?

3.バンコック駅(P69-73)

バンコックが性に合わないと感じた沢木氏はシンガポールへ向かうため、バンコック中央駅へ行く。現在バンコック中央駅という表現は使っていないようで、呼び名はファランポーン駅である。かなりごちゃごちゃした駅前を想像していった私は、あまりにも整然としている駅を通り過ぎてしまった。歴史的な建造物の1つといった感じで、駅は佇んでいる。中も非常に綺麗で申し分の無いバンコックの顔である。東京駅よりよほど綺麗である。

ツーリストインフォメーションも各所にあり、日本語すら通じそうだ。中央に大量の椅子があり、多くの人が座れる待合場所もある。日本人の若者(バックパッカーにしてはきれいな身なりが多い)が沢山座っている。今も深夜特急の旅をしているのだろうか?

改札口から覗くと、列車も小奇麗なようだ。30年前とは全く異なる風景であろう。外へ出ても駅前のマーケットなど無く、ましてや崩れかかったバラックで店を出しているなどありようも無い。深夜特急ではしばしば子供が登場し情感をそそるが、ここの場面に登場する屋台の6-7歳の男の子の毅然とした態度には胸を打たれるものがある。我々は良く『騙されてはいけない』と思う。実際に今日も空港のおばさんに騙されそうになった。しかし善良な人は居る。子供の場合、自分のしていることが分かっていないケースもあり、対応に苦慮することもある。『人間を信じるべきか?』これは生涯のテーマとなっている。また『人に媚びない人生』は重要であろう。彼はそれを知っている。2巻の名場面だが、今は何処に。

そんなことを考えて駅前を歩くと、『何処に行きますか?』と可愛らしい女性が日本語で話しかけてくる。また騙そうとする人が来たのか?現実は甘くない。

4.チュラロンコーン大学の雨(P36-38)

スリパヤ通りを東に抜けると、ラマ4世通りとぶつかる。その北側にはタイの名門チュラロンコーン大学がある。沢木氏はここの学食で良く食事をしたと書いていたので、行ってみた。

校門を入ると右手ではサッカーに興じている学生がいる。周りの学生を見回しても制服を着ている人はいないので、廃止されたのだろう。校舎は4階建てぐらいで、敷地はかなり大きい。食堂が何処にあるのか分からず歩き回ると、雨が降ってきた。屋外の食堂(?)が目に入る。夕方と雨のせいか、テーブルの上はきれいに片付いており、沢木氏が指摘した金持ち学生の飽食の様子は見られない。

雨宿りの為、校舎に入ると数人の学生が出てきた。男子学生が小走りに飛び出すとホンダの新車を運転して戻り、女子学生が乗り込む。隣では彼氏でも呼んでいるのか、やはり女子学生が携帯電話を使う。(携帯は写真付が流行だそうだ。)
オープンスペースのテーブルでは、ノート型PCを打つ者などもいて、全く日本の学生と同じ状況だ。30年前も名門、お金持ち大学であった同校は現在もタイの繁栄を独り占めしている印象がある。

ところで降り出した雨が小雨となり校外に出たが、また強くなりバス停で雨を避けた。しかしあまりの勢いに庇も傘も何の役にも立たない。自然のパワーを味わった30分であった。どんなに繁栄しても自然には勝てないことを教えようとしているかのスコールであった。

5.ムエタイ

夜タイ式キックボクシング(ムエタイ)を見に行った。ルンピニスタジアムでは週に2日以上行われているようで、土曜日である本日は2回の入れ替え制である。窓口へ行くと日本語で話しかける女性がいる。日本人に高い席を売る担当のようだ。1,500バーツと800バーツの2種類しかない。沢木氏が見た3階席(?)は本日は無いとのことで、800バーツの2階席とする。(1,500バーツは1,200バーツに値下げされたが、断った。)

入ると懐かしいスタジアムだ。昔日本のTVで真空飛び膝蹴りの沢村忠をよく見たのを思い出す。残念ながら試合はどれも判定であまり面白くない。(試合は1R3分、5R制。全部で十数試合あり、8時半から11時過ぎまで開催。)しかし30年経っても、ある一角だけは異常に盛り上がっている。やはり例の賭け屋は存在していた。まるで証券市場の場立ちか市場のセリのように、手を動かして賭けをあおっている。とうとう最後まで仕組みはわからなかったが、この熱気は面白い。私は以前もムエタイを見たことがあったが、このようなことが行われているなど全く知らなかった。沢木氏の観察力には鋭いものがある。(私がボーっとしているだけ?)

その異様な一角を除くと客は観光客ばかり。1階席には日本人が多く、館内ではタイ語、英語と並び、日本語での放送もある。この日本語がはっきり言って上手くないのだが、意味だけは良く分かるのに驚く。2階席は西洋人が多い。皆興味津々で見ている。ルールが分からない人も多いようだ。ノックアウトシーンが無い為か、1階、2階とも静かな観戦で、異様な一角が際立つことになる。3階席は存在しているが、誰もいない。がらんとしたその空間を見ているとムエタイの人気の程が分かり、リングで一生懸命やっている姿が妙に悲しい。

6.チャイナタウン

沢木氏はワットポーで知り合った中国系の男とチャイナタウンに来て、彼の家で飯をご馳走になる。その後も何回か訪れたようだが、香港ほどの熱気が無くあまり面白くは無かったようだ。

現在この町も小奇麗になっている。昼間大きな通りに面した麺屋に入り、日本のひもかわのような麺(河粉)を注文すると上に鴨肉、モツ、内臓が豪華にのった汁そばが登場。これが実に美味い。スープはとりで出汁を取っており、香菜、ネギ等で風味も抜群。これで幾ら取られるのかと心配したが、御代は30バーツ(90円)。

夜11時過ぎに歩いてみると、多くの屋台で賑わっていた。もう一度今度は屋台でうどんを細切れにしたような麺を頼む。これも美味しかったが、御代は40バーツという。怪訝な顔をするといきなり『大盛りは40バーツなんだよ。』とオヤジが北京語で捲くし立ててきた。こちらは大盛りなど頼んだ覚えも無く、反論したが聞く耳を持たない。最後に『大した金ではない』とオヤジが言ったので、無言で払って帰った。最初からオヤジは勝手に多く取るつもりでいたのだ。『俺はこんなに苦労しているのだから、同胞人として10バーツ多く出すのは当たり前だ。』といっているようだ。どこか沢木氏の会ったあの中国系の男に重なるものがあった。(私は同胞ではないのだが?)

7.ワット・ポー(P40-44)

ワット・ポー、正式名称はワット・プラ・チェトポン、別名は涅槃寺。ホテルで貰った地図にはワット・ポーの名前は無く、正式名称で表示されている。
18世紀の終わりのラマ1世の時代に、10年以上の歳月を掛けて建立されたこの寺は、バンコック最大の敷地を持つ。敷地内は幾つも四角く区切られており、日曜日の朝ということもあり、多くの子供がタイ踊り、楽器などの練習をしている。お寺は非常に身近な存在と思われ、おじいさんが孫の手を引いている姿も目立つ。

寺の後ろの方には、確かに幾つも堂があり、近くに大きな木がある場所もある。沢木氏もこのうちの一つで、法事を見学し、女子学生達と言葉を交わしたのだろう。今でも変わり行くバンコックにあって、30年前の面影を留めている場所といえる。

因みに日本人観光客は、入り口を入り直ぐにある涅槃物を見学してそのまま帰る。これではこの寺の良さは分からない。どうして日本人は名所に行き、名物を見ることしか頭に無いのだろうか?(私は涅槃物見学代150バーツを払わず、敷地内を無料で見学)そういえば、この寺はタイマッサージの総本山でもあるとか?時間があればトライすべきであった。

ワット・ポーよりチャオプラヤ河の岸沿いに行くと、対岸にワット・アルンが見える。朝日を浴びたワット・アルンは確かに荘厳な感じがした。アット・アルンといえば、三島由紀夫の小説『暁の寺』であろう。これは三島の最後の作品4部作の3番目で輪廻転生がテーマだ。そういえば、ミャンマーであったウラミン氏が、1970年に研修で東京市谷に滞在し、三島の自決を見て驚いたと話したのを思い出す。小学生の私もその時青山におり、程近くにいたことに驚いたばかりだった。

王宮付近も今日は日曜日ということもあり、観光客と参拝の人以外は閑散としており、露天市場も無い。タイ人のガイドから、『タイ人か?』と声を掛けられるほど顔が黒くなっているようだ。たった1泊だったが、今回のバンコックは今までと違うこの街を体験できた。これも深夜特急の旅ならではであろうか?
そろそろ香港に戻ろうか?