《昔の東南アジアリゾート紀行》‐2005年バンコック3

16.2005年2月 バンコック3

(1) 最後の家族旅行

あの長男が中学3年になっていた。最初の東南アジア家族旅行、コタキナバルから既に13年余が経過していた。月日が経つのは本当に早いものである。中3になって急に慌てだした長男は週に6回も塾に行き、旅行どころではなくなる。冬休みも旧正月も受験である。私は次男の面倒を見て、弁当などを作ることになっていた。しかし??何故か彼の受験は11月で終わってしまった。それでよいのか?という疑問はありながら、それはそれでよい、ということになる???

彼ら3人はいつもの通りクリスマス、正月を日本で過ごす。で旧正月は?長男は高校に入ると寮生活、すると旧正月が最後のチャンス、最後の家族旅行??になるのではなかろうか?12月にAトラベルに電話。『今からでは何処も難しいですよ、クラビなら最近直行便が飛んだばかりで穴場ですが、果たして取れるかどうか??』というSさんの答え。さすがに遅すぎたか?

ところが12月にあの大惨事が起きる。大津波である。突然Sさんからメールが入り、バンコックなら行けます、という。津波の影響でプーケットなどは勿論タイ全体に影響が出ており、キャンセルが出たのだろうが、それで行くのも気が引けるし、実は1月にもミャンマーの帰路、バンコックに行くこともあり迷う。本来ならプーケットやクラビが大変な時に支援に行くべきだと思うのだが、家族のことも考えるとどうしても難しい。バンコックが精一杯。家族は元々バンコック、いやタイが好きなのである。結局Sさんの提案に乗る。ホテルはマリオット。文句無し。

(2) タイエアー   2月9日

出発当日は旧正月元旦。昨年ハノイに行った時香港駅のチェックインカウンターが長蛇の列であったことを思い出し、早めに家を出る。ところが着いてみると拍子抜けするぐらい人がいない。エアポートエクスプレスのチケットも子供は無料。大人3人で210㌦と割引が続いている。

混んでいる時の飛行機内は4人一緒に座れないこともある。危惧していたが、簡単に前の方の席が割り当てられる。空いているに違いない。何故だろうか?エアポートエクスプレスも直ぐに来るし、空港のイミグレも混んではいなかった。全てが順調に進んでいる。ところがいざ搭乗となった時に搭乗口の職員に呼び止められる。『40番の席は4人一緒に座れないので、64番の席でお願いします。』という。何で?チェックインカウンターで4人一緒であると確認までしたのに??

それでも仕方なく搭乗する。ところがこの飛行機はMD-11で中の席は5人掛け。我々が貰っていた席も当然4人一緒に座れる。説明が違うということで、再度搭乗口へ。向こうは必死に説明しているが、納得できるものは無い。先方も止むを得ないといった顔で一緒に機内に来る。

席を戻してくれるのかと思いきや、『この席はエマージェンシーロールが要求されており、子供は座れない』と説明する。何で?初めて聞いた。確かにこの席は前から2番目であるが、勿論そのような表示は無い。香港人スタッフの彼女は一生懸命会社の規定とカウンター職員のミスを並べ立てるが、どうにもならない。そして遂に他の客と交渉を始める。驚いたのは当方。既に座っている客をどかしてまで自分が座ろうとは思わない。まして私の目の前で交渉をするのである。日本人としては耐えられるものではない。直ぐに止めて貰う。彼女は『折角私が交渉してあげているのに』という顔をする。感覚の違いは凄い。1つ勉強になった。前から2番目の席にはエマージェンシーロールがあることを??しかし我々がその席に当たっているかどうかは搭乗しても分からないのでは??

(3) マリオットは2つある

バンコックに到着。イミグレも空いている。以前一度香港のイースターとタイのソンクランが重なった休みにバンコックに来たことがあるが、イミグレを抜けるだけで1時間半掛かった恐怖の体験があっただけにホッとする。送迎がついていないので、タクシーにしようかと思ったが、旅行社が目に入ったので、車を頼む。カムリの新型車できれい、広い。

実は今回のホテルを私はJWマリオットだとばかり思い込んでいた。ところが現地で会う予定のYさんから『マリオットは2つありますが、どちらですか?』とのメールを貰い初めて認識した。AトラベルのSさんは態々都会でリゾート気分を味わえるホテルを選んでくれたと言うが、地図で見ると街からは離れた川沿い。何となく不便な所といった印象である。車でも1時間は掛かるといわれる。しかし乗ってみると夕方のラッシュより前であった為か、30分ちょっとで到着する。確かに遠いし、しかも周りには何も無い。

(4) ホテル

マリオットリゾート&スパ。実はなかなか良いホテルであった。プールは1つであるが、ジャグジーもあり、大人の雰囲気である。川沿いに面しているせいか、それ程暑さを感じない。何よりも緑が多い。

 

ボート乗り場があり、15分おきに無料のシャトルボートが出ている。眺めも良く、気分も良い。行き先は対岸のBTMタクシン駅。意外と便利。レストランはインターナショナル、ポリネシアン、中華、日本食がある。一日目は遅くなったこともあり、日本食、鉄板焼きの紅花で食べる。シェフのパフォーマンスが絶妙で子供達も大満足。全員食べ過ぎてしまう。

ホテルの前にショッピングモールがあり、土産物の他、薬などを売っている。何とビデオのTsutayaまである。日本のビデオは無いようだが。更にマック、ケンタッキー、ピザ屋など子供の好きそうなレストランが幾つもある。陸の孤島のようなホテルではあるが、色々と工夫されている。又女性にはスパがあり、かなり好評だと言う。

尚このホテルには日本人ゲストリレーションの女性がおり、チェックインした時も部屋まで案内してくれるなど世話をしてくれる。但し例えば『朝8時発のフライトに乗るには何時にホテルを出ればよいか?』との質問に、『3時間前です』という。今来たときでも30分ちょっとで来るのにそんな朝早く渋滞があるはずもない。マニュアル化しすぎではないか?

 

(因みに『それは早すぎるのでは?』と問い返すと『それではお客様のご自由に』と答えたのには呆れた)

(5) サッカー

一日目は夜街に出て、夕食。そして両替や買出しを行う予定であったが、5時半にテレビをつけると、何と日本―北朝鮮のワールドカップ予選を生中継していた。これは見逃せないと予定を変更する。ワールドカップ最終予選はいつでも緊張するものである。しかしジーコにはツキがある。一次予選でもロスタイムに点が入ったりしている。シンプルなサッカーがアジアでは良いような気がする。

その後夕食に出て戻ってくると韓国―クウェート戦をやっている。更に10時半からバーレーンーイラン戦まで生中継するものだから結局一日目は夜ずっとテレビを見て過ごした。態々バンコックまで来て何でと思うが、香港にいるとゆっくり見られないので良かった。これもリゾートの過ごし方ではないか?

(6) Yさんとロングスティ談義   2月10日

 

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日目の朝、Yさんがホテルまで来てくれた。HO太を紹介し、3人で話す。Yさんはバンコック在住17年、現在はロングスティ支援の会社を経営している。私は昨年8月のバンコックと先月のチェンマイの2度、視察でお世話になっている。更に彼の実家とHO太の実家は隣駅で親しみもある。昨年Yさんが出演して放送された日本のロングスティに関するテレビ番組を見ながら説明を受ける。

途中から話の焦点は『日本人は楽しみ方を知らない』などの日本人談義となる。現在の60-70歳代の世代は会社、仕事中心で旅行といっても団体旅行中心。この世代に今からこうしろ、ああしろといっても無理。逆に30-40歳台に今から海外生活の助言を与える方が20年後の大きなマーケットの可能性が広がる。

チェンマイのロングスティ滞在者は節約を念頭にしており、楽しんでいる人は多くない。これは本当に嘆かわしいことである。日本人の恥部とも言える。(他の長期滞在場所でも似たような状況があり、日本人同士で固まり、派閥を作り、他の交わることもなく、その国の文化、歴史、言語に親しもうともしない)チェンマイではホテルではなく、一般の一軒家に滞在する、または農家に泊まり、農業体験をするなど他とは異なる活動を通じて楽しみを見つけてもらう計画あり。(その後この計画は変更となっている)

(7) ある夫妻との夕食

夜は昨年8月にお会いした日本人駐在員と再会。今回はお互い、奥さん連れである。彼はバンコック駐在6年10ヶ月、その前の語学留学を加えると7年以上タイにかかわっている。O夫人は初めチュラロンコーン大学でタイ語を学び、現在はミニコミ誌でインタビューなどを担当しており、バンコックに関しては非常に詳しい。更にタイのみならず、韓国、ラオスなど旅行経験も豊富で話が実に面白い。

バンコックのタイ人の平均体温は37.5℃であり、日本人が37.8℃の熱で病院に行くと追い返されることがある、バンコック日本人小学校は今や『愛知県トヨタ小学校』と言われるほどトヨタ関係者の子弟が多いこと、バンコックのタイ人は100mでもタクシーに乗るほど歩くことをしない、バンコックの若者は革ジャンを着ることが格好良い事であり、その為に態々冬のチェンマイまで車で行く、日本人バックパッカーは減少しており、カオサンで見掛ける日本人らしき人は大抵韓国人(昨年夫妻は態々カオサンに泊まりに行ったらしい?)、タイ人は数字の9が好きで99バーツなどの表示を好む(6は転ぶと同じ発音で嫌われる)、などなど。

バンコックを紹介する記事を書く場合に苦労するのは、バックパッカーでも偶には良いものを食べたいとか、駐在員でもB級に行ってみたいなどニーズが多様化していること。又そのニーズに応えられるような記事を書ける人は少ない。バックパッカーで来た人には高級ホテルのサービスは分からないし、高級路線で来た人にはB級は分からない。両方分かる人が貴重な時代。

ロングスティに関しても色々とインタビューしたことがあるそうだが、やはりチェンマイに住む日本人は節約の為に来ている経済難民が多い。日本人社会が狭い為に問題が多いとのこと。その点バンコックは日本人が登録者だけでも3万人を越えており、様々な人がいることから問題は少ない。40年以上前にバンコックに定住した日本人の間には1つのコミュニティーがしっかり存在しているが、現在の駐在員関係者、現地採用で働く日本人などとの接点は全く無い。分断された構造になっている。

因みに食事はホテル横のタイスキレストラン。(このホテルの周りは中国系が多く、旧正月の為皆閉まっている。)このレストランも空いている皿は直ぐに持って行くし、少し残っていても持って行く。タイの経済が良くなり、タイ人も皿に乗っている物全部を食べる人は少ないと言う。

兎に角興味深い話が次々に登場し、質問にも的確に答えて頂けるので非常に有意義な夜となった。

(8) クレット島へ  2月11日

3日目、朝寝坊する。気付くと8時である。朝食では昨夜の夫妻から勧められたワッフルを食べる。今日は屋外で食べたが、川からの風と上のゆっくり回る扇風機からの風で寧ろ中より涼しい。今日はアユタヤへ行く予定であったが、昨夜の夫人より『アユタヤは暑いので涼しいクレット島へ行ったらどうか?』との助言があった。素焼きのカップなどを作っているという。昨年はハノイ郊外バチャン焼き物見学に行ったこともあり、興味をそそられる。朝起きると彼女からFaxが来ている。行き方と地図が書いてある。ガイドブックにも載っていないし、地図でも確認できない所なので不安になるが、行ってみることにする。子供達にもそろそろこういう旅をさせるべきだと思う。

ホテルからボートに乗って対岸へ。タクシン駅よりBTSでサラデーン駅下車。Faxにはシーロム通りから505番のバスに乗れ、とある。取り敢えずシーロムコンプレックスの東京堂書店に行き、バンコックバス路線図という冊子を購入。505番と行き先のパックレットを確認。

 

そしてバス停で待つ。この道は常に渋滞している様子が分かる。また様々な番号のバスが行き交っている。しかし505番だけはなかなか来ない。郊外行きの為本数が少ないのだろうと思い、じっと待つ。45分待って来ないのでどうしようかと思っているとHO太がバス路線図を見て『路線変更の可能性がある線に505番が入っている。それにこの路線に無い番号のバスも走っている』という。

 

これは仕方が無いと思い、次の行動を考える。それでもここまで待ったのだから、クレット島へいこうと言うことになり、思い切ってタクシーに乗る。初めは断られたが、2台目の運転手は『行きましょう』と首を立てに振る。これから約40分車は高速を走り、ひたすら北へ。街らしい所に着く。運転手は『パックレット』というが、ボート乗り場が無い。しかし言葉は全く通じていないので困る。この街には比較的古い市場があったり、建物があったりして魅力的であったが、先ずは島へ渡らねばと思い、知る限りの単語を運転手にぶつける。彼も懸命に探してくれてようやくジャスコの看板の狭い道を入ったところの寺に着く。

ワットサナムヌオという名のその寺を抜けるとそこに渡し場があった。見ると今にもボートが出ようとしていたので、慌てて乗る。対岸はそこに見えている。非常にのどかな雰囲気が漂う。ボートには席が無く、船べりに腰掛ける。僅か3分で到着。

そこは実にゆっくりとした時間が流れる場所であった。取り敢えず歩き始めると何軒かの屋台がある。ペプシを2本買うと素焼きの入れ物にクラッシュアイスと一緒に入れてくれる。この焼き物はもらえるのである。1杯20バーツ。

 

 

 

 それから川沿いに歩いて行くと狭い路地に入る。そこからの1本道が焼き物の露天である。クレット島が涼しいと言っていた意味が分かる。ここには屋根があり、日が当たらない。当日はそれ程日差しが強くなかったので、問題は無かった。時々吹く風が気持ちよい。

 

 

 

何軒か見て回り、碗や置物を買う。犬が沢山おり、気持ち良さそうに足で体を掻いている。実にのどか。子供達も犬と遊んでいる。そのかなり長い路地を抜けるとお寺があり、バイクタクシーの運ちゃんがいる。歩いて行くと言うと、凄く遠いぞというが、地図を見ると大したことは無い。

 

 

 

 その先は大自然があった。椰子やバナナの木が生い茂り、花々が咲き乱れている。時折集落があるが、高床式が多く、各家の門のところには必ずお祈りの為の寺院のミニチュアが置かれている。決して貧しい感じは無い。寧ろ質素だが豊か。こんな所がバンコックの近くにあるとは?

どんどん歩いて行くと時折村人が木陰に休んでいたり、食堂に屯して話し込んでいたりする。この島はモン族が多いと聞いていたが、残念ながら誰がモン族かは分からない。そして何故モン族がここにおり、焼き物を焼いているのかも分からない。

 

 

 兎に角気持ちのよいピクニックである。道は1本道、舗装されているので歩きやすい。但し歩いているのは我々のみ。観光客はここまでは来ない。村人はバイクタクシーに乗る。ゆっくり歩いていたら2時間ほど掛かる。3km以上は歩いたと思う。

次男は最後バテバテになる。でも以前と比べれば格段に頑張れるようになっている。長男はブツブツ言うものの特に問題なく歩く。成長の跡が見える。

ボートに直ぐに乗り、対岸で直ぐにタクシーを拾いバンコックに戻る(タクシーは簡単に捕まり、高速代を入れて300バーツ)。残念ながらバスに乗ることは出来ず、またパックレットの街を見ることも出来なかった。この街にはカルフールやケンタッキーなど都市にある物がかなりあり、バンコックの衛星都市としての役割を果たしているように見える。

 

(9) 夜

夕食は日本食になる。昨日Yさんに連れていって貰ったインターコンチの地下にある『日本亭』。ここは昼の定食が夜でも同じ値段で食べられる。韃靼そばとミニ丼のセットが220バーツであり、香港から来た者にとっては非常に安く感じられる。定食に含まれているかぼちゃの煮つけなどがとても美味しく、割安感あり。デザートのフルーツも付く。

その後食後の散歩に1駅歩く。プルンチット駅は高速道路の高架があり、下には鉄道の線路がある。電車が通らないときには人々が通路代わりに歩いている。その横にスクンビット、ソイ1の通りがある。何故ここに来たか?それは沢木耕太郎の深夜特急で沢木氏がバンコックで最初に泊まった『ゴールデンパレス』ホテルが今もあると聞いたからだ。

そのホテルはソイ1を数百メートル入った所にある。決して便の良い所ではない。入り口に看板が出ており、プール付きなどとある。中に入り少し歩くとロビーがあり聞くと1泊850バーツだと言う。西洋人なども利用している経済ホテルといった感じ。部屋は外から見ると長屋のように並んでおり、そこだけが当時を偲ばせる??

その後シーロムに戻り、ナイトバザールへ。相変わらず西洋人が多い場所であるが、時間が早いせいか人は左程多くない。子供達のTシャツを買いに来たのだが、最初の店では2枚で1,500バーツなどと吹っ掛ける。こちらが200バーツというと子供達のほうが驚いてもう止めようという。もう1軒いって200バーツにはならないことを確認して、300バーツで手を打つ。子供達にとってバンコックは恐ろしい所だと思ったようだ。これがアジアの買い物だと教えたつもりだったが??タクシン駅までBTSに乗り、そこからホテルのシャトルボートで帰る。帰る時にはお絞りと水が出されるので感激。夜の水上も爽やかな風が吹き、よい。

(10)チャイナタウン  2月12日

4日目は完全に朝寝坊。昨日長距離を歩いたことが効いている。起き上がれない。ようやく9時半に朝食。ごろごろして11時にチャイナタウンに向けて出発。1年半前にチャイナタウンに宿泊したが、写真を撮らなかったので、今回写真を目的に行く。

 ホテルからボートでサートンピアーへ。そこでパブリックボートに乗り換える。適当に乗ってしまうが、どうやらこの船は観光用らしく、英語で案内が始まる。シャングリラ、ペニンシュラー、シェラトンなど有名ホテルを通り抜ける。かなり古い建物なども見える。これはなかなか良いボートである。料金も船中で徴収されたが、僅か1人15バーツ。

 

英語ガイドがチャイナタウンを告げ、降りる。ピアーの周りから旧正月ムードが漂う。赤い横断幕が下がる。今日は正月4日目の土曜日で皆買い物に来ている。特に金を売る店は大繁盛。何処もお客が溢れていた。

日差しは強くないが人出が多く蒸し暑い。長男は体調が悪いと言い出す。残念だがここは引き上げることに。タクシーでバンコック中央駅に行き、そこから地下鉄でシーロムへ。HO太はそのままウイークエンドマーケットへ。

我々3人はBTSには乗り飽きたので、トゥクトゥクに乗る。あまりきれいとは言えないが、スピードがあり、車の間を縫うので子供達には大受けである。運転手は最初40バーツといっていたが、一駅前で停車、もう一駅行きたければ20バーツ更に払えと言う。普通なら怒ってしまうところだが、何となくユーモラス。OKというと喜んで走り出す。

 (11)迷子

最後の夜はタイ料理を食べることになり、有名なサイアムスクエアーでHO太と待ち合わせる。次男は先程のトゥクトゥクに乗りたくて仕方が無い。タクシン駅では見つからずシーロムで何とか捕まえる。何しろラッシュ時。

その爺さん運転手は25バーツだと言う。乗り込むと運転は至って安全。ゴーカートかジェットコースターに乗る気分の子供には物足りないが、これがよい。丁寧に連れて行ってくれて最後の支払いの段なり、50バーツだと言う。まあ25バーツは安すぎるから良いかと60バーツを出すとお釣りをくれない。私が手を出すと握手して『60バーツOK』。これには参ってしまう。

そんなことをしている間に約束の時間が過ぎている。慌ててレストランを探すが、実はここに来るのは初めて。1つのビルを想像していた私は建物が幾つも連なる中で迷子になる。これは困ったと思い、両替屋のにーちゃんに聞くと親切にも店に電話してくれる。そして丁寧に場所を教えてくれる。実に有難い。

その場所に行くとHO太が立っていた。まずいなと思ったが、何とそのレストランはなくなっているという。ではさっきの電話は何なんだ?兎に角レストランを探さねば。その前にこのビルのトイレに行く。何と有料トイレ。1人5バーツ。踏んだり蹴ったり??

HO太がガイドブックで探した2軒目もなくなっている。いい加減なものだ。仕方なく適当なレストランに入る。味はまあまあだが、いつものようにタイ料理は辛いのか子供達はあまり食べない。

 

 

 (12)誕生日

実は今日は記念すべき長男の15回目の誕生日である。この歳となると自分から誕生会をしようとは言わない。次男がしきりにケーキと口走るが知らん顔。しかしその日の夜となるとさすがにケーキは食べたいらしい。

 

 

ホテル1階のカフェはかなりお洒落で気に入っている。そこでケーキを買う。即席で誕生日のチョコレートプレートも作ってくれる。部屋でローソクの火を吹き消す。こんな光景はもう見られないかもしれないと思うと感慨深いものがある。かれはこの日を覚えていてくれるであろうか?我が家のリゾート紀行は終わりに近づいている。

 

(13)リゾートの鉄則11
寒い時には南国へ。

 

 

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