香港歴史散歩2004(9)土瓜湾

【九龍ルート15】2004年4月11日

イースター休暇の3日目、知人を訪ねてホンハムに行く。北角からフェリーに乗ろうとするとホンハム行きより早く九龍城行きが出るという。思わず九龍城に行く。フェリーで10分、この日は少し暑いが気持ちが良い風が吹いていた。ターミナルはホンハムより少し北、左程離れてはいなかった。地名は土瓜湾、海に浮かぶ海心島がさつまいもに形状が似ていたことから土瓜(さつまいも)湾と呼ばれたとも言われている。

(1) 土瓜湾ガス工場

フェリーターミナルを出て目の前のバス乗り場の向こうを見ると、円筒形の骨組みが見える。一瞬工事現場か、又は火事で焼けた建物跡かと思ったが、近づくとそこはガス工場であった。

中華ガス、現在独占的に香港でガスを供給するこの企業は、元は佐敦道にあったが、同地の環境問題もあり、当時拡張されつつあったカイタック空港の横に移された。1956年であった。勿論当時は周りに何も無い荒涼とした場所であったという。50年代にカイタックを写した写真を見ても、空港以外に建物は少なく、岩肌を露出した小山が実に寒々と写っている。

その後1960,70年代に土瓜湾は香港の工業地帯として大いに発展することになるが、その中心にこのガス会社があった。しかしこの工業地帯も80年代以降工場が中国へ移って行く中、徐々に寂れていき、カイタック空港が閉鎖されて以降は利便性を生かして大型住宅の建設が始まっている。

(2)馬頭角牛房

ガス工場の横に不思議な建物がある。かなり古風な作りであるが中が何になっているか良く分からない。1907年に建てられた赤レンガ造りの洒落た建物のように見えるが、実はここは元屠殺場。以前はホンハムにあったが、九広鉄道建設の為にここに移された。

牛房とは屠殺される前の牛を一時的に入れておく小屋のことであるが、牛房と聞くとどうしても文化大革命を思い出す。文革中牛房(棚)と言えば、下放(都市から地方に知識人を移すること)された知識人が田舎で入れられた小屋を指すものである。

下放された作家などが作品の中で牛房のことを書いているのを読んだことがある。それは狭く汚い場所で、小さな窓から顔を出すところが牛そのものであると書かれていた。しかも農村での生活は過酷で、牛の代わりに鋤や鍬を引かされ、その悪夢は都市に戻ってからも決して消えないという。

 

香港の牛房は99年に閉鎖され、現在は芸術村?として、再生しようとしているようだ。確かに建物はお洒落だが、果たして上手く行くのだろうか?現在は所々にギャラリーやショップが作られ、一部工房として使っている所もある。正に文化大革命?であろうか?

尚牛房の前の道は細く縦に数本伸びており、殆どが自動車整備などの町工場となっている。工場の上は住宅と成っており、今でも洗濯物を竿一杯に伸ばして乾している光景が昔を偲ばせる。極めて香港らしい風景を残している場所として印象深い。

(3)北帝廟

牛房から少し歩いて行くとカイタック空港跡地に出る。宋代末に2人の皇帝により廟が建てられたと言われている。1756年に廟がこの場所に建てられ、乾隆帝の銅鐘も奉じられた。(現在はランタオ島の観音殿に納められている。)中華の中央から見ると香港はどのように映っていたのだろうか?

 

廟は日本占領時に取り壊されて、現在は北帝街という道の名前のみが残っている。カイタックが無くなった今日、この道沿いも新しい高層住宅の建設が進んでおり、昔の面影はどんどん消えて行くようだ。

(4)天后古廟

九龍城道を10分ほど歩き、落山道を少し入るとそこにひっそりと天后古廟が建っている。元々廟は土瓜湾の海心島が見られる場所にあったが、60年代の埋め立てで現在の位置に引っ込むことになった。1885年に修復が行われたとあるから建造はかなり古い。

賑やかな道の脇に建っているが中は意外と広い。天后廟と並んで龍母廟も建っている。これも元は海心廟にあったものを移設している。香港は60年代の埋め立て工事で多くの廟を移動させている。墓は何があっても動かさない中国人であるが、廟は問題ないのであろうか?

(5)海心廟

北角からフェリーに乗って九龍城ターミナルに着く直前、海から突き出したような岩が見える。それが海心公園内の魚尾石である。何やら本当に魚のように見える。近づいて見ると意外と高さがある。上に上ることは禁止されているようだ。又海に突き出した形で海心亭がある。ここに座ると海風が涼しく、おじいさんがのんびり座って海を眺めていたのが、印象的。

昔ここが埋め立てられる前、この部分は島として陸から離れていた為、観光客はボートで島に渡っていたという。埋め立てられたのは1964年である。

現在龍母廟は先程の天后廟内に移され、この場所はジョッキークラブにより綺麗な公園として市民の憩いの場となっている。当日は連休中であり、天気も程好いことから多くの家族連れで賑わっていた。

 

ここ土瓜湾に来て見て分かったことは、埋め立てにより香港は多くの陸地を確保したが、その分多くの何かを失ったということだ。そして特に利用もされていないカイタック空港跡がこの場所の地盤沈下を象徴している。

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